第6話 兵士たちの野営

文字数 3,097文字

 マンハイムの街中に、ドゼ将軍の姿はなかった。
 僅か1ダースの騎馬隊では、敵の深追いはしないはずだ。とっくに、帰陣しているはずなのに。
 ドゼという将軍に、興味が湧いた。直接会って、話がしたかった。


 「ドゼ師団なら、町の前にいるよ」
教えてくれたのは、顔見知りの准将だった。

 マンハイム城門の外へ出てみると、川べりに、大勢の兵士たちが野営していた。
 辺りは既に、暗くなっていた。
 兵士たちは、火を焚き、夕食の真っ最中だった。車座になって座り込み、怪し気な液体を回し飲みしている。真っ赤な顔になり、ひどい節回しで、歌い出す者もいた。

 その中の一人の両頬に、傷があると思ったら、ドゼ将軍だった。周りの酔っ払いは、誰も、彼が師団長だと気づいていないようだ。酸っぱい匂いのする酒を勧め、げらげら笑いながら、肩を叩いたりしている。
 これがもし、将軍だとわかってやっているなら、銃殺ものだ。


 俺の不穏な表情に気づいたドゼが、唇の前に、指を一本立てた。立ち上がり、車座から、離れようとする。

「おっ、女か!」
隣の兵士が、嬉しそうに声を掛ける。
「まあな」
「エリーゼの順番が回ってきたのか?」
「いや、それは来週だ」
「別の女か。お盛んなことだ」

 冷やかしの声を背に受け、ドゼは、歩き始めた。
 慌てて俺も、後を追う。




 「ルイ=ニコラ・ダヴー。旧モーゼル軍の准将です」
 少し歩いて、周りに人がいなくなると、俺は自己紹介した。
 一応相手は将軍で、俺より身分が上だから、敬語を使った。

ヴェグーの騎士(シュヴァリエ ド ヴェグー)だ」
相手はそう、名乗った。

「ヴェグーの騎士?」
聞いたことのない呼び名だ。
「昔はそう名乗ってた。区別するために。だが、もうその必要はなくなった。ドゼでいい」 
 誰と区別する為か、言わなかった。多分、兄か弟だろう。その、兄か弟が死んだかどうかしたので、区別する必要がなくなったのだ。


 「君のことは知ってるよ、ダヴー。会えて嬉しい」
 温かい声だった。

 ……う、生れて初めてかもしれない、
 俺は思った。
 人から、こんな風に暖かく、迎え入れられたのは。
 大抵の人は、心に幾ばくかの恐怖と嫌悪を感じつつ、俺を出迎えるから。

「こっ、こちらこそ。助けて頂いて。俺の兵士達も。そのう、マンハイムの城壁の前で。あ、あ、あり……」
 今まで俺は、礼というものを述べたことがない。うまく言えずに、どもってしまった。
「ありが……ありがとうございました」

「自分の仕事をしたまでだ」
目を瞑り、決死の覚悟で述べた礼の言葉を、ドゼは簡単に受け流した。

「上アルザスに、ヴルムザーを引き付けておけなかった、わが師団の責任もあるし」

 ドゼ将軍は、自分の非力を反省しているようだ。
 「またな(オーヴォワール)」だの、「さようなら(アデュー)」だのと言い散らかしてドゼ将軍をかばい、それだけならまだしも、返す刀で俺をおちょくりやがった兵士どもに、一矢報いた気分だ。
 俺は、おおいに気を良くした。

 にわかに、ドゼの目の色が、深みを増した。

「だが、あれはあれで、辛い仕事だった。ヴルムザーが、ストラスブール出身なのは、知っているか?」
「ええ、まあ。ええと……」

 決して知らなかったわけじゃないぞ。だが、俺の態度を煮え切らないと見たか、ドゼが説明してくれた。

「7年戦争では、ヴルムザーは、フランス軍として戦った。イギリスとフランスが講和を結ぶに及び、彼は、神聖ローマ帝国軍に移籍し、ハプスブルク家に仕え始めた」
 ドゼは言葉を切った。
「つまり、フランス軍出身の彼の元には、エミグレが多く集まっていたということだ。」
「エミグレ!」


 エミグレとは、亡命貴族のことだ。共和制に反旗を翻し、王家に忠誠を誓った貴族たち……中でも、将校であった彼らは、亡命貴族(エミグレ)軍を結成、諸外国に援助を頼み、母国フランスに戦いを挑んでいた。


「……裏切り者めらが」
低い声で、俺は唸った。


 俺は、根っからの共和主義者というわけではない。むしろ、ジャコバンは嫌いだ。
 だが、母国(フランス)を裏切ることなど、考えたこともない。それは、とてつもない犯罪だ。


「君は、そう言うと思った」
そう言うドゼは、どこか悲しそうだった。
「だが、エミグレとの戦いは、即ち、同じフランス人同士の戦いだ。物資に乏しい彼らの攻撃は、身も蓋もないゲリラ戦だった。上アルザスでの戦いは、同国人同士の殺し合いに他ならなかった」

「……」
俺は言葉を失った。

「部下の兵士たちの攻撃が甘くなっても、それは仕方のない側面もあった。同国人を殺す辛さのあまり、覇気をなくすやつもいてな。だが俺は、部下を責める気にはなれなかった」
「……」

「まあ、そういうことだ。ヴルムザー軍を取り逃がし、ネッカー川の君の部隊に皺寄せが行ってしまったことを、許してやってほしい」


 ひどく、俺は感動した。
 こんなに深い、フランスの悩みを語り合うことができるなんて。それも、まるで、将軍自身の苦しみを話しているような、苦悩に満ちた口ぶりだった。
 ドゼ将軍の懐の深さを、俺は感じた。


 俺は、口下手で、誤解されやすい性格だ。だが、この人となら、うまく意思疎通ができる気がする。
「ひとつ、聞きたいことがあります」
それで、俺は言ってみた。

「なんだ?」
「さっき、戦場で、笑ったでしょう? 兵士どもに俺が、号令を掛けた時」
「笑った? 俺が?」

 ドゼ将軍には、心当たりがないようだった。だが、俺は、はっきりと覚えている。
 嫌な笑いではなかった。
 逆だ。
 無限の好意と優しさを、俺は感じた。

「ええ。俺があいつらに、急いで撤退するように、命じた時……」
 ……全軍撤退! 町の城壁の内へ入れ! 無駄死には許さんぞ! 逃げきれ! 生きて逃げるんだ!

「ああ!」
ドゼ将軍は合点がいったようだった。
「笑ったんじゃない。感心したんだ。君は、兵士たちを大事にしているんだな」

 別に俺は、兵士たちを大事にしているわけじゃない。あいつら、すぐ、俺のことを舐めくさりやがるし。
 ドゼ将軍の方がよほど、兵士たちに慕われている。彼の悪口を言おうものなら、すかさず、怒りの声が飛んでくるくらいだ。

 これはいったい、どうしたことだろう。

 考えた末、ドゼ将軍は、俺の甘っちょろさを指摘したのだと、気がついた。確かに、兵士どもに舐められるようでは、一人前の将校とはいえない。
 弁解を試みる必要を感じた。

「俺はまだ、ライン=モーゼル軍へ来て、日が浅いんです。だから兵士どもは、対等な口をききやがるんです。で、つい、あんな命令を……。でも、少ししたら、やつら、俺のことを恐れるようになると思います。今までずっと、そうでしたから」

「……」

 将軍は立ち止まった。
 俺の頭の先からつま先まで、じっくりと見回した。
 彼は、何も言わなかった。
 兵士どもへの、今までの俺の甘っちょろい管理が許されたのだと、俺は感じた。
 ほっとした。以後、気を引き締めて、兵士どもをびしばし、指導しよう。
 俺は、この人に嫌われたくない。







───・───・───・───・───・

ドゼが語っているエミグレとの戦いについて、2000字程度の掌握小説があります
「勝利か死か Vaincre ou Mourir」
(ドゼ自身の言葉です。副官のラップの返事が、日本でも有名です)
https://novel.daysneo.com/works/ce849fe5a968ea364fb1485a2fc68ba8.html

5月末に、上記2000字小説を元にした短編を、アルファポリスさんで公開します。こちらの方か、言葉が多い分、ラップの気持ちが伝わるかと思います。タイトルは同じ「勝利か死か Vaincre ou Mourir」です。


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登場人物紹介

ルイ=ニコラ・ダヴー


後の帝国元帥。勇敢で正義感が強く、有能。

えーと、これでよろしいでしょうか、ダヴー様……。

ルイ・シャルル・アントワーヌ・ドゼ


ライン軍将校。前衛突撃型。少数の精鋭騎兵の先頭で馬を走らせ、敵に突っ込むタイプ。

高潔で下劣、複雑な二面性を併せ持つ。

アンベール


モーゼル軍右翼司令官から、ライン・モーゼル軍師団長へ。ダヴーの上官。

サン=シル


ドゼの戦友、ライバル。詰将棋のような、確実な戦闘をする。ドゼより4歳年上。

ボナパルニスト諸氏が言うほど、変人じゃない気が……。軍人として、むしろ、常識人。



ブログ「サン=シル」

サヴァリ


ドゼの副官。

ボナパルト時代の彼の失策を考えるに、単純な人柄だったんじゃないかな。それだけに、ドゼへの献身は本物だったと信じます。



*アンギャン公事件で、サヴァリは、憲兵隊長を務めていました。公の処刑決行を指揮したのは、サヴァリです。

 →ブログ「フランス革命からナポレオンの台頭へ1」

ラップ


ドゼの副官。勇敢だが、とにかく怪我が多いことで有名。



*ラップ視点の2000字歴史小説「勝利か死か Vaincre ou mourir

 ブログ「ラップ/ラサール」

ピシュグリュ


ライン・モーゼル軍司令官。前年のオランダ戦では、騎兵を率いて、オランダ艦隊を捕獲した戦歴を持つ。



ブログ「フランス革命戦争4-2」、参照

モロー


ライン・モーゼル軍司令官。ピシュグリュの後任。赤子が母の後追いをするように、ドゼに従う。



ブログ「ジュベール将軍/モロー将軍」

マルソー


サンブル=エ=ムーズ軍将軍。ヴァンデでダヴーと出会う。ダヴーは彼を、妹の夫にと、虎視眈々と狙っている。



ブログ「フランソワ・セブラン・マルソー」

オッシュ


ジュールダンの後を引き継ぎ、サンブル=エ=ムーズ軍司令官に。ドゼは彼を、蛇蝎のごとく嫌っている。



ブログ「ルイ=ラザール・オッシュ」

オージュロー


ボナパルトのイタリア(遠征)軍からドイツ軍(ライン方面軍)司令官に。

ボナパルト嫌いの余り、作者はこの人を、良く描きすぎました。ご注意ください。

【作者より】


純粋な史実は、チャットノベル

ダヴー、血まみれの獣、あるいはくそったれの愚か者」を、ご参照ください。

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