第30話 最後の命令

文字数 2,321文字

 永遠とも思える時間の後、将軍が、頭をもたげた。
「やめろ!」
彼は叫んだ。
 近くにいたフランス兵が斧を振り上げ、まだ銃を構えたままのオーストリア兵の上に、振り下ろそうとしていた。ドゼ将軍を狙撃した擲弾兵だ。
「殺すな! 無駄な殺戮は許さん! そいつは、俺の捕虜だ!」
 力を絞って、ドゼ将軍が命じる。

 擲弾兵は、恐怖で蒼白になっていた。その頭蓋を叩き割る直前で、斧は止まった。

「生きとる!」
「ドゼ将軍は、生きとる!」
 叫び声が上がった。

 わらわらと、兵士たちが、将軍のそばに集まってきた。すんでのところで斧を止めた兵士が、自分が今、まさに殺そうとしていた擲弾兵を捕まえた。憤怒の表情で力いっぱい両腕を捩じり、縛り上げている。

「太ももだ! 太ももを撃たれている!」
「出血がひどい! 止血しろ!」
「担架を!」
ドゼ将軍の周りに集まった連中から、口々に叫びが飛び交った。

 へなへなと俺は、その場に座り込みそうになった。
 すかさず襲い掛かってきた敵兵を、ちらとも見ずに、薙ぎ倒した。

 次々と挑みかかるオーストリア兵を斬り殺しながら、俺の意識は、倒れたドゼ将軍に集中していた。
 担架に乗せられたドゼ将軍の顔色は、真っ青だった。
 気丈に意識を保ったまま、彼は、戦場から運び去られていく。
 太もも。狙撃。出血。
 俺の脳裏を、断片的に、言葉が飛び交う。

 たとえ撃たれた時は生きていても、その後の手術に耐えられず、命を失った兵士を、大勢見てきた。
 助かったとしても、片足を失うことになったら……。

「うおーーーーーーーーっ」

 腹の底から、俺は叫んだ。目の前のオーストリア兵の眉間にサーベルを叩き下ろす。

「ドゼ将、ぐうーーーーーーんっ!」





 俺達は、戦い続けた。ドゼ将軍がいなくなった戦場で。師団長を撃たれた、怒りにまかせて、俺達は、ディアースハイムを、攻略し続けた。
 7回にわたり、勝者が入れ替わった。俺自身、2回、ディアースハイムの奪取に成功した。オーストリア兵を一人残らず、基地の外へ追い出してやった。
 そしてすぐまた、追い出された。

 戦いは、1日中、続いた。
 立ち込める硝煙のせいで、あたりは、宵闇のように、薄暗かった。

 フランス軍の勝利が、連続した。少しずつ、敵が押し切られているのがわかる。
 勝てそうだった。
 このままいけば……。

 ドゼ将軍。俺達は、勝つ! ライン軍は、勝つ! もう、部分的な勝利しかない、などと言わせない。完全な勝利を、栄光を、あなたの上に。


 翌日。左岸で待機していたルクルブ将軍の分隊が応援に駆け付け、ドゼ師団を立て直した。
 同時にライン河右岸(東側)では、キンツィヒ川流域にいたヴァンダム師団がオッフェンブルク、ゲンゲンバッハの辺りまで進軍した。左岸では、ルクルブ師団の前衛が、進軍を開始する。




 今や、広範囲が戦場になっていた。辺り一面に硝煙が立ち込め、叫び声や銃の発射音、馬の嘶きに満ち満ちていた。


 オーストリアのケール守備隊が降伏した。(*1)

 俺は、二個旅団を率い、オーストリア軍左側面を襲った。しつこく反撃を繰り返すオーストリア軍に、粘り強い戦いを挑む。

「行けーっ! 戦えーーーーーっ!」
 俺の雄たけびに、兵士達が、どよめきとなって応えた。
 ついにオーストリア軍が撤退を始めた。


 その時。

「戦闘中止!」
 叫び声が聞こえた。
「フランスとオーストリアの間で和約が結ばれた!」

 ルクレール副司令官の声だ。(*2)

「イタリア・ボナパルト軍、勝利! 帝国軍(*3)は、降伏した!」





 ルイ・ラザール・オッシュ傘下のサンブル=エ=ムーズ軍が、デュッセルドルフの橋頭堡から南東へ向けて、行軍を開始した日。
 ライン・モーゼル軍のドゼ師団が、ディアースハイムへ突撃をかける、2日前。

 フランスとオーストリアの戦争は、既に終結していた。

 イタリア、ロンバルディア平野を制し、ライン河畔から転戦してきたカール大公軍を、タリアメント川で破り……。ボナパルト将軍率いる対イタリア軍は、オーストリア領レオーベンまで侵攻し、講和を要求した。
 レオーベンは、ウィーンまで8日の距離だ。

 オーストリアは敗北を認め、講和の諸条件を呑んだ。







───・───・───・───・───・

*1 ケール要塞降伏
 しかし、司令官含めオーストリア軍は誰も降伏状を書かなかった

*2 ルクレール副司令官(l'adjudant général)
 ナポレオンの妹ポーリーヌの(最初の)夫

*3 帝国
ここでは、神聖ローマ帝国。オーストリアは、ハプスブルク家の領有地



6月20日の戦いで、フランス軍とオーストリア軍は、ひっきりなしに、勝ち負けを繰り返していましたが、お話にあるように、1日の終わり頃には、フランス軍が勝利の兆しを見せていました。
しかし、大変な接戦だったので、対岸(左岸;西側)にいた兵士達には、戦いの詳細がわかりませんでした。不安を募らせた彼らは、ついに勝手に逃走を始めます。
翌21日、午前2時。サン=シル麾下左翼所属ルクルブ師団第一砲兵部隊が応援に駆け付け、逃亡兵を捕まえ、秩序を失いかけていたドゼ軍(同・中央軍)を立て直します。(ルクルブは、ライン渡河の際、ドゼらと共に中央軍にいました[25話「ライン渡河」]。この辺、複数の資料を参照していますので、齟齬が出てしまっています)

お話のように戦いが広範囲に及んだ結果、オーストリアのラトゥール元帥は、危機はオッシュのサンブル=エ=ムーズ軍ではなく、ライン・モーゼル軍にあると判断します。彼はマンハイムから(予備)兵を出しライン・モーゼル軍側面を攻撃しようとしますが、彼らが戦場へ到着する前に、停戦の知らせが届きました。







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登場人物紹介

ルイ=ニコラ・ダヴー


後の帝国元帥。勇敢で正義感が強く、有能。

えーと、これでよろしいでしょうか、ダヴー様……。

ルイ・シャルル・アントワーヌ・ドゼ


ライン軍将校。前衛突撃型。少数の精鋭騎兵の先頭で馬を走らせ、敵に突っ込むタイプ。

高潔で下劣、複雑な二面性を併せ持つ。

アンベール


モーゼル軍右翼司令官から、ライン・モーゼル軍師団長へ。ダヴーの上官。

サン=シル


ドゼの戦友、ライバル。詰将棋のような、確実な戦闘をする。ドゼより4歳年上。

ボナパルニスト諸氏が言うほど、変人じゃない気が……。軍人として、むしろ、常識人。



ブログ「サン=シル」

サヴァリ


ドゼの副官。

ボナパルト時代の彼の失策を考えるに、単純な人柄だったんじゃないかな。それだけに、ドゼへの献身は本物だったと信じます。



*アンギャン公事件で、サヴァリは、憲兵隊長を務めていました。公の処刑決行を指揮したのは、サヴァリです。

 →ブログ「フランス革命からナポレオンの台頭へ1」

ラップ


ドゼの副官。勇敢だが、とにかく怪我が多いことで有名。



*ラップ視点の2000字歴史小説「勝利か死か Vaincre ou mourir

 ブログ「ラップ/ラサール」

ピシュグリュ


ライン・モーゼル軍司令官。前年のオランダ戦では、騎兵を率いて、オランダ艦隊を捕獲した戦歴を持つ。



ブログ「フランス革命戦争4-2」、参照

モロー


ライン・モーゼル軍司令官。ピシュグリュの後任。赤子が母の後追いをするように、ドゼに従う。



ブログ「ジュベール将軍/モロー将軍」

マルソー


サンブル=エ=ムーズ軍将軍。ヴァンデでダヴーと出会う。ダヴーは彼を、妹の夫にと、虎視眈々と狙っている。



ブログ「フランソワ・セブラン・マルソー」

オッシュ


ジュールダンの後を引き継ぎ、サンブル=エ=ムーズ軍司令官に。ドゼは彼を、蛇蝎のごとく嫌っている。



ブログ「ルイ=ラザール・オッシュ」

オージュロー


ボナパルトのイタリア(遠征)軍からドイツ軍(ライン方面軍)司令官に。

ボナパルト嫌いの余り、作者はこの人を、良く描きすぎました。ご注意ください。

【作者より】


純粋な史実は、チャットノベル

ダヴー、血まみれの獣、あるいはくそったれの愚か者」を、ご参照ください。

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