第41話 メッサリナへ

文字数 2,790文字

 ドゼ将軍が出掛けてしまって、寂しい。戦争もなくなり、趣味の人殺しもできなくなった。ケンカをふっかけるなと釘を刺されたから、ささやかなレクリエーションを楽しむこともできない。(俺は、ドゼ将軍の言いつけは、守る)


 「パリへ行ってみようかな」
俺がつぶやくと、サヴァリが目を剥いた。
「なんだって!? ダヴー。君が? パリに?」

「なんか文句あるのかよ」
「いや。ただ、あまりに似つかわしくないと思って」
「なんで」
「なんで、って……。パリといったら、文化だろ、芸術だろ……おいしい食事にワイン、芝居と音楽、きれいな女性だって、たくさんいる」

「パリの女は、怖いぞ」
呼ばれてもいないのに、ラップがやってきた。
「メッサリナ(*1)ばかりだぜ、パリの女は」

「女なんか」
侮蔑のしるしに、俺は鼻を鳴らした。

「じゃ、何しに行くんだよ」
 全くわからない、といった風に、ラップが首を傾げる。俺より3つも年下のくせに、傲慢な男だ。今に女に、うんと泣かされるがいい。


「聞いて驚けよ」
俺は、胸を張った。俺には、偉大な計画があるのだ。
「お前らの、未払い給料を、支払ってもらいに行く」

「えっ!」
 サヴァリとラップは顔を見合わせた。
「滞納している給料を?」
「政府から取り立てに行くのか?」

 ひどく驚いている。この高貴な仕事をやっと理解できたようだ。搾取され続け、善後策さえ講じられない哀れな2人に、俺は、鷹揚に頷いてみせた。

「そうだ。お前らだけじゃない。勇敢なライン軍兵士全員の給料未払い分を、全額、搾り取ってきてやる」

 歩兵の殆どは、徴兵されてきたやつらだ。金がなければ、除隊になっても、故郷へ帰ることができない。

「確かにダヴー。お前が迫れば、政府も怖気づくだろうが……」
うなるラップに、おずおずとサヴァリが重ねる。
「それは、民主制と違くないか?」
「いや、滞納する方が悪いから」
「ああ、そうか。そうだな……」

「だが、ダヴー。どうやって?」

 ずばり、ラップが問う。こんな簡単なことがわからないなんて、頭の悪い奴だ。なんで、こんなやつがドゼ将軍の副官なんだ? ラップは、勇敢なだけの、頭空っぽ男だ。

「俺達には、伝手があるじゃないか」
「伝手?」
「ピシュグリュだよ。かつてのライン・モーゼル軍司令官の」

「ピシュグリュ!」(*2)
 ラップとサヴァリが声を合わせた。

「あの人は今では、五百人会の議長だ。大変な実力者なんだ」

 ライン軍司令官を辞任した後、ピシュグリュは、議員になった。そしてこの春、めでたく下院(五百人会)の議長の座を射止めたのだ。

「なるほど!」
 サヴァリが手を打った。
「だが、そんなに出世しちまった人が、お前なんかに会ってくれるかな?」

「お前なんかとはなんだ、お前なんかとは! 会うに決まってるわ!」
 何しろ俺は、有能な部下だったからな。短い間だったけど。
「マンハイムに置き去りにされた件を、俺は、忘れてないからな」


 マンハイムに俺らが立てこもっている間に、あろうことか、ピシュグリュは、ライン軍司令官の辞表を提出しやがったのだ。その後の戦線も、撤退、撤退、の連続だったし。
 なんという覇気のなさであろう! どうせ辞めるからいいや~、って感じの、消化試合(せんそう)感丸出しではないか。

 その間、ドゼ師団はじめ、各師団が、決死の抵抗を試みていたというのに。俺達だって、武器もなく、飢えに苦しみつつ、立て籠っていたのだ。
 敗戦後、責任を取って辞任した、ジュールダン将軍(サンブル=エ=ムーズ軍元司令官)でさえ、あの時は、俺らの勇気に鼓舞されて、進軍を開始したというのに!


「人が頑張っている最中に、辞表を提出するとは、なんたる人非人! 下院議事堂(ブルボン宮殿)の前で、ピシュグリュのダメダメぶりを、暴き立ててやる。拡声器でな」

「君は、執念深い男だな、ダヴー」
呆れたように、ラップが首を横に振る。

「ほほん。君の未払い給料は、取り立ててこなくてもよいのだよ、ラップ君」
「いや……頑張ってきてください、ダヴー先輩!」







 ドゼ将軍の新しい補佐官達、すっかり俺に心酔した2名に見送られ、ストラスブールを旅立った。

 ヴォージュ山脈に沿って北上し、山間の隘路を、西へ折れる。晩夏の季節は、色彩豊かな秋に移り変わろうとしていた。木々の梢に日差しは遮られ、山道は、涼しく、快適だった。自分の汗の匂いに混じって、落葉前の木の葉の、最後の芳香がする。


 比較的なだらかな道を、ひたすら、馬を走らせていた時だ。
 たくさんの馬を走らせる、蹄の音がした。

 蹄だけじゃない。大勢の足音、話し声、甲冑の触れ合う音……。
 軍の行軍だ。それもかなり大きな。

 反射的に先頭の軍旗に目をやる。サンブル=エ=ムーズ軍だった。ライン・モーゼル軍(わが軍)と連携して、ドイツで戦ってきた友軍だ。
 レオーベン条約のおかげで、彼らも、停戦に入ったはずだ。どうやら、営巣地へ戻る途中のようだが、いったいどこへ行っていたのだろう。


 「待て! 止まれ!」
知らんふりしてすれ違おうとした俺を、先頭にいた憲兵が引き留めた。
「通行証を見せろ」

 アホか、こいつ。俺が、通行証も持たずに、首都へ向かうわけがないではないか。用意周到な男なんだよ、俺は。
 無言で俺は、隠しから、通行証を取り出した。


 「ルイ=ニコラ・ダヴー。ライン・モーゼル軍の准将」
 通行証を見たまま固まっているから、自己紹介してやった。まったく、世話の焼ける憲兵だ。
「もう行っていいか? パリへ行くんだ。先は長いからな」


「パリへ?」

 軍列の中ほどから男が近づいてきて、恐怖に怯えたような顔で俺を見つめている憲兵を押しのけた。俺に関する、いったいどういう噂が、サンブル=エ=ムーズ軍で広がっているというのか。勇敢で男前である、という以外に。

「私は、派遣議員のプシエルギュ。ダヴー准将。首都へは、何しに?」

 プシエルギュと名乗った男は、軍服を着用していなかった。派遣議員。つまり、サンブル=エ=ムーズ軍の、監視役だ。


「ピシュグリュに会いに行く」
別に隠すことでもないから、堂々と教えてやった。ピシュグリュは、政府の人間だ。

「ピシュグリュ!」
プシエルギュは、驚愕した声を発した。
「ダメだ。行ってはいけない」

「なぜ?」
理由もなく禁じられることが、俺は大っ嫌いだ。

「君の為だ。君は、ライン・モーゼル軍の将校なんだろ?」
「通行証の通りだ」
「だったら、余計……危険だ」
「危険?」

 むっとした。危険を恐れるようなダヴーではない。つか、かつての上官に会いにいくことの、どこが、危険なんだ?


 その時、下士官が近づいてきた。
 「ダグー准将。オッシュ司令官がお呼びです」
 恭しく、彼は告げた。







───・───・───・───・───・

*1 メッサリナ
ローマ、クラウディウス帝の妻。淫乱で冷酷であったとされる。ライン軍の隠語で、「パリ」は「メッサリナ」と言われていた

*2 ピシュグリュ
「第4話 アデュー、アデュー、愛しい人よ」に初登場









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登場人物紹介

ルイ=ニコラ・ダヴー


後の帝国元帥。勇敢で正義感が強く、有能。

えーと、これでよろしいでしょうか、ダヴー様……。

ルイ・シャルル・アントワーヌ・ドゼ


ライン軍将校。前衛突撃型。少数の精鋭騎兵の先頭で馬を走らせ、敵に突っ込むタイプ。

高潔で下劣、複雑な二面性を併せ持つ。

アンベール


モーゼル軍右翼司令官から、ライン・モーゼル軍師団長へ。ダヴーの上官。

サン=シル


ドゼの戦友、ライバル。詰将棋のような、確実な戦闘をする。ドゼより4歳年上。

ボナパルニスト諸氏が言うほど、変人じゃない気が……。軍人として、むしろ、常識人。



ブログ「サン=シル」

サヴァリ


ドゼの副官。

ボナパルト時代の彼の失策を考えるに、単純な人柄だったんじゃないかな。それだけに、ドゼへの献身は本物だったと信じます。



*アンギャン公事件で、サヴァリは、憲兵隊長を務めていました。公の処刑決行を指揮したのは、サヴァリです。

 →ブログ「フランス革命からナポレオンの台頭へ1」

ラップ


ドゼの副官。勇敢だが、とにかく怪我が多いことで有名。



*ラップ視点の2000字歴史小説「勝利か死か Vaincre ou mourir

 ブログ「ラップ/ラサール」

ピシュグリュ


ライン・モーゼル軍司令官。前年のオランダ戦では、騎兵を率いて、オランダ艦隊を捕獲した戦歴を持つ。



ブログ「フランス革命戦争4-2」、参照

モロー


ライン・モーゼル軍司令官。ピシュグリュの後任。赤子が母の後追いをするように、ドゼに従う。



ブログ「ジュベール将軍/モロー将軍」

マルソー


サンブル=エ=ムーズ軍将軍。ヴァンデでダヴーと出会う。ダヴーは彼を、妹の夫にと、虎視眈々と狙っている。



ブログ「フランソワ・セブラン・マルソー」

オッシュ


ジュールダンの後を引き継ぎ、サンブル=エ=ムーズ軍司令官に。ドゼは彼を、蛇蝎のごとく嫌っている。



ブログ「ルイ=ラザール・オッシュ」

オージュロー


ボナパルトのイタリア(遠征)軍からドイツ軍(ライン方面軍)司令官に。

ボナパルト嫌いの余り、作者はこの人を、良く描きすぎました。ご注意ください。

【作者より】


純粋な史実は、チャットノベル

ダヴー、血まみれの獣、あるいはくそったれの愚か者」を、ご参照ください。

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