第28話 ライン渡河

文字数 2,532文字


 ケールを引き渡しはしたが、ドゼ師団は、まだ、戦う意思に満ち満ちていた。
 俺達は、何も諦めてはいなかった。
 ドゼ将軍がそうだったからだ。
 師団長の下、結束して、物資を集め、訓練に励んだ。

 前の司令官、ピシュグリュも文句を言っていたが、ライン軍は、貧乏だ。とにかく、物がない。
 特に、馬の不足は深刻だった。

 「牛に馬具をつけましょう」
思い余って、砲兵が提案した。なるほど、大砲を運ぶだけなら、牛で充分だ。
「俺に任せろ!」
 即座に俺は、牛の徴収に走ろうとした。
 俺を見込んでくれたドゼ将軍の為だ。俺は何だってやる気だった。

「待て、ダヴー」
ドゼ将軍が引き留めた。
「金を持って行け」

「金?」
俺は目を丸くした。
「洗濯女に払う洗濯代さえ、ないんですよ? いったいどこから捻り出すんです?」

「ううむ」
ドゼ将軍が唸った。唸っても、金など出てこない。

「牛なんか、ここの農民をちょっと脅してやれば、ほいほい出してきますって」
 俺のこの迫力をもってすれば、たやすいことだ。

「駄目だ」
苦し気に、将軍は呻いた。
「ツケにしてくれと頼むんだ。そのうちに、パリから、補給が、来る……はず……だ」

 盛大に、俺はため息を吐いた。
 なけなしの金貨の入った皮袋を、ドゼ将軍が押し付けてくる。強引に手渡され、俺は、さっそく、牛の徴収……じゃなくて、ツケでの購入に出掛けた。

 「船が欲しい」
背後で、ドゼ将軍がつぶやくのが聞こえた。
「四方八方に手を回して、鉄や木材を集めよう」
 船を買うと高くつく。どうやら将軍は、手先の器用な工兵に、船まで造らせるつもりのようだ。





 春になり、休戦協定の時限は切れた。

 4月19日、夜。
 パリに出向いていたモロー司令官が、闇に乗じて、こっそりと帰ってきた。

「ドゼ、お前に言われた通り、誰にも気づかれずに帰って来たぞ」

 モローは、背の高い、すらりとした美丈夫だった。髪は金色で、無駄に美しい。一目見て、俺は、この新しい司令官が大嫌いになった。



「パリの連中を撒くのは難しかったが、雷のように早く帰って来た」
 ドゼ将軍に媚びてる辺りも気にくわない。

「敵を欺くには、あなたはまだ不在だと思わせることが、何より重要なのです、モロー司令官」
ねぎらうように、ドゼが答えた。

 子どもが母親を見るような目つきでドゼを見つめ、モローは頷いた。



 栄光ある先遣隊の中に、俺の部隊も入っていた。
 日付が変わった、20日早朝2時。
 俺たち先遣隊は、キルステットの岸辺に集結していた。キルステットは、ストラスブールより十数キロ北にある。ここから、船で、対岸へ渡るのだ。
 この辺りは、ライン川の支流が、蜘蛛の脚のように、枝分かれしている。敵に見つかるとまずいので、船は、支流のあちこちに、分散して隠してあった。

 キルステットの対岸の、ディアースハイムが、今回の標的だ。ディアースハイムには、オーストリアの砲台が設置されている。
 恐らく敵は、我々が、ケール要塞を奪還に来ると、用心しているだろう。兵力の大部分も、ケールに集めてあるはずだ。ディアースハイムは、比較的手薄であるはずだった。



 こうした策略は、もちろん、モロー司令官の立案ではない。彼の留守を預かり、臨時の司令官を務めていたドゼ将軍と、レイニエ将軍の立てた計略だ。

 急襲が、何より、重要だった。
 それなのに、指定された時間に、船は来なかった。
 傍らに立つドゼ将軍が苛立っているのがわかる。

 このところ、雨が少なく、川の水位は低くなっていた。嫌な予感がする。すぐに伝令が、船が座礁していると、伝えてきた。
 伝令が伝え終えないうちに、川べりを、ドゼ将軍が疾走した。もちろん、俺も後を追う。
 果たして、川の真ん中で、船は立ち往生していた。

 一瞬の迷いもなく、ドゼ将軍が、川の流れに飛び込んだ。腰のあたりまでの水をかき分け、じゃぶじゃぶと船に向かって突き進んでいく。
 すかさず、俺も彼に従った。レイニエ、ルクルブ、ヤンダンモワ、デュエムの諸将も、後に続く。
 ためらい、モロー総司令官も川に飛び込んだ。

 4月とはいえ、川の水は冷たかった。ましてや、この後に、激戦が控えている。体温を奪われるのは、好ましいことではない。それでも、川に飛び込むのをためらう将校は、一人もいなかった。
 師団長のドゼが、先陣を切って飛び込んだからだ。


 「転ぶなよ。ダヴー、お前、泳げたか?」
一番最初に脇に並んだ俺に、ドゼ将軍が声を掛けた。
「習いました! 完璧、泳げます!」
「よし」
「だから、俺を副官に……」
「その話はあとだ!」

 その頃には、他の連中も、座礁した船の周りに取り付いていた。
 中には、軍服を頭の上に結わえ付けているやつもいる。濡れないようにだ。その冷静さに、俺は感心した。

 みんなで、座礁した船を、力づくで、流れに戻そうとする。
 冷たい船体に体を押し付け、力いっぱい押す。

「馬鹿力だけじゃ、駄目だ! 力を合わせるんだ」
 レイニエが叫んだ。彼は、モローの参謀だ。
「1、2、3、それっ!」

 俺を始め、ルクルブ、ヤンダンモワ、デュエズム、師団長のドゼまでもが、レイニエの号令に合わせて船を押す。頭を下げ、肩を船に押し付け、力いっぱい、押し戻そうとする。
 モローも、おずおずと手を出していた。
 この春着任したばかりの司令官殿は、まだ、ライン軍に慣れていないらしい。

「もう一度。1、2、3、それっ!」
 将校たちの肩と腕の力だけで、船は、水底の岩から解き放たれた。


「オールが!」
船の上から工兵が叫んでいる。
 全ての平船のオールを積んだ船は、船団の最後尾で横倒しになり、沈みかけていた。
 岸辺の歩兵たちが、水に流されてきたオールを拾い集めた。


 「くそ、陽が昇る!」
誰かが叫んだ。
 しらじらと、夜が明けかけていた。これでは、対岸から丸見えだ。奇襲にならない。

「だが、延期はなしだ。急襲が、何より重要だ。白昼堂々と、討って出ようではないか」
 ドゼ将軍が檄を飛ばした。

 不安が吹き飛ばされていくのを感じる。ドゼ将軍がそう言うのなら、間違いない。
 彼は、軍神だ。
 迷いはなかった。この人が一緒なら、敵に見つかることも、怖くない。

 午前6時。
 俺の部隊を含め、3つの部隊が、ライン河に乗り出した。








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登場人物紹介

ルイ=ニコラ・ダヴー


後の帝国元帥。勇敢で正義感が強く、有能。

えーと、これでよろしいでしょうか、ダヴー様……。

ルイ・シャルル・アントワーヌ・ドゼ


ライン軍将校。前衛突撃型。少数の精鋭騎兵の先頭で馬を走らせ、敵に突っ込むタイプ。

高潔で下劣、複雑な二面性を併せ持つ。

アンベール


モーゼル軍右翼司令官から、ライン・モーゼル軍師団長へ。ダヴーの上官。

サン=シル


ドゼの戦友、ライバル。詰将棋のような、確実な戦闘をする。ドゼより4歳年上。

ボナパルニスト諸氏が言うほど、変人じゃない気が……。軍人として、むしろ、常識人。



ブログ「サン=シル」

サヴァリ


ドゼの副官。

ボナパルト時代の彼の失策を考えるに、単純な人柄だったんじゃないかな。それだけに、ドゼへの献身は本物だったと信じます。



*アンギャン公事件で、サヴァリは、憲兵隊長を務めていました。公の処刑決行を指揮したのは、サヴァリです。

 →ブログ「フランス革命からナポレオンの台頭へ1」

ラップ


ドゼの副官。勇敢だが、とにかく怪我が多いことで有名。



*ラップ視点の2000字歴史小説「勝利か死か Vaincre ou mourir

 ブログ「ラップ/ラサール」

ピシュグリュ


ライン・モーゼル軍司令官。前年のオランダ戦では、騎兵を率いて、オランダ艦隊を捕獲した戦歴を持つ。



ブログ「フランス革命戦争4-2」、参照

モロー


ライン・モーゼル軍司令官。ピシュグリュの後任。赤子が母の後追いをするように、ドゼに従う。



ブログ「ジュベール将軍/モロー将軍」

マルソー


サンブル=エ=ムーズ軍将軍。ヴァンデでダヴーと出会う。ダヴーは彼を、妹の夫にと、虎視眈々と狙っている。



ブログ「フランソワ・セブラン・マルソー」

オッシュ


ジュールダンの後を引き継ぎ、サンブル=エ=ムーズ軍司令官に。ドゼは彼を、蛇蝎のごとく嫌っている。



ブログ「ルイ=ラザール・オッシュ」

オージュロー


ボナパルトのイタリア(遠征)軍からドイツ軍(ライン方面軍)司令官に。

ボナパルト嫌いの余り、作者はこの人を、良く描きすぎました。ご注意ください。

【作者より】


純粋な史実は、チャットノベル

ダヴー、血まみれの獣、あるいはくそったれの愚か者」を、ご参照ください。

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