第58話 海と太陽と冒険と

文字数 2,725文字

 深いため息を、ドゼ将軍がついた。
「まあ、いいさ。俺には、女神さまがついてるんだし」
「女神?」

 ……「マルグリット」だろうか。ドゼ将軍の思いが、ついに彼女に通じたとか?

 ドゼ将軍は、先を歩いていた。長い黒髪を束ねる髪留めに、目が行った。
 ライン河畔では、彼は、鋏で切ろうとしても切れない丈夫な髪の毛を(全くうらやましいことだ)、無造作に藁で束ねていた。今、それは、美しく繊細な、水色のリボンに代わっていた。

 そういえば、サヴァリ(ドゼの副官)がこぼしていた。パリでのドゼ将軍の人気は大変なもので、あちこちのサロンからお呼びが掛った。にもかかわらず、そうしたお誘いをすべてを断り、彼は、隠者のように引き籠って暮らしていたのだそうだ。会うのは、仲間の軍人か、ほんのわずかの人に限られていた。
 それって、つまり、本命の彼女と、一緒にいた、ってことだよな。さもなければ、パリ中の美女が集まる、サロンを無視できるわけがない。

 愛人(ルイーゼ)と別れて、よかったじゃないか。今度こそ、本命の女性(マルグリット)と、心が通い合ったってことだから。
 つか、パリの女性(ひと)だったのね。ドゼ将軍ったら、いつの間に……。


「ドゼ将軍! 俺はあなたを尊敬します!」
「なんだ、唐突に」
「軽はずみで浮気者で、だらしなくて不誠実な人だとばかり思っていましたが、何度ふられてもめげず、初志を貫くあなたのその、お人柄に、俺は、惚れ直しました!」

「君が、何を言っているのか不明だが、海の神様は、女神だ。彼女の機嫌を損ねるなよ」
 はっきりと、話をそらされたのがわかった。


「とりあえずは、ボナパルト将軍だ。君を、彼に紹介する。信頼できる、同僚として」
「同僚?」
「だってそうだろ。君は俺の、戦友だ」

 戦友。

「ドゼ将、ぐぅん……」
「縋りつくなったら! ここは、ヴォージュの山奥じゃないぞ。町中も町中、パリだぞ!」

 すでに、レイニエ将軍を、ボナパルトに推薦したという。モローの手紙のせいで、ドゼ将軍と一緒に、免職になった、モローの元参謀長だ。



「遠征には、あのクレベールも参加するそうだ。彼が、早々に、シャイヨー(パリ)に引き籠っていたのは、そういうわけなんだな」

 マルソーの死後、パリで蟄居していたクレベールも、ボナパルトは引き込んだのか。それとも、クレベールが自ら、自分を売り込んだのか。




 弾む声が、途切れもなく、話し続けている。
 「軍人だけじゃない。学者や民間人もたくさん同行する。彼らはきっと、素晴らしい発見や発明を、たくさんするだろう。初期の装備は、心許ない限りだが、軍は、自給自足できるようになるかもしれない」


 ドゼ将軍本人は、栄光を求めて、と言っている。
 彼が、ボナパルトの下に甘んじたのは、エミグレの親族を守る為。そして、総裁政府への懸念からだと、俺は思った。「剣の力」として便利に使われ、使い捨てられないために。オージュローも、そう言っていた。
 
 けれど、本当は……。


「なんといっても、海だ! 我々の冒険は、海から始まる。今度の戦いの舞台は、じめじめしたライン河畔じゃない。違う大陸、エジプトだ。いったいどんな空気、香り、そして、風が吹くんだろう」


 彼がボナパルトに求めたのは、栄光なんかじゃない。ボナパルトの陰に逃げ込んだわけでもない。
 彼は、冒険を求めているのだ。
 海と太陽。そして、見知らぬ大陸、エジプトでの、冒険を。

 生き生きと輝く、その表情を見ているうちに、唐突に俺は、そのことを理解した。

「一緒に行きます」
「なんだよ、唐突に」
「だから、あなたと一緒に、エジプトに……」

「しっ! その言葉は禁句だ」
ドゼ将軍は、辺りを見回した。
「ダヴー。君だから話したと言ったろ? どこにイギリスのスパイがいるか、わからないからな」

 言っている言葉の重大さとは裏腹に、その表情は、いたずらっ子のように輝いていた。純粋で、そして、楽し気だった。





 イギリス軍の、仮の司令部に到着した。
 ドゼ将軍を見て、閲兵が、さっと敬礼した。

「さてと。ボナパルト将軍に会うぞ」
「はい」
「行儀よくしてろよ、ダヴー」
「任せて下さい!」
「変なことを口走るなよ」
「もちろん」
「ケンカ、売るんじゃないぞ」
「しません、って!」

「じゃ、行こうか」

 先に立って、ドゼ将軍は、歩き始めた。
 緊張しながら、俺は、その後に続いた。











───・───・───・───・───・

最後までおつきあい下さって、ありがとうございました。
ドゼの話には、続きがあります。このお話は、ほんのさわり、というより、スピンオフに過ぎません。

エジプトももちろんですが、ライン軍での初期の活躍や、王党派の親族との葛藤、それから、恋。このお話で触れた、「真逆の二面性」、即ち、「高潔と下劣」も極めたいところです。
また、マレンゴも、こちらは、陰謀論を昇華させ、別建てのミステリにしたいと考えています。

少し、お時間を頂きたいと存じます。必ず書きますので、どうか気長にお付き合い頂けると嬉しいです。



ドゼに関しては、今の時点で、以下の関連作品があります。


史実だけをまとめてみました。画像をふんだんに取り入れた、チャットノベル形式です。
「ダヴー、血まみれの獣、あるいはくそったれの愚か者」
https://novel.daysneo.com/works/24ea4f2c084bcbecba7f3e2831304bba.html



副官のラップ視点で描いた短編小説です。エジプトに於けるセディマンの戦いから遡り、出航準備、1795年上アルザスでの戦いまでを、描いています。上アルザスでの戦いは、本作冒頭のマンハイム包囲戦の前哨戦で、本作でも前の副官レイの視点を借りて触れています(35話「レイの回想」)。

「勝利か死か Vaincre ou mourir」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/268109487/803492079

同タイトルの2000字小説もあります。
https://novel.daysneo.com/works/ce849fe5a968ea364fb1485a2fc68ba8.html



なお、近日中に、ライヒシュタット公(ナポレオンの息子)の身の回りの人々に焦点を当てた連作の連載を始めたいと思います。短編集ですが、フランス革命戦争からウィーン3月革命までを俯瞰した造りになっています。
2年前にアルファポリスさんに連載し、いつか手を加えなければ、と思っていました。このたび私自身、新しく学んだこともあり、(間違いをこっそり直したり[小声])手を加えつつの連載になります。
せっかくのご縁でございます。ドゼの新作までの繋ぎに、とうかお付き合い頂けましたら、大変、嬉しいです。






ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

ルイ=ニコラ・ダヴー


後の帝国元帥。勇敢で正義感が強く、有能。

えーと、これでよろしいでしょうか、ダヴー様……。

ルイ・シャルル・アントワーヌ・ドゼ


ライン軍将校。前衛突撃型。少数の精鋭騎兵の先頭で馬を走らせ、敵に突っ込むタイプ。

高潔で下劣、複雑な二面性を併せ持つ。

アンベール


モーゼル軍右翼司令官から、ライン・モーゼル軍師団長へ。ダヴーの上官。

サン=シル


ドゼの戦友、ライバル。詰将棋のような、確実な戦闘をする。ドゼより4歳年上。

ボナパルニスト諸氏が言うほど、変人じゃない気が……。軍人として、むしろ、常識人。



ブログ「サン=シル」

サヴァリ


ドゼの副官。

ボナパルト時代の彼の失策を考えるに、単純な人柄だったんじゃないかな。それだけに、ドゼへの献身は本物だったと信じます。



*アンギャン公事件で、サヴァリは、憲兵隊長を務めていました。公の処刑決行を指揮したのは、サヴァリです。

 →ブログ「フランス革命からナポレオンの台頭へ1」

ラップ


ドゼの副官。勇敢だが、とにかく怪我が多いことで有名。



*ラップ視点の2000字歴史小説「勝利か死か Vaincre ou mourir

 ブログ「ラップ/ラサール」

ピシュグリュ


ライン・モーゼル軍司令官。前年のオランダ戦では、騎兵を率いて、オランダ艦隊を捕獲した戦歴を持つ。



ブログ「フランス革命戦争4-2」、参照

モロー


ライン・モーゼル軍司令官。ピシュグリュの後任。赤子が母の後追いをするように、ドゼに従う。



ブログ「ジュベール将軍/モロー将軍」

マルソー


サンブル=エ=ムーズ軍将軍。ヴァンデでダヴーと出会う。ダヴーは彼を、妹の夫にと、虎視眈々と狙っている。



ブログ「フランソワ・セブラン・マルソー」

オッシュ


ジュールダンの後を引き継ぎ、サンブル=エ=ムーズ軍司令官に。ドゼは彼を、蛇蝎のごとく嫌っている。



ブログ「ルイ=ラザール・オッシュ」

オージュロー


ボナパルトのイタリア(遠征)軍からドイツ軍(ライン方面軍)司令官に。

ボナパルト嫌いの余り、作者はこの人を、良く描きすぎました。ご注意ください。

【作者より】


純粋な史実は、チャットノベル

ダヴー、血まみれの獣、あるいはくそったれの愚か者」を、ご参照ください。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み