第32話 あーん

文字数 3,094文字

 さすがだ!
 さすがは、ドゼ将軍!
 オーストリアに脚を撃たれたくらいでは、ビクともしないんだ。
 そうだ。
 ドゼ将軍は、軍神だ。
 軍神が、殺されたりなんかするものか!

 俺は、ホテルの階段を駆け上がった。ドゼ将軍の部屋なら、とっくに割り出してある。窓際の部屋だ。そこから見える場所に陣取り、俺は毎日、彼の回復を願ってきた。

 オーストリアとの和平が成立したとかで、ディアースハイムでの戦闘は、停止になった。もう少し勝てるところだったのに、本当に、惜しいところだった。
 休戦を導いた、ボナパルトとかいう将軍に、殺意を抱いたくらいだ。まあ、彼は、いち早く、オーストリアに勝利したわけだけど。
 ライン軍の勝利を手土産にできなかったことが、悔やまれる。俺らが勝ちさえすれば、ドゼ将軍の怪我なんか、すぐに治る……俺は、そう信じて戦っていたのだ。

 それにしても、レイのやつ。
 あいつ、ドゼ将軍は、瀕死の重傷だ、などと教えやがったのだ。だから、暫くは近寄るな、と。
 くそう。後でしばいてやる。
 だが、今は、ドゼ将軍だ。俺の軍神に会わねばならない。彼の無事を、この目で確認するのだ。



 目当ての部屋の前で立ち止まった。切れた息を調え、服の埃を払う。
 一応、髪に手櫛を通し、俺は、ドアをノックしようとした。
 その時……。

 「はい、あーん」
 ドアの向こうから、女性の声が聞こえてきた。
「そうそう、いい子ね。もう一口。あーーん」

「……」

 低い男性の声が何か言う。中身までは聞き取れない。
 女性が答えた。

「もちろん。大好きよ、ルイ。ずっとそばにいるわ」
「……」
「そんなこと言わないの。今回は、すぐに来てあげたじゃない」
「……」

 まさに男女の睦言だ。俺は眉を顰めた。男は、間違いなく、ドゼ将軍だ。だって、ここは彼の部屋だし。
 どうしよう。
 でも、俺だって、ドゼ将軍に用があるんだし。

 部屋の中のいちゃいちゃは続いている。
「さあ、お食べなさい」
「……」
「大丈夫よ。ふうふうしてあげたでしょ」
「……」
「もう! わがままねえ」

ふうふう?
ふうふうだと!?
つか、ドゼ将軍が怪我したのは、脚だ。手は、フツーに使えるだろーが!

「……」
「それは、悪かったと思ってる。あの日は都合が悪かったのよ」
「……」
「1年も前の話でしょ」
「……」
「これからは、ずっとあなたと一緒よ、ルイ・シャルル・アントワーヌ」

 ちなみに、ルイ・シャルル・アントワーヌというのは、ドゼ将軍の名前である。
 俺と共通なのは、最初のルイだけ。貴族臭い、長ったらしい名前だ。

 そっと、俺は、その場を離れた。廊下の隅に移動する。
 いくら俺でも、男女が2人きりでいる現場に踏み込む勇気はなかった。
 というか、ドゼ将軍、さっそくサン=シル将軍の忠告に従ったわけだな。兵士達と女を共有するのは止めろ、愛人を持て、という。
 もしそうなら、めでたいことだ。

 サン=シル将軍は、不特定多数を相手にすることで罹る病気を、心配していた。口にするのも憚られる、あの病だ。
 とにかく、恐ろしい病らしい。症状が進むと、鼻がもげることもあると聞く。対策として、専用の付け鼻があるそうだが。

 両頬に傷がある上に、付け鼻。いくら俺でも、さすがに、彼のイケメンを布教することが難しくなる。だって、不名誉な病に罹ったことを、顔で宣伝しているようなものだからな。
 グアヤク木(*1)や水銀療法がいいとされるが、気休めに過ぎないらしい。要は、不治の病なのだ。

 だが、

愛人を持ったなら、病気に罹る心配はなかろう。

で、しっかり囲っておきさえすれば。

 ……ドゼ将軍、結婚すればいいのに。

 そう思って、俺は、ふるふると頭を横に振った。
 結婚はダメだ。失敗するに決まってる。だって、この俺でさえ、うまくいかなかったのだから。紅顔の美青年たる、この俺でさえ! 
 だいたい、軍人などというものは、人生の大半を戦場で過ごすものだ。家にいる時間は、ごく、短い。裏切らない妻なんて、この世に存在するわけがない。愛人を持つ方が、どんだけマシか!

 考えれば考えるほど、早く身を固めようとした過去の自分に腹が立ってきた。全く、結婚なぞ、するものではない。俺は、アデレイド(元妻)には、はい、あーんして、なんて、一度たりとも、やってもらったことなんか、ないし!
 ひどい怪我をしたけど、ドゼ将軍、うらやましすぎるぜ! やっぱり、戦士には、安らぎを与えてくれる女性が必要だ。

のな!


 俺は、下劣な覗き屋ではない。ドゼ将軍の幸せを祝して、帰ろうかと思った。だが、あの日、彼が、戦場で撃たれてから、俺は一度も、彼に会っていない。
 どうしても会いたかった。元気な顔を確認したかった。そして褒めてほしかった。ディアースハイムの戦いは、勝利目前だった。俺は、2回もあの場所を占領した。翌日は、旅団を率いてオーストリア軍左側面を襲い、これを撃退した。俺には、ドゼ将軍に褒めてもらう資格がある!

 それなのに、まさか、愛人と一緒とは。
 あの、ドゼ将軍が。
 日を改めた方がいいのかなあ。
 でも、会いたい……。

 迷っていたら、ドアが開いた。
 盆を手にした女が出てきた。
 金髪で青い目、きれいな女性だ。だが、俺の好みとしては、少しばかり口が大きすぎた。経験則から、年齢も好みではない。アデレイド(離婚した妻)より、明らかに年上だ。

 女性は、しずしずと廊下を歩いていく。柱の陰に隠れている俺に気づくことなく、階段を下り始めた。

 彼女と入れ違いに、屋上から、シーツを抱えたメイドが下りてきた。
「おい、あれは、誰だ?」
 ドゼ将軍の部屋に入るのはとりあえず後に回し、彼女を引き留めた。

「ひっ!」
シーツの塊に目の前を覆われていたメイドは、不意に声を掛けられ、悲鳴をあげた。

「静かに! あの女性を知っているか!?」

 メイドは、小さな少女だった。彼女は、階段の手すりから首を突き出して、下を眺めた。高く結った金色の髪を確認する。

「モンフォール大尉の奥さん」
「モンフォール?」
亡命貴族(エミグレ)だよ」
「エミグレ!」
 共和国に反旗を翻し、外国に逃れた貴族将校だ。

 エミグレ達の多くが、家族を(フランス)に残していた。その方が安心だと、考えたのだろう。彼らには領土があった。いざとなったら、領民が、自分の家族を守ってくれると、信じたのだ。
 自分達一族が、さんざん、搾取してきた領民が。自由と平等に目覚めた、新しい市民が。

 階下で、ドアがばたんと閉まる音がした。彼女は、どこかの部屋に入ったらしい。
「おい、モンフォール夫人はこのホテルに泊まっているのか?」
「彼女のお母さんが、長いお客さんだよ。ルイーゼは子どもを連れて、お母さんの部屋に転がり込んできた」

 そうか。ルイーゼという名か。つか、子持ち!

「まさか、それ、」
「安心しな。エミグレの旦那の子だよ」
 したり顔で、メイドは答えた。

 国内居住が確認できない貴族の財産は、国に没収された。残された家族は、生計を立てるのに、非常な困難を強いられている。夫の亡命で、ルイーゼも、財産を失い、子どもを連れて、母親の元へと転がり込んだのだろう。

「なら、」

 さらに質問を重ねようとすると、目の前に、にゅっと、手が差し出された。俺は舌打ちし、硬貨を一枚、汚い掌に載せた。

「もう1スー」

 仕方がない。言われるままに、硬貨を一枚、追加する。

「彼女は、ドゼ将軍の……」
ちらっとメイドを見た。まだ子どもだ。言葉を選び、俺は問うた。
「彼女は、ドゼ将軍の、女友達か?」

「2人は

ッてるよ。随分前から」
少女は答えた。







───・───・───・───・───・

*1 グアヤク木
南アメリカ原産の木
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登場人物紹介

ルイ=ニコラ・ダヴー


後の帝国元帥。勇敢で正義感が強く、有能。

えーと、これでよろしいでしょうか、ダヴー様……。

ルイ・シャルル・アントワーヌ・ドゼ


ライン軍将校。前衛突撃型。少数の精鋭騎兵の先頭で馬を走らせ、敵に突っ込むタイプ。

高潔で下劣、複雑な二面性を併せ持つ。

アンベール


モーゼル軍右翼司令官から、ライン・モーゼル軍師団長へ。ダヴーの上官。

サン=シル


ドゼの戦友、ライバル。詰将棋のような、確実な戦闘をする。ドゼより4歳年上。

ボナパルニスト諸氏が言うほど、変人じゃない気が……。軍人として、むしろ、常識人。



ブログ「サン=シル」

サヴァリ


ドゼの副官。

ボナパルト時代の彼の失策を考えるに、単純な人柄だったんじゃないかな。それだけに、ドゼへの献身は本物だったと信じます。



*アンギャン公事件で、サヴァリは、憲兵隊長を務めていました。公の処刑決行を指揮したのは、サヴァリです。

 →ブログ「フランス革命からナポレオンの台頭へ1」

ラップ


ドゼの副官。勇敢だが、とにかく怪我が多いことで有名。



*ラップ視点の2000字歴史小説「勝利か死か Vaincre ou mourir

 ブログ「ラップ/ラサール」

ピシュグリュ


ライン・モーゼル軍司令官。前年のオランダ戦では、騎兵を率いて、オランダ艦隊を捕獲した戦歴を持つ。



ブログ「フランス革命戦争4-2」、参照

モロー


ライン・モーゼル軍司令官。ピシュグリュの後任。赤子が母の後追いをするように、ドゼに従う。



ブログ「ジュベール将軍/モロー将軍」

マルソー


サンブル=エ=ムーズ軍将軍。ヴァンデでダヴーと出会う。ダヴーは彼を、妹の夫にと、虎視眈々と狙っている。



ブログ「フランソワ・セブラン・マルソー」

オッシュ


ジュールダンの後を引き継ぎ、サンブル=エ=ムーズ軍司令官に。ドゼは彼を、蛇蝎のごとく嫌っている。



ブログ「ルイ=ラザール・オッシュ」

オージュロー


ボナパルトのイタリア(遠征)軍からドイツ軍(ライン方面軍)司令官に。

ボナパルト嫌いの余り、作者はこの人を、良く描きすぎました。ご注意ください。

【作者より】


純粋な史実は、チャットノベル

ダヴー、血まみれの獣、あるいはくそったれの愚か者」を、ご参照ください。

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