第38話 惜しみない賛辞
文字数 2,183文字
パリの総裁政府や、
それだけじゃない。
オーストリアの司令官までもが、表敬訪問に訪れたのだ。今年60歳になるラトゥール元帥と、35歳のローゼンバーグ将軍が、ドゼ将軍の元を訪れた。兵器廠とストラスブールの記念碑を訪れたついでに、立ち寄ったという。
ラトゥール元帥
《≪ローゼンバーグ将軍≫
ラトゥール元帥は、マンハイムの予備軍を管理していた。先の戦いで、ライン河下流でオッシュのサンブル=エ=ムーズ軍にさんざん叩かれたヴァーネック将軍が予備軍を要請してきたが、ラトゥールは、出撃を許さなかった。
予備軍を、ライン・モーゼル軍の為に取っておいたのだ。彼は、ライン・モーゼル軍の本当の指揮官が誰か、知っていた。それは、新司令官のモローではない。前回の戦いにおいてさんざんオーストリア軍を翻弄し、流暢なドイツ語で交渉に臨み、挙げ句、ケールの要塞を空っぽにして立ち去った、ドゼである、と。
だからこそラトゥールは、
もっとも、マンハイムにいたオーストリア予備軍が動く前に、イタリアから停戦が齎されたわけだが。
ドゼ将軍の病室を訪れたオーストリアの二人の将校は、年若いかつての敵に、惜しみない賛辞を送った。
軍の将校らも、ちょくちょく、様子を見に来る。サン=シル将軍が来ると、ドゼ将軍は、とても嬉しそうだった。
2人は、長い間、一緒にいる。
ぺらぺらとしゃべりまくるドゼと、黙って聞きながら、時折、鋭く問い返すサン=シルは、対照的な友人だった。
レイニエ将軍の時は、俺や、サヴァリ、ラップは、病室から追い出された。
レイニエは、ライン軍司令官モローの参謀だ。彼は、書類の束を持ち込み、ドゼ将軍と、暗い顔をして話し合っていた。
「金の話だろう」
訳知り顔で、ラップが言う。
「どうせまた、足りないんだ」
俺達は、廊下にいた。レイニエの訪問は長引くので、このまま、司令部に帰ることにした。
「そういえば、ピシュグリュが、五百人会の議長になったって、知ってるか?」
歩きながら、サヴァリが尋ねた。
1795年10月(俺達が、マンハイムに立て籠っていた頃だ)に成立した総裁政府は、二院制だった。トップは5人の総裁で、その下に、
その五百人会の議長に、ピシュグリュが選出されたというのだ。
ピシュグリュは、かつてのライン(・モーゼル)軍総司令官である。彼はライン方面軍の司令官を、二度、務めている。
一度目は93年、この時は、モーゼル軍の司令官オッシュとウマが合わなくて、すぐに北の低地地方へ転出した。
二度目は、95年。マンハイム包囲戦の年だ。俺達が、あらゆる物資の欠乏したマンハイムで籠城している間に、ピシュグリュは、できたばかりの総裁政府に、辞表を提出していた。翌年3月まで司令官を務め(実際戦っていたのは、ドゼ師団をはじめとする、師団だった。ピシュグリュ軍は、撤退するだけだった)、彼は、軍務を退いた。そして、五百人会の議員になった挙句、ついに、議長の座に納まったのだ。
「うーん、
俺はうなった。
彼は、ドイツ語ができないと言っていたが、あれから、できるようになったのだろうか。
「ライン軍の司令官としては、俺は、
ラップが口を出す。
「オランダで、モローは、ピシュグリュの下にいたというけど、2人は全く、正反対だ」
「モロー」
くすりとサヴァリは笑った。
「『
「行き届いた花嫁だ」
俺が付け足す。
「
ケールを明け渡した後、ディアースハイムの戦いに討って出ることができたのは、モローが、パリの総裁政府に話をつけて、金を引き出してくれたお陰でもある。
総裁政府から金を持ち出せと、モローに指示したのは、ドゼ将軍だが。
「何にしろ、金がないのは、まっぴらだぜ」
太陽の下に出た。大きく伸びをして、ラップが言う。
「イタリア軍には、金も物資も豊富にあるって聞いた。ライン軍から転籍になった知り合いがいるんだ。ボナパルト将軍は、給料を、ちゃんと支払ってくれるそうだ」
三人そろって、ため息を吐いた。
俺達の給料は、まだ、未払いが清算されていない。
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*1 花嫁 la Mariée
ライン軍におけるモローのあだ名。モローは、Jean Victor Marie Moreau。"Mariée" と "Marie" を掛けたものと思われる。