第26話 大喰いの隣人

文字数 4,968文字

 ストラスブールにいるドゼ師団の元へ、サン=シル将軍が、陣中見舞いに訪れた。彼は、ケール明け渡しの後、ライン方面軍の左翼指揮官に任命され、ストラスブールから離れていた。
 サン=シルは、ドゼより4歳年上、開戦当時からずっと、ライン軍の僚友として戦ってきた。
 冷静沈着なサン=シルと、少数の騎兵だけを率いて先陣を切って突撃していくドゼは、息の合った、いいコンビだった。



 春の開戦のシーズンが近づいていた。ライン・モーゼル軍は、まだまだやる気だった。そして、河の下流に控える、サンブル=エ=ムーズ軍も。
 去年、カール大公に叩かれ、早々に撤退したサンブル=エ=ムーズ軍では、ジュールダンが辞任していた。総司令官には新たに、オッシュ将軍が着任した。王党派の蜂起の続くヴァンデ地方を平定した彼は、4年前にも、ライン方面の指揮を執ったことがある。


 ライン・モーゼル軍と、サンブル=エ=ムーズ軍。両軍の連携が、再び、調整されていた。



 「オッシュ(サンブル=エ=ムーズ軍司令官)から、わがライン=モーゼル軍に指令が来た。ライン河に沿って、哨兵線(見張り)を配置するようにと」
 作戦会議の席上、サン=シル将軍が伝えた。
「ライン河沿いの、ユナング(南:スイス近く)から、ビンゲン(北:マインツの先)まで、厳しく見張れ、と」

「随分広い範囲ですね。ライン軍の全ての人員を、分散配置しなくちゃならない」
アンベール将軍(俺の直属の上司)がつぶやく。

「反対!」
びしりと言い放ったのは、ドゼ将軍だった。
「そんなことしたら、わがライン軍の兵を、オッシュに差し出すようなものだ」

 ……?

 その場にいた全員の頭上に、クエッションマークが灯った。オッシュは、フランスの将軍だ。しかも、長引くヴァンデ地方の王党派蜂起を、この夏、ついに平定した。オッシュは、名将だ。
 ドゼ将軍は、なぜ、彼と敵対するようなことを言うのだ?

 静まり返った諸将はまるで目に入らず、ぶつぶつと、ドゼ将軍が呟いている。彼は、自分の世界に入り込んでいるようだ。
「ただでさえ、サンブル=エ=ムーズ軍は、わがライン軍より、供給が多い。物資が豊富だ。それなのにオッシュは、わが軍まで飲み込もうとしている。なんて大喰いなんだ。サンブル=エ=ムーズ軍の新司令官(オッシュ)は、大喰いの隣人だ」


「ドゼ、お前、何を言ってるんだ? サンブル=エ=ムーズ軍は、友軍だぞ。オッシュ将軍は、ジュールダンに代わって、立て直しに来たんじゃないか。ヴァンデから、7万も兵を連れて」

 盟友、サン=シルの声に、ドゼは、はっとしたような顔になった。
「俺が言いたいのは、敵が襲ってくるポイントに向かって、全ての力を団結させるべきだ、ということだ」
 夢から覚めたかのように、論理を展開し始める。
「哨兵線を使って、だらだらと防衛するのは、無価値だ。兵力を集約せねばならない。監視なら、遠目で見ているだけで充分だ」


 どよどよと、諸将はどよめいた。
 哨兵線にも、それなりの利点はある。師団を分散して配置すれば、敵の襲来に対して、迅速に対応できるからだ。
 ただ、哨兵線にライン軍の全兵士を配置し、さらにそれをオッシュが掌握するとなると……。

「ドゼ将軍に賛成です」
俺は立ち上がった。
「そもそもフランスは、軍を分けすぎる。一昨年、サンブル=エ=ムーズ軍とライン・モーゼル軍が同時にマインツを攻撃していたなら、早々にマインツを奪還できた。従って、マンハイム陥落はなかったはず」

 アンベールが頷く。あの苦しい籠城を、俺は決して忘れない。

「昨年のドイツ遠征でも、挟み撃ちは失敗しました。軍を分けるということは、即ち、通信の遮断の危険を犯すということです。まして細かく分散配置なんてされたら、見るも無残な結果にしかならない」

「うむ」
サン=シルが頷いた。
「カール大公がイタリアへ転出し、ライン河畔に残るオーストリア軍の数は目減りしている。俺も、ライン全線を見張る必要はないと考えるな」

 諸将は頷いた。哨兵線の設置には反対の旨を、サンブル=エ=ムーズ軍のオッシュ将軍に対して申し伝えることになった。

 サン=シル将軍が鼻を鳴らした。
「軍全体にそこまで目配りができるのに、ドゼ。お前、未だに中央軍の司令官を拒否してるんだってな。この俺でさえ、左翼司令官を拝命したと言うのに」

 次の戦闘で、ライン・モーゼル軍は、3つに分かれて進軍することが決まっていた。デュフォール将軍の右翼は南のユナングから、ドゼ将軍の中央軍はここストラスブールから、そしてサン=シル将軍麾下の左翼はライン河を離れ、北東の国境付近に駐屯していた。




「確かに、政府のライン軍司令官への扱いは過酷だったが……もうそこまで酷い目に遭わされることはないんじゃないか?」

 テルミドールのクーデターで、ロベスピエールがギロチンにかけられてから、1年半が経った。恐怖政治への反動から、さすがに、言いがかりのような理由で、将校達が処刑されることはなくなった。

「いや、でも、サンブル=エ=ムーズ軍のジュールダン将軍は、我々を置き去りにした責任を取って、辞任したぞ(*1)」
レイニエ将軍が口を出した。レイニエは、モローの参謀だ。
「バセットだって」

 バセットはマンハイムが包囲された時の、暫定指揮官だ。本人は、頑として認めようとしなかったけど(*2)。彼は俺と一緒にオーストリアの捕虜となったが、去年の春、捕虜交換でフランスへ帰ってきたはずだ。

「バセットね。やつも気の毒に。マンハイムを降伏させたことで、誹謗中傷を受けてな。全く、パリの奴ら、現場を何だと思っていやがるんだ。腹が立ったから、俺は、彼の弁護をしてやった」(*3)
 憤懣やる方ない、といったふうに、サン=シルは吐き捨てた。

「サン=シル。姿を見ないと思ったら、君、そんなことをしてたのか」
呆れたようにドゼ将軍がつぶやいた。

「そんなこととは何だ、そんなこととは! 俺は、正義が切り捨てられるのが、何より嫌いなんだ!」
むきになって、サン=シルが喚きたてた。サン=シル将軍を見出し、取り立てたキュスティーヌ将軍も、敗戦の責任を負わされ、ギロチンの犠牲になっているのだ。(*4)

ドゼ将軍は、全く動じない。
「正義の弁護は重要なことだ。俺が言いたいのは、無口で人見知りな君が、よく法廷で弁論を繰り広げる気になったな、ということだ」
「見損なってくれちゃ困る。これでも俺は、役者志望だったんだ」
「人というのは、意外性の塊だな」
「お前にだけは言われたくないね」

サン=シルは肩を竦めた。

「話が逸れた。本題に戻る。俺の軍(左翼)だが、マンハイムと、それからマインツにも兵士を送り込んだ。俺の兵がこの2都市の監視を肩代わりする。だからあの辺りに駐屯している軍は、今年度の戦いでは、オーストリアとの戦闘に専念できるだろう」

 包囲こそ解いたものの、マインツもマンハイムも、渡河の重要地点であることにかわりはない。おまけに付近の要塞には、武器弾薬その他、物資が貯めこまれている。常に監視下に置いておく必要があった。

「だが、そうすると、君の左翼が人員不足になるのではないか?」
気づかわし気に、ドゼ将軍が尋ねた。大きく、サン=シルは頷いた。
「中央軍から人員を分けてくれ。俺は今、ツヴァイブリュッケンにいる。あのあたりに詳しい将校が欲しい」
その目はじっと、俺の上官アンベールを見つめていた。モーゼル軍にいたアンベールは、ルクセンブルクの国境付近に、地の利がある。




アンベールはためらわなかった。
「私がお供します。あの辺りは、知らないと危険な箇所がたくさんありますから」
名将ケレルマン(*5)でさえ、この辺りの道なき道を恐れ、攻撃を控えたといわれるくらいだ。

「いいか? ドゼ」
サン=シルが戦友に許可を求める。
ドゼ将軍は頷いた。
「承知した。ただし、ダヴーは残してほしい」

 ……!
 俺の鼓動が止まった。
 いや、止まったわけじゃないけど、一瞬、打つのをやめた気がした。

「次回の戦闘は、中央軍(俺の師団)に一番負荷がかかる。いわば前衛突撃部隊だ。ダヴーを持っていかれたら困る」

「よかろう」
サン=シルは頷いた。
「下手を打つなよ」
「わかってる」

ドゼ将軍は、アンベール将軍に向き直った。
「というわけだ。いいか、アンベール」
「必ず返して下さいよ」
アンベールの声は未練がましかった。
「ダヴーは私の、大切な部下ですから」

「返せる状態ならな」
あっさりとドゼ将軍が言ってのけた。

「いいか、無理をするなよ、ダヴー。必ず無事に、この戦闘を生き延びるんだ」
諸将の前で頭頂を晒し、まるで母親のように、アンベールは俺を抱きしめた。







 作戦会議は短時間で終了し、将校達は、部屋から出ていった。
 ドゼ将軍は最後まで残っていた。俯き、何か考え込んでいる彼に近づき、俺は声を掛けた。どうしても一言、彼の気持ちにコメントしたかったのだ。
「ドゼ将軍。俺、頑張ります」
考えた末、口から滑り出た言葉はそれだけだった。ドゼ将軍には、俺の愛と献身が真っ直ぐに伝わったようだ。
「君に期待している、ダヴー。だが、アンベールの言った通りだ。無理はするな」
「無理じゃありませんから!」
殺戮は俺の趣味だ。

「君は、国の為に死ねるか?」
改まってドゼ将軍が問う。今更な質問だと思った。
「もちろんです」
「馬鹿が。命を無駄にするな」
低い声だった。彼の本音を見た気がした。これは、ここだけの話だ。
「安心してください。俺は戦場では死なない。絶対」
ドゼ将軍が眉を上げた。
「なぜ、そう言い切れる?」
「必ず勝利するからです。俺はそう、決めている」
ふわりとドゼ将軍が笑った。彼の心の重荷が少しでも取れたのならいい、と俺は思った。勝ち負けに関係なく、戦争が起これば、必ず人が死ぬ。敵だけではない。指揮官を信じて戦ってきた市民兵達もだ。彼らはドゼ将軍が立てた戦略に従って死んでいく。

「俺は、君に礼をいわねばならない」
「何です? 改まって」
こんな素直なドゼ将軍は初めてだった。いっそ、気味が悪い。
「オッシュの件だ」
「ああ」

ようやく俺は、彼の言いたいことを察した。会議で、オッシュの命令ではなく、ドゼ将軍を支持した件だ。
「自分の意見を述べたまでです。ライン軍の兵士は、癖がある。慣れないオッシュ将軍の下で、実力が発揮できるとは思えないですし」
 ドゼ将軍は、ため息を吐いた。
「公平を帰そう。過去にオッシュは、ライン、モーゼル両軍の指揮を執ったことがある」
「ごく、短期間でした」


 オッシュが指揮を執ったのは、1793年の年末、冬季休戦に近い時期だ。モーゼル軍は1ヶ月余り、ライン軍に至っては、1週間ほどの期間に過ぎない。

 それまで地味な戦争を戦いながら、ライン軍は、時に敗北しながらも、小さな勝利を営々と積み重ねてきた。地味であっても、小さくても、勝利は勝利だ。ましてや、命をかけての戦いだ。勝ち取る困難さに変わりはない。
 それなのに、この年の勝利の功績は、全て、オッシュのものとされた。

 温厚なサン=シル将軍は何とも思っていないようだけど、俺には、ドゼ将軍の気持ちがよくわかった。


「手柄の横取りは卑怯だ。俺だったら、オッシュに、脅迫状を送ったでしょうね。なんなら、暗殺しに行ったかもしれない」

「ダヴー、お前……」
上から下まで、ドゼ将軍は、俺を見回した。

 「良い将軍」と地元の人々に讃えられるドゼ将軍だが、彼と俺は、よく似ている。どうやら彼も、それを悟ったらしい。
 ここが、押し時。彼も俺を認めてくれているようだし。

「副官にしてくれますか?」


「だめだ」
にべもなく、突き放された。






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*1 ジュールダンの辞任
責任を取ったのは、前年(96年)のドイツ戦。21話「誇り高き撤退」、参照

*2 バセット将軍
1章「マンハイム籠城」参照

*3 バセットの裁判
この年(97年10月)、無罪確定

*4 キュスティーヌ
ヴォージュ軍、かつてのライン軍総司令官。詳しく↓
https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-149.html

*5 ケレルマン
1792年、ヴァルミーの戦いにおいて、フランス革命戦争で初めて勝利を齎した
詳しく↓
https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-148.html








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登場人物紹介

ルイ=ニコラ・ダヴー


後の帝国元帥。勇敢で正義感が強く、有能。

えーと、これでよろしいでしょうか、ダヴー様……。

ルイ・シャルル・アントワーヌ・ドゼ


ライン軍将校。前衛突撃型。少数の精鋭騎兵の先頭で馬を走らせ、敵に突っ込むタイプ。

高潔で下劣、複雑な二面性を併せ持つ。

アンベール


モーゼル軍右翼司令官から、ライン・モーゼル軍師団長へ。ダヴーの上官。

サン=シル


ドゼの戦友、ライバル。詰将棋のような、確実な戦闘をする。ドゼより4歳年上。

ボナパルニスト諸氏が言うほど、変人じゃない気が……。軍人として、むしろ、常識人。



ブログ「サン=シル」

サヴァリ


ドゼの副官。

ボナパルト時代の彼の失策を考えるに、単純な人柄だったんじゃないかな。それだけに、ドゼへの献身は本物だったと信じます。



*アンギャン公事件で、サヴァリは、憲兵隊長を務めていました。公の処刑決行を指揮したのは、サヴァリです。

 →ブログ「フランス革命からナポレオンの台頭へ1」

ラップ


ドゼの副官。勇敢だが、とにかく怪我が多いことで有名。



*ラップ視点の2000字歴史小説「勝利か死か Vaincre ou mourir

 ブログ「ラップ/ラサール」

ピシュグリュ


ライン・モーゼル軍司令官。前年のオランダ戦では、騎兵を率いて、オランダ艦隊を捕獲した戦歴を持つ。



ブログ「フランス革命戦争4-2」、参照

モロー


ライン・モーゼル軍司令官。ピシュグリュの後任。赤子が母の後追いをするように、ドゼに従う。



ブログ「ジュベール将軍/モロー将軍」

マルソー


サンブル=エ=ムーズ軍将軍。ヴァンデでダヴーと出会う。ダヴーは彼を、妹の夫にと、虎視眈々と狙っている。



ブログ「フランソワ・セブラン・マルソー」

オッシュ


ジュールダンの後を引き継ぎ、サンブル=エ=ムーズ軍司令官に。ドゼは彼を、蛇蝎のごとく嫌っている。



ブログ「ルイ=ラザール・オッシュ」

オージュロー


ボナパルトのイタリア(遠征)軍からドイツ軍(ライン方面軍)司令官に。

ボナパルト嫌いの余り、作者はこの人を、良く描きすぎました。ご注意ください。

【作者より】


純粋な史実は、チャットノベル

ダヴー、血まみれの獣、あるいはくそったれの愚か者」を、ご参照ください。

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