第7話 月光と河と将軍と

文字数 3,351文字

 「着いた」
 ドゼ将軍が立ち止まった。
 そこは河原だった。黒々としたライン川が、ひそやかな音を立てて、流れていく。

 唐突に、将軍は、服を脱ぎ始めた。
 俺は、呆気にとられた。

「ド、ドゼ将軍!?」
「行水するんだよ。今日は、硝煙で体に匂いがついたから」
「しっ! しかし!」

 既に10月に入っている。しかも夜。川の水は、冷たいはずだ。
 いや、それよりも。
 ドゼ将軍は、貴族階級出身のはず。それなのに、召使の手も借りず、自分で服を脱ぎ、沐浴するというのか!?

「革命で身分制度はなくなった。俺は、自分の身の回りのことは、自分でする」
 言いながら、髪を束ねていた紐を外した。紐ではない。藁だった。
 はらりと黒髪が、肩に流れる。
 ドゼ将軍は、ざぶざぶと川の中に入っていった。
「君も来るがいい、ダヴー」

 そういわれても、俺は、服の脱ぎ方がわからない。脱いだとしても、再び着ることができるかどうか……。
 市民(シトワイヤン)としての自分の至らなさを、ドゼ将軍に諭された気がした。


 静かに、彼は、緩やかなライン河の流れを泳ぎ始めた。思いの丈、手足を伸ばし、ゆったりと水を掻き分け、進む。
 波音一つ立てず、なめらかに泳ぐその姿は、まるで、幻のように現実味がなかった。月光と川と将軍が一体になって、なんだか異界のもののように感じられる。
 人間ではない、別な生き物のようだ。
 そうか!
 俺は悟った。
 有名なローレライ(ライン河の岩場)の人魚というのは、ドゼ将軍のことだったんだな!


「何やってんだ? 早く来ないか」
「お、俺は……」
言いたくなかった。

「水の中は気持ちがいいぞ。今の季節、意外に温かいんだ」
 オットセイのように頭を水面に突き出して縦泳ぎをしつつ、将軍が誘った。
「ええと……」
「早く来いよ、ダヴー」


 ドゼ将軍は、軍がその名を採ったライン河の中で、俺と、親交を深めようとしているのだ。勿論俺は、喜んで彼の好意に応じたい。彼と仲良くなりたい。それが、ここへ来た理由だし。
 だが……。俺には、ある事情があった。


「お前、匂うぞ」
 ハイデルベルクへの出撃が長引いていたからだ。撤退撤退の連続では、体を洗う余裕なんてなかった。
「体は清潔にしておかなくちゃ。体の汚れは万病の元だ」
 なんていい人だろう。彼は、俺の健康の心配までしてくれている。
「隣にいると、鼻が曲がりそうだ。体を洗え、ダヴー」


「……です」
とうとう、俺は言った。だって、こんな思いやりに満ちた、温かい人を、不快にさせたくない。

「なに?」
「だから……です」
「聞こえないぞ」

「俺、泳げないんです!」
大声で俺は叫んだ。
「……」


 ドゼ将軍は、 深く、川底に潜り込んだ。将軍のいなくなった水面に、月光が幾つにも砕けて反射した。
 そのまま水底を移動して、こちらに近づいてくる。
 立ち上がった彼は、ぶるんと頭を振った。顔に掛かった水滴を払い、岸に向かって歩いてくる。
 背に長く掛かった髪から、ぽたぽたと水が滴っていた。背筋を伸ばし、何ひとつ隠そうとせず、彼は、真っ直ぐに歩いてくる。そのたくましい裸体を、蒼い月の光に晒したまま。

 そうだ。
 高潔で、清廉な男には、隠すものなどないのだ。
 同じ男として、俺は、強い感銘を受けた。
 その上彼は、勇敢だ。


 「ドゼ将軍」
ついに俺は言った。
「俺を、あんたの副官にしてほしい」

「副官?」
下穿きに片脚を通していた将軍が、素っ頓狂な声を出し、よろめいた。
「いや、それはちょっと。今現在、俺にはレイがいる。その上、よそから引き抜いてやろうと画策中の奴が、2人もいるし」

 なんだ。
 先約アリか。
 だが、俺はひるまなかった。

「第4補佐官でも構わない」

 この俺が、ダヴーが、第一補佐官以外を希望するとは!
 人への尊敬とは、自分の誇りを台無しにしても惜しくないと思わせるのだ。初めて知った。
 まあ、第4だって構やしない。いずれ、他の奴らを蹴落として、ドゼ将軍の、第一補佐官の座まで、のし上がってやる。俺の実力をもってすれば、たやすいことだ。


 だが、ドゼ将軍は、どこまでも慎ましい人だった。シャツを羽織りつつ、彼は答えた。
「4人も補佐官を持つなんて、軍の予算が許さないよ」
「無給でも……いや、無給はさすがに……」
生活できないし。俺は言い澱んだ。

 すかさず、ドゼ将軍が口を出した。
「第一、アンベール将軍が嫌がるだろう。彼は、優秀な部下を手放したりしないよ」
「問題ない! アンベール師団は、むしろ喜んで、俺を追い出すと思います!」
「……」

ドゼ将軍の顔が、微妙に歪んだ。

「しかしなあ」
「俺のどこに不具合が?」

 ぐっと、ドゼ将軍の喉が鳴った。
 ためらい、彼は口にした。
「2年前、君は、上官にむけて、発砲命令を出したろ?」
「……う」

 まさか、上官に銃を向けるような奴は、自分の副官にできないと? 免職になった貴族の上官の後について行って、監獄に放り込まれるような、忠義な人だもんな……。
 でも、彼には、共和国に刃を向ける気は、毛頭なかった。

「あなたを銃撃するような真似はしません。だってあなたは、決して、国を裏切らないから」


 そうだ、とも、違う、とも、ドゼは答えなかった。
 ただ、無言で俺を見つめている。
 答えなんて、わかりきっているからだ。
 この人が、(フランス)を、裏切るわけがない。
 俺は、自分の大義を説明する必要を感じた。


「それは、デュムーリエ将軍(*1)が、(フランス)を売ろうとしたからです」




 ヴァルミー、ジェマップ(*2)の勝者、デュムーリエは、あろうことか、オーストリアと密通していた。
 政府もこの事実を把握していた。パリから、4人の委員と戦争大臣が、彼を逮捕しに来た。しかしデュムーリエは、逆に彼らを拘束してしまった(*3)。そして、この5人を手土産に、オーストリア軍に下ろうとしたのだ。

 さらにデュムーリエは、ブリュッセルに駐屯していた麾下の軍に、パリへ進軍するよう、説得を始めた。
 義勇兵による歩兵部隊、第3ヨンヌ軍に。
 俺の部隊だ。



▼───

 「構え筒!」
 事の次第は伝わっていた。デュムーリエが話し終わらないうちに、俺は命じた。
「司令官に向けて、発砲!」
 
 誰も発砲しなかった。
 訓練と思って銃を構えた兵士どもは戸惑い、こちらの様子を窺っている。

「上官の命令を聞かんか! とっとと引き金を引け!」
「だって、あの人は、デュムーリエ将軍だべよ。おらが司令官だぁ」
「ジェマップの英雄だも」

 「そうだ。私はフランス北方軍の最高司令官、デュムーリエだ」
 すかさず裏切り者(デュムーリエ)がアピールする。

 俺は、激怒した。
「何が最高司令官だ。こいつは売国奴だ。共和国への反逆者だ! 上官の命令だ! 発砲せよ!」

「いやいやいや、ダヴー中尉よ。デュムーリエ将軍は、あんたの上官だべ?」
「つうことは、おらが上官だぁ、あんたより偉い」
「たいがいのことは、あんたに従ってきたけどよ。これだけは無茶苦茶が過ぎるぞよ」
「うるさい!」

 兵士共がためらっている間に、デュムーリエに逃げられてしまった。

▲───



 「あれは、本当に、惜しいことをしました」
「……」
「脚の一本も、粉砕すべきでした」
「……」

 なぜかドゼ将軍は、空を仰いだ。
「ドゼ将軍?」







───・───・───・───・───・

*1 デュムーリエ将軍。
詳しく↓
https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-135.html


*2 ヴァルミー、ジェマップの戦い
ヴァルミーは、フランス革命軍が初めて勝利した戦い。革命戦争が勃発してすぐ、フランスは、ロンウィ―、ヴェルダンの要塞を続いて失った。そんな中、ヴァルミーの戦いで強敵といわれたプロイセンに勝利、続くジェマップで、オーストリア軍に勝利した。これにより、フランスは、ベルギー進出の足掛かりをつかんだ。
詳しく↓
https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-134.html


*3 デュムーリエに拘束された戦争大臣
オーストリアの捕虜となった戦争大臣ボーノンヴィルBeurnonvilleは、オルミッツの監獄で30ヶ月を過ごし、1795年11月3日、タンプル塔に監禁されていたマリー・テレーズ(ルイ16世の娘)と、人質交換の形で、フランスへ返された。







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登場人物紹介

ルイ=ニコラ・ダヴー


後の帝国元帥。勇敢で正義感が強く、有能。

えーと、これでよろしいでしょうか、ダヴー様……。

ルイ・シャルル・アントワーヌ・ドゼ


ライン軍将校。前衛突撃型。少数の精鋭騎兵の先頭で馬を走らせ、敵に突っ込むタイプ。

高潔で下劣、複雑な二面性を併せ持つ。

アンベール


モーゼル軍右翼司令官から、ライン・モーゼル軍師団長へ。ダヴーの上官。

サン=シル


ドゼの戦友、ライバル。詰将棋のような、確実な戦闘をする。ドゼより4歳年上。

ボナパルニスト諸氏が言うほど、変人じゃない気が……。軍人として、むしろ、常識人。



ブログ「サン=シル」

サヴァリ


ドゼの副官。

ボナパルト時代の彼の失策を考えるに、単純な人柄だったんじゃないかな。それだけに、ドゼへの献身は本物だったと信じます。



*アンギャン公事件で、サヴァリは、憲兵隊長を務めていました。公の処刑決行を指揮したのは、サヴァリです。

 →ブログ「フランス革命からナポレオンの台頭へ1」

ラップ


ドゼの副官。勇敢だが、とにかく怪我が多いことで有名。



*ラップ視点の2000字歴史小説「勝利か死か Vaincre ou mourir

 ブログ「ラップ/ラサール」

ピシュグリュ


ライン・モーゼル軍司令官。前年のオランダ戦では、騎兵を率いて、オランダ艦隊を捕獲した戦歴を持つ。



ブログ「フランス革命戦争4-2」、参照

モロー


ライン・モーゼル軍司令官。ピシュグリュの後任。赤子が母の後追いをするように、ドゼに従う。



ブログ「ジュベール将軍/モロー将軍」

マルソー


サンブル=エ=ムーズ軍将軍。ヴァンデでダヴーと出会う。ダヴーは彼を、妹の夫にと、虎視眈々と狙っている。



ブログ「フランソワ・セブラン・マルソー」

オッシュ


ジュールダンの後を引き継ぎ、サンブル=エ=ムーズ軍司令官に。ドゼは彼を、蛇蝎のごとく嫌っている。



ブログ「ルイ=ラザール・オッシュ」

オージュロー


ボナパルトのイタリア(遠征)軍からドイツ軍(ライン方面軍)司令官に。

ボナパルト嫌いの余り、作者はこの人を、良く描きすぎました。ご注意ください。

【作者より】


純粋な史実は、チャットノベル

ダヴー、血まみれの獣、あるいはくそったれの愚か者」を、ご参照ください。

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