勝利か死か Vaincre ou mourir

作者 せりもも

[歴史]

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ベグーの騎士、ドゥゼ。マレンゴの戦いでナポレオン軍を救い、英雄的な死を遂げました。しかし、ですね。そもそもドゥゼは、ナポレオンごときの下にいていい将校ではありません。とにかくイケメン(やることが)! その魅力について語り合う同志を増やすべく、全力で推して参ります。

【2000字小説の末尾に短編小説を連載】(2021.7.30より公開)
マレンゴでナポレオン軍を救い、戦死したドゥゼ。彼は、高潔に生き、革命軍として戦った。一方で彼の親族は、ほぼすべて王党派であり、彼の敵に回った。
ドゥゼの迷いと献身を、副官のジャン・ラップの目線で描く。「1798年10月、エジプト・セディマンの戦い」、「同年春、エジプトへの出航準備」、さらに3年前の「1795年上アルザスでの戦闘」と、遡って語っていく。



※史実に則って、構成しています

登場人物


ルイ・シャルル・アントワーヌ・ドゥゼ

Louis Charles Antoine Desaix de Veygoux

1768.8.17 - 1800.6.14


ドイツでは「良い将軍 Bon Général」、エジプトでは「正義のスルタン Sultan Juste」と呼ばれた。

(どちらもフランス語だけど)


ブログ「ドゼー1」



ジャン・ラップ

Jean Rapp 

1771.4.27 - 1821.11.8


ドゥゼの副官

後、ナポレオンに仕え、彼の命を2度まで救う


ブログ「ラップ/ラサール」



サヴァリ

Anne Jean Marie René Savary

1774.4.26-1833.6.2


ドゥゼの副官

後、ナポレオンの帝国警備隊(インペリアル・ガード)に、その後、1810年、フーシェの後任として秘密警察長官に。ロビゴ Rovigo公爵

同時に、アンギャン公銃殺刑の強制執行、また、マレ将軍のクーデター(ロシア遠征時)に巻き込まれるなど、不名誉な評価もある


フリアン

Louis Friant 

1758.9.18 – 1829.6.24


エジプトにおける、ドゥゼ師団の将軍。


ちなみに、後に彼は、ナポレオンの妹の、最初の夫ルクレールの、姉妹の一人を妻にします。「鉄の元帥」で有名なダヴーも、同じくルクレールの姉妹を妻にします。つまり、フリアンとダグーは、義兄弟、ということになります。


そして、2人は、ナポレオンファミリーに取り込まれた筈、なんですが……。


ブログ「ナポレオンの妹たち2」



ベリアル

Auguste-Daniel Belliard

1769-1832

(登場はしていません)


エジプトでのドゼ麾下の将軍。タイトルにも借用した、ドゥゼとラップの

 “Vaincre ou Mourir!"

 "Vaincre!"

の文言は、この人の " Mémoires du comte Belliard" に記載されていました。ベリアルはその時、2人のすぐそばにいました。


以下は関連作品です。



ラップに書き置きを渡し、マンハイムへ赴いたドゥゼ師団のその後について、ダヴー視点で。図入り

「負けないダヴーの作り方」



1795マンハイム包囲戦~1798春まで、史実のみをまとめました。フランス革命戦争初期についても触れています

ダヴー、血まみれの獣、あるいはくそったれの愚か者




なお、借用した肖像画はwikiからのパブリックドメイン作品です

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小説情報

勝利か死か Vaincre ou mourir

せりもも  spielen

執筆状況
完結
エピソード
10話
種類
一般小説
ジャンル
歴史
タグ
フランス革命戦争, 将軍, ナポレオン, エジプト遠征, ライン戦, 戦闘・戦記・バトル, 勇気, 掌握, 【2000字歴史】
総文字数
20,773文字
公開日
2021年02月08日 23:11
最終更新日
2024年01月24日 22:16
ファンレター数
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