第55話 ムッシュを禁ず

文字数 3,127文字

 3月。(1798年)
 サン=シル将軍が、ローマへ異動になった。



「いやあ、すまんすまん」
 オージュロー司令官が頭を掻いている。
「イタリアに残してきた俺の部隊が、世話をかけて」
 ここで、むっとした顔になった。
「だが、事の起こりは、ベルナドットのやつだからな」



 話は、去年の春に遡る。

 ライン方面から、カール大公が、イタリア方面へ転出した。これを受け、サンブル=エ=ムーズ軍所属のベルナドット師団が、増援部隊として、イタリアへ差し向けられた。

 イタリアへ行っても、ベルナドット師団は、誇り高く、規律を守っていた。しかし、イタリア軍(ボナパルトのイタリア遠征軍)は、そうではなかった。なにしろ、師団長(オージュロー)自らが、質屋へ強盗に入るくらいだ。

 イタリア軍の兵士達にとって、規律を遵守する元ライン軍の兵士達は、堅苦しい、目障りな連中だった。特にベルナドット師団は、互いを、「ムッシュ」と呼び合う、礼儀正しさだった。


 そんなある日。
 街中で、イタリア軍(オージュロー師団)の兵士達が、元ライン方面軍(ベルナドット師団)の兵士達に出会った。
 すかさず、イタリア兵は言った。
「こんにちは、ムッシュ・高貴な方々」
間髪入れず、元ライン方面軍兵士は答えた。
「こんにちは、半ズボンを穿いた(サン・キュロット)市民の皆さん(シトワイヤン)

 高貴な方と崇めてやったのに、「半ズボンしか穿けない市民」とは、何事か!
 いやいや、そもそもその、「高貴」っていうのが、イヤミだろ!

 というわけで、大乱闘が始まった。



 「それが、10ヶ月経った今でも、まだ、治まらなくてな」
オージュローはため息を吐いた。
「俺は、ライン河畔へ転出になるし、ベルナドットも、オーストリア大使か? あれ、まだ、ウィーンにいるのかな。(*1)とにかく、ローマから出ていった。いや、当時、俺も頑張ったんだよ? 公平な処遇をするよう、知恵を絞ったんだ」


 ……「そもそも、『ムッシュ』という言葉が、諸悪の根源だ。よって、以降、軍で『ムッシュ』と言った者は、追放処分に処する」


 「それでは、何の解決にもならなかった、ってことですよ」
苛立たし気に、サン=シルは言った。
「それで、俺に、兵士どもの喧嘩を鎮圧するよう、お鉢が回って来たってわけです」
「行ってくれるよな、サン=シル?」
「命令ですから」
ぶすくれて、サン=シルは答えた。







 「サン=シル将軍!」
司令官室を出てきた彼に、俺は声を掛けた。
「なんだ、ダヴー。また、待ち伏せか?」
「ええ、まあ」
「俺は役には立てないぞ。もう、ドイツ軍右翼の司令官ではないからな。お前をローマへ連れて行くこともできない」
「わかってます」

「ん?」
 先を歩き始めていた、サン=シルが振り返った。
「えらい、物わかりがいいな。ドゼもアンベールもいなくなって、落ち込んでいるんだろ?」
「ドゼ将軍を信じてますから。彼はきっと、俺を呼んでくれます」
「……」
 サン=シルは答えなかった。

「あなたは、ご機嫌ですね、サン=シル将軍。旧ライン軍(ドイツ軍右翼)司令官から外されて」
「俺は、ローマへなんか、行きたくない」
「でも、ライン軍の流れを引く軍の、司令官には、なりたくなかった」

 そもそも、ドゼ将軍が指名された役職だ。サン=シル将軍(古くからの戦友)に、元ライン軍の指揮権を押し付け、彼は、ボナパルト将軍の元へと旅立っていった……。

「ライン軍司令官は、呪われているんだ」
 ぼそり。サン=シル将軍がつぶやいた。
「リュクネル将軍。ビロン将軍。俺を育ててくれたキュスティーヌ将軍。ボアルネ将軍。みんな、処刑された。高潔で勇敢であったにもかかわらず、愛国心を疑われて」(*2)

 それが、恐怖政治下のライン軍総司令官の運命だった。
 ドイツ諸邦、オーストリアと接する国境線で、軍が、敵国と密通することを、中央政府は、極度に恐れていた。

 サン=シルがため息を吐いた。
「そして、ピシュグリュ。モロー。彼らは実際に、国を裏切った」
「ドゼ将軍も、呪われたライン軍の指揮権を、受け継ぎたくなかったんでしょうか。だから、ボナパルト将軍の軍へ行った」
「さあな」

「ドイツ軍右翼と名を変えても、元々は、伝統あるライン軍の司令官です。片や、ボナパルトが提示したのは、イタリア軍の第二指揮官、しかも、暫定に過ぎない、不安定な地位だ。普通なら、ここ(旧ライン軍)に残ります。その方が、地位が高いし、名誉でもある」

「ドゼが言うには、ボナパルトは、配下の者にまで栄光を齎すんだとよ」
「韜晦だ」
「は?」
「あなただって、気がついているはずだ、サン=シル将軍」

「気がつく?」
サン=シルは凄んだ。
「何に」

 ゆっくりと俺は、今まで考えてきたことを、言葉に紡ぎ始めた。
「王党派は、未だに暗躍している。彼は、亡命貴族(エミグレ)軍と、鉢合わせたくなかった。なぜなら、彼の兄弟、親族は、」

「それ以上言うな!」

 鋭く、サン=シルが警告を発した。前と同じだ。
 だが今回、俺は、彼の警告を無視した。

「追い詰められた王党派は、何だってやるだろう。彼らがもし、国境警備軍(ドイツ軍右翼)司令官への交渉相手として、ドゼ将軍の親族を送り込んで来たら? 亡命貴族(エミグレ)軍の中にいる、ドゼ将軍の兄弟や親族を」

 凍りつくほどのまなざしで、サン=シルは俺を見据えた。
「ドゼも、国を裏切るというのか? 血の繋がりを優先するとでも?」

 俺は、答えなかった。答えられない、そんな問いには。

「けれども、イギリス軍なら、エミグレと鉢合わせる機会は、格段に減ります。たとえ行きあってしまっても、ボナパルトの下に隠れて、こっそり逃がすことができる」
 今までそうしてきたように。

「あるいは、彼は、政府に、交換条件を出したのかもしれない。国外へ逃げた(エミグレの)親族の、帰国を認めて欲しい、と」

 悔しかった。ボナパルトとドゼ将軍。どちらが格上かは、一目瞭然だ。そんなことは、政府だって、わかっているはずだ。

「ボナパルトの下に入る代わりに。ライン河畔での地位を手放し、ナンバー2に甘んじる代償に! 彼は、親族兄弟の帰国を条件に、自分のキャリアを差し出したのだ」

「黙れ!」
 喉元を鷲掴みされた。
 顔が近づいてくる。薄青い瞳が、至近距離で俺を睨みつけた。
「もしそうだとして、それがお前に、何の関係がある?」

「何も」
 俺は、喉に食い込んだ、サン=シルの指を引きはがした。
「俺はただ、彼に付いていくだけです。もしも、彼が俺を呼んでくれたなら」

「……」
 無言で、サン=シルは、俺を睨み続けた。
「勝手にしろ」
 暫くして、苦々し気に、そう、吐き捨てた。








───・───・───・───・───・

*1
オーストリアとの間で和平が結ばれると、ベルナドットは、フランス大使として、ウィーンへ派遣されます。
チャットノベルで経緯を説明してあります
「三帝激突」19話「第19話 Flaggenstraße(旗通り)」参照
https://novel.daysneo.com/works/episode/9d5521055acd2834eb655f5745a1da5c.html

ベルナドットいうのは、後にスウェーデン王になった、あの人です。




*2
ライン軍総司令官の運命については、こちらに
https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-152.html



*サン=シルについて、こちらにまとめてあります
「サン=シル」
https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-132.html

なお、この後、ローマでサン=シルは、ドゼと再会します。その模様を、短編「勝利か死か Vaincre ou mourir」に描きました。「10 出航準備」です。
https://www.alphapolis.co.jp/novel/268109487/803492079








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登場人物紹介

ルイ=ニコラ・ダヴー


後の帝国元帥。勇敢で正義感が強く、有能。

えーと、これでよろしいでしょうか、ダヴー様……。

ルイ・シャルル・アントワーヌ・ドゼ


ライン軍将校。前衛突撃型。少数の精鋭騎兵の先頭で馬を走らせ、敵に突っ込むタイプ。

高潔で下劣、複雑な二面性を併せ持つ。

アンベール


モーゼル軍右翼司令官から、ライン・モーゼル軍師団長へ。ダヴーの上官。

サン=シル


ドゼの戦友、ライバル。詰将棋のような、確実な戦闘をする。ドゼより4歳年上。

ボナパルニスト諸氏が言うほど、変人じゃない気が……。軍人として、むしろ、常識人。



ブログ「サン=シル」

サヴァリ


ドゼの副官。

ボナパルト時代の彼の失策を考えるに、単純な人柄だったんじゃないかな。それだけに、ドゼへの献身は本物だったと信じます。



*アンギャン公事件で、サヴァリは、憲兵隊長を務めていました。公の処刑決行を指揮したのは、サヴァリです。

 →ブログ「フランス革命からナポレオンの台頭へ1」

ラップ


ドゼの副官。勇敢だが、とにかく怪我が多いことで有名。



*ラップ視点の2000字歴史小説「勝利か死か Vaincre ou mourir

 ブログ「ラップ/ラサール」

ピシュグリュ


ライン・モーゼル軍司令官。前年のオランダ戦では、騎兵を率いて、オランダ艦隊を捕獲した戦歴を持つ。



ブログ「フランス革命戦争4-2」、参照

モロー


ライン・モーゼル軍司令官。ピシュグリュの後任。赤子が母の後追いをするように、ドゼに従う。



ブログ「ジュベール将軍/モロー将軍」

マルソー


サンブル=エ=ムーズ軍将軍。ヴァンデでダヴーと出会う。ダヴーは彼を、妹の夫にと、虎視眈々と狙っている。



ブログ「フランソワ・セブラン・マルソー」

オッシュ


ジュールダンの後を引き継ぎ、サンブル=エ=ムーズ軍司令官に。ドゼは彼を、蛇蝎のごとく嫌っている。



ブログ「ルイ=ラザール・オッシュ」

オージュロー


ボナパルトのイタリア(遠征)軍からドイツ軍(ライン方面軍)司令官に。

ボナパルト嫌いの余り、作者はこの人を、良く描きすぎました。ご注意ください。

【作者より】


純粋な史実は、チャットノベル

ダヴー、血まみれの獣、あるいはくそったれの愚か者」を、ご参照ください。

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