第17話 マルソーの恋2

文字数 2,510文字


 そのマルソーが、マインツの包囲陣の中にいた。去年(1795年)、マンハイムへ向かう途中で、アンベール師団は、マインツ付近で、暫く待機した。旧交を温める必要を感じ、俺は、マルソーに手紙を書いた。

 「随分続いているんだな、マインツの包囲は」
 陣営を訪れ、俺は、マルソーに言った。手紙のお陰で、再び、交流が復活したのだ。
 マルソーは眉を顰めた。
「ああ。悲惨な冬だったよ」
「ルクセンブルクも悲惨だった。今年の冬は、とりわけ寒かったと違うか? 来年もこの寒さが続くとしたら、辛いな」

 俺は、この後に控えるライン河畔(ラインラント)での軍務が、憂鬱だった。ルクセンブルクでは、モロ将軍が熱病で死んだ。あの寒さでは、治る病気も治らない。
 もし次の戦闘もまた、冬まで決着がつかなかったら? あんな辛い冬は、もう、懲り懲りだった。

「けれど、酷寒の冬だったからこそ、北軍は勝利したんだろう? 騎兵が、戦艦を拿捕したんだよ。オランダの! 前代未聞のことだと思わないかい? それもこれも、寒さのお陰だ。北海が凍ったからだよ」
「そうだな」

 素直なマルソーと話しているうちに、ルクセンブルクで凍てついてしまった俺の心も、次第に溶け始めていった。
 話は、お互いの近況へと移っていった。

「俺の結婚については、聞かないでくれ」
 最初にびしりと、言い置いた。俺を裏切りやがった妻の名は、口にすることさえ、いやだった。
 即座にマルソーは、俺の不幸を察したようだった。やつには、そういう繊細さがある。彼は、自分のことに話を移した。

「僕のことをかわいがってくれている異母姉(ねえさん)がね。印刷業者と結婚したんだ。ところがこの印刷屋が、大変な共和主義者で……」
 深いため息を吐いた。

 マルソーの父は、再婚だった。最初の結婚で6人の子どもが生まれ、その妻の死後、マルソーの母と結婚した。
 この結婚では7人が生まれ、マルソーは、その最初の子だった。
 マルソーの父は、それでも、自分の名をマルソーに与えた。しかし、母親の方は、全く、彼に無関心だった。
 なぜかはわからない。マルソーの赤毛を嫌ったとも言われている。
 両親の愛に拒まれた彼を親身になって思いやり、大人になってからも何くれとなく世話をしてくれているのが、異母姉のカミラだった。

カミラ(異母姉)は、僕とアガサの結婚に、大反対なんだ。彼女が貴族の娘だから」
「貴族にだって、共和派はいるだろう?」

 現にこの俺がそうだ。もっとも、俺は、貴族臭い名を捨てたが。そしてうちは、貴族というのも憚られるほど、貧乏だが。

「とにかく、その印刷屋が、いやがるんだ。シャトーギロン家の娘はダメだって」

 俺は、マルソーが大好きだ。お世辞だと思うが、俺のことを親友とまで言ってくれた。こんな豪儀なやつは、この先、二度と再び、現れないかもしれない。

 あれから、俺は、じっくり考えた。
 マルソーは、俺を友と認めてくれた。しかしそれは、一時の気の迷いで、そのうち、俺から離れて行ってしまうかもしれない。今までの経験から、その可能性は、大いにある。というか、離れていくとしか思えない。

 でも、俺は、マルソーを気に入っている。友人、と言ったら彼に嫌がられるだろうが、できたら、一生、付き合っていきたい。

 どうしたらいいか。
 考え続けた。そして、天啓のように、その考えが降ってきた。
 親族にすればいいのだ!
 親戚というのは、やっかいだ。母さんだって、再婚に反対したやつらと、縁を切ろうとしたが、どうしても切れなかった。今に至るまで、お互い悪口を言いながら、つきあっている。
 親族との付き合いは、だらだらと際限もなく続く。
 そうだ。マルソーが俺の親族になればいいんだ。そしたら俺は、彼と、一生、付き合っていける。

「なあ、マルソー。まだその娘とは、ヤってないんだろ?」
 そろり。俺は問うた。果たしてマルソーは、真っ赤になって頷いた。
「お前とヤりたいって思わなんて、その娘、ヘンなのと違うか? それともケチなのか。だってお前は、こんないい男なのに」
「……アガサの悪口は言わないでもらいたい」

 小さな声でマルソーは抗議した。
 俺は、肩を竦めた。

「なあ。この際だから、他の娘に目を向ける、ってのはどうだ? 結婚というのは、大事(おおごと)だ。当事者だけじゃない。家と家、親族と親族との繋がりでもある。だから、人生の初っ端で出会った、たった一人の娘にロックオンしちまうのは良くない。広い目で、世間を見なければ。君の異母姉さんが言うのは、つまり、そういうことだろう?」

 大切な異母姉を引き合いに出され、マルソーは、しぶしぶ頷いた。しめしめ。俺は最後の一押しに出た。

「たとえば、俺の妹なんかどうだ? 俺に似て、大層愛らしく、可憐だぞ」
 マルソーは、まじまじと俺の顔を見つめた。
「年齢だって、俺より1つ下だから、君より2つも下だ。年下はいいぞ。経験値が低いから、素直に言うことを聞く」

 俺の結婚の失敗は、アデレイドが年上だったせいではないか。というのが、母の持論だった。
 さすが、母さん。俺のせいではないと、ちゃんとわかってる。
 つまりこれは、母の意見だ。この際だから、借用させてもらった。

「なあ、マルソー。今度、俺と同じ時期に、休暇を取ろうぜ。ラヴィエール(実家)へ来いよ。妹を紹介するから」

「ええと……」
 なぜか、うすら寒そうな顔をしている。
「俺は本気だぜ。マルソー、君は俺の、義弟になるんだ」
 年上だけど。
「……」
「なっ!」

「考えておくよ……」
とうとう、マルソーは頷いた。

 かわいいジュリーとの結婚に、臆しているのだな。心配することなどない。よもやいないと思うが、反対なんかするやつがいたら、拉致監禁の上、縛り上げて、2人の結婚を祝福するまで拷問してやる。

「母にも紹介するよ。きっと、君のことを、気に入るに違いない」
「それは、光栄だ」
初めて彼は、破顔した。

「とりあえず、君、ジュリーに手紙を書けよ。善は急げだ。今すぐ書け。俺が添削してやるから」
「俺の文字は、句読点がなくて読みにくいんだ。添削は遠慮するよ」

 内気なマルソーは、恋文を読まれたくないのだろう。彼の意を察し、俺は早々に、マインツ包囲陣を後にした。



▲――




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登場人物紹介

ルイ=ニコラ・ダヴー


後の帝国元帥。勇敢で正義感が強く、有能。

えーと、これでよろしいでしょうか、ダヴー様……。

ルイ・シャルル・アントワーヌ・ドゼ


ライン軍将校。前衛突撃型。少数の精鋭騎兵の先頭で馬を走らせ、敵に突っ込むタイプ。

高潔で下劣、複雑な二面性を併せ持つ。

アンベール


モーゼル軍右翼司令官から、ライン・モーゼル軍師団長へ。ダヴーの上官。

サン=シル


ドゼの戦友、ライバル。詰将棋のような、確実な戦闘をする。ドゼより4歳年上。

ボナパルニスト諸氏が言うほど、変人じゃない気が……。軍人として、むしろ、常識人。



ブログ「サン=シル」

サヴァリ


ドゼの副官。

ボナパルト時代の彼の失策を考えるに、単純な人柄だったんじゃないかな。それだけに、ドゼへの献身は本物だったと信じます。



*アンギャン公事件で、サヴァリは、憲兵隊長を務めていました。公の処刑決行を指揮したのは、サヴァリです。

 →ブログ「フランス革命からナポレオンの台頭へ1」

ラップ


ドゼの副官。勇敢だが、とにかく怪我が多いことで有名。



*ラップ視点の2000字歴史小説「勝利か死か Vaincre ou mourir

 ブログ「ラップ/ラサール」

ピシュグリュ


ライン・モーゼル軍司令官。前年のオランダ戦では、騎兵を率いて、オランダ艦隊を捕獲した戦歴を持つ。



ブログ「フランス革命戦争4-2」、参照

モロー


ライン・モーゼル軍司令官。ピシュグリュの後任。赤子が母の後追いをするように、ドゼに従う。



ブログ「ジュベール将軍/モロー将軍」

マルソー


サンブル=エ=ムーズ軍将軍。ヴァンデでダヴーと出会う。ダヴーは彼を、妹の夫にと、虎視眈々と狙っている。



ブログ「フランソワ・セブラン・マルソー」

オッシュ


ジュールダンの後を引き継ぎ、サンブル=エ=ムーズ軍司令官に。ドゼは彼を、蛇蝎のごとく嫌っている。



ブログ「ルイ=ラザール・オッシュ」

オージュロー


ボナパルトのイタリア(遠征)軍からドイツ軍(ライン方面軍)司令官に。

ボナパルト嫌いの余り、作者はこの人を、良く描きすぎました。ご注意ください。

【作者より】


純粋な史実は、チャットノベル

ダヴー、血まみれの獣、あるいはくそったれの愚か者」を、ご参照ください。

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