第14話 過去2回の逮捕と自宅待機
文字数 1,977文字
まっすぐに俺は、母の家のある、ラヴィエール(ブルゴーニュ地方)へ向かった。
実はこれは、3度目の自宅待機である。
最初は、革命の翌年。
俺のいた、シャンパーニュ王立連隊と、地元エスダンの衛兵隊が合わさって、合同隊になった。
王立隊は、貴族出身者ばかりだが、衛兵隊は、そうではない。だが、もはや貴族も庶民もない。みんな等しく、フランスの民だ。俺はこの話に大乗り気で、承認の書類にサインをした。
これに対し、元王立隊側には、不満を抱く者が多かった。彼らは、元衛兵隊の連中にひどい仕打ちをした。
身分による優越感に基づくいじめなど、到底許されることではない。俺は上官に抗議し、逮捕された。軍隊というのは、そういうところだ。
6週間ほど収監の後、釈放された。王制が崩れ、大臣が挿げ替えられたからだ。俺は、自宅待機の身となった。
これが、1度目の自宅待機だ。
2年弱ほど自宅にいる間に、世の中は、大きく動いた。オーストリアとプロイセンがピルニッツ宣言を出し、フランス革命政府は、オーストリアに、宣戦布告をした。
さあ、戦争だ。となれば、有能な俺を、実家に押し込めておく手はない。めでたく俺は、戦場に復帰した。
革命政府の期待通り、俺は、手柄を上げ続けた。コンデやブリュッセルでは、麾下の義勇兵たちと共に、勇敢に戦った。その傍ら、裏切り者のデュムーリエの、秘書と馬を捕まえ、これにより、俺は、大尉に昇進した。
その後も、血みどろの戦いを戦い続け、准将(旅団長)に昇格。西部地方へ派遣された。が、わずか1ヶ月後にパリへ呼び戻された。将軍(師団長)昇格の辞令が出ていた。同時に、古巣のベルギーとの国境へ戻るよう、命じられた。
前にも言ったように、俺は、この話を断った。なにしろ、恐怖政治の只中だ。ジャコバン議員がしつこくつきまとってくるし。
いうまでもなく、デュムーリエが、国を裏切りやがったせいだ(*1)。
もちろん俺は、ギロチンになど、かけられるわけにはいかない。国にとって、優秀な人材が失われるわけだからな。そういうわけで、将軍になるには若すぎる(当時俺は22歳だった)、という、俺にしては珍しく当たり障りのない理由で、昇進を断った。
でも、断ってよかったんだ。だって、将軍になんかなっていたら、ドゼ将軍は、決して、副官にしてくれない……。
ついでに、命じられた赴任地への転勤も断ったら、軍にいられなくなった。俺は、再び、自宅待機の身となった。
そして、2度目の自宅待機に突入する。
この時は、大変なことが起きた。
前にちらっと話したが、母さんが逮捕されたのだ。
ある日、地方議会の行政官がやってきて、母を逮捕していった。容疑も何も言いやがらない。そんなことで、大事な母さんを渡せるわけがない。俺は、一行についていった。
母は、オセールの監獄に投獄された。近くに投宿し、なんとか、逮捕容疑を探り出した。エミグレ(*2)との通信容疑だという。その晩のうちに宿舎を抜け出し、実家のあるラヴィエールに帰った。妹のジュリーの助けを借り、往復書簡の束を探し出し、焼き捨てた。
俺の機転と、素晴らしい働きにより、母さんは釈放された。しかし、それからすぐに、母さんはまた、逮捕されてしまった。今度は俺も一緒だった。役人にしては、賢い判断だといえよう。俺は有能だからな。収監でもされない限り、騎士のごとく、母さんをさらいに行くことは、火を見るより明らかだ。
そういうわけで、俺達は再び、オセールへ連行され、投獄された。俺にとっても、2度目の投獄だ。上官に楯突いてぶち込まれた前回と違って、今回は母さんも一緒だ。むしろ嬉しかったね、俺は。
オセールの監獄で3ヶ月ほど過ごした頃、テルミドールのクーデターが起きた。ロベスピエールは死んで、ジャコバン派は追い払われた。俺と母さんは、釈放された。
政権が代わり(新政府はまだ樹立されていなかったが)、俺は再び、軍務復帰を許された。懇願されたと言ってもよかろう。なにしろ、力量のある軍人だから、俺は。
すぐに、モーゼル軍右翼のアンベール将軍の下に配属され、ルクセンブルク包囲に参加した。俺の働きで、要塞が、陥落寸前まで追い込まれた頃、ライン方面へ向かうよう、命令が出た。ここまできたら、俺がいなくても、ルクセンブルクは陥落するからな。
そして、ドゼ将軍と、運命的な出会いを果たし、オーストリアの捕虜となり、ヴルムザーとの「名誉をかけた約束」のおかげで、今回、3回目の自宅待機、ってわけだ。
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*1
6話「月光と川と将軍と」参照
*2
ロシュフーコー家との文通