第37話 タンタロスの気分

文字数 1,837文字


 「ねえ! ドゼ将軍のお部屋はこちらかしら? 廊下を真っ直ぐ?」
「新聞で読んだわ。ケールの英雄。お怪我をなさったんですってね。あの、勇敢な将軍は!」

「いいえ、案内はいらないわ。彼と二人っきりになりたいの」
「あら、抜け駆けは許さないわよ!」
「お姉さま、私も一緒に行くぅ」

「素晴らしくハンサムなんでしょ? 高潔で凛々しくて、まるで中世の騎士のような方だと聞いたわ」
「ちょっと! なんでついてくるのよ! あなたの案内は要らないって言ったでしょ! ……なんか、匂うわよ、あなた」


 若い女性達が押しかけてきた。ドゼ将軍の病室に、だ。
 彼女らに弾かれ、俺は、部屋の隅に追いやられてしまった。


 ドゼ将軍は、すっかり、具合が良くなったようだ。少なくとも彼は、そう主張していた。
 車輪のついた椅子に乗り、部屋の中を、あちこちを動き回っている。


 「きゃあっ! ドゼ将軍! ドゼ将軍よ!」
「ステキ! 新聞に載っていた肖像画と、大分違うけど」
「動いてる! 動くドゼ将軍よ!」

 彼の部屋は、連日、見舞客でいっぱいになった。特に、着飾った女性達の。まるで、ストラスブール中の若い女性が押し寄せてきているみたいだ。

「ドゼ将軍、ジャムを作りましたの。手作りですのよ。おひとついかが?」
「ちょっと、クロエ、どきなさいよ。将軍、私のジャムをどうぞ」
「あんずなんて! ジャムはベリーに限りますわ。将軍、私のベリーはいかがです?」

 殺風景だった病室は、彼女たちの持ち込む色や香りで、あっというまに、得も言われぬ空間になった。

 「ドゼ将軍、お元気になったら、私とゲームをしませんこと?」
「だから、アンリエット、さきがけは許さないって言ったでしょ! ねえ将軍。私と馬車でお出かけしましょう」
「あなたこそ、ポーリーン! 将軍は、私と遊ぶの。ねえ、将軍。歩けるようになったら、迎えに来て下さらない? 両親に紹介しますわ」
「早くおみ足を治して下さいませ。お待ちしてますね」

 軍医が訪れ、渋い顔をした。やっとのことで、女性達は、帰っていった。



 「いやあ、参った参った」
 車椅子にふんぞり返り、ドゼ将軍が、手で顔を仰いでいる。
「俺は今日、50瓶もジャムを食わされた」
言いながら、胸の辺りをさすっている。

「肝臓に悪い。傷の治りが悪くなるぞ」
軍医が警告を発した。
「君はまだ、絶対安静の身だ。ちゃんと休まないと、治るものも治らない。永遠に足を引きずって歩く羽目になったらどうする!」

「本当の所、少し快適。でも、今のこの状態は、タンタロスだ……」
 ひとり言のようにつぶやき、ドゼ将軍は、くすくすと笑い出した。

「何を笑ってるんです?」
わけがわからず、部屋の隅から、俺は問いかけた。ドゼ将軍が、驚いた顔をした。
「ダヴーじゃないか。そこにいたのか」
「ずっといました」
「そんな隅っこで、何をしてたんだ?」
「見てました。あなたがにやけているのを」
「だったらわかるだろ?」

 タンタロスくらい、俺にだって、わかる。ギリシャ神話だ。なにしろ俺には、じゃぶじゃぶするくらい、教養があるからな。
 タンタロスは、不死の体を得ていた。だがある時、神々の怒りを買ってしまう。彼は、水を飲もうにも飲めず、豊富に実る果実を食べたくても、食べられない状況に置かれてしまった。飢えと渇きに苦しむ彼は、不死の体のせいで、死の安らぎに逃げ込むことさえできず、永遠に苦しみ続ける……。
 タンタロスの責めとは、欲しい物が目の前にあるのに、手の届かない苦痛を言う。

 「だって、あんなにたくさんの女の子達が見舞ってたじゃないですか。ドゼ将軍ってば、ジャムだっていっぱい貰ってたし」
 呆れて俺は言った。あのハーレム状態以上の何を、いったいこの将軍は、望もうというのか。
「そうだ。胸焼けしてるなら、余ったジャム、下さい。軍への土産にします」

「ダメだ。あれは、女の子たちが、

作ってくれたものだ。

な。他の男にあげたら、彼女たちに申し訳がない」
変な所で誠意を発揮し、ドゼ将軍は拒絶した。
「全部、俺が食べなくちゃな」

「だから、肝臓を傷めると警告してるんだろ!」
軍医が職務を果たそうとする。

「……で、この状況のどこが、タンタロスなんです?」

 重ねて俺が尋ねると、ドゼ将軍は、にやりと笑った。ひどく下品な笑いだった。

「俺は、脚が痛いんだぜ?」

「……」
「……」
 俺と軍医は、顔を見合わせた。

「服を脱ぐの、大変だし」

「……」
「……」

「下穿きな」

「治ってから、いくらでも」
軍医が言った。












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登場人物紹介

ルイ=ニコラ・ダヴー


後の帝国元帥。勇敢で正義感が強く、有能。

えーと、これでよろしいでしょうか、ダヴー様……。

ルイ・シャルル・アントワーヌ・ドゼ


ライン軍将校。前衛突撃型。少数の精鋭騎兵の先頭で馬を走らせ、敵に突っ込むタイプ。

高潔で下劣、複雑な二面性を併せ持つ。

アンベール


モーゼル軍右翼司令官から、ライン・モーゼル軍師団長へ。ダヴーの上官。

サン=シル


ドゼの戦友、ライバル。詰将棋のような、確実な戦闘をする。ドゼより4歳年上。

ボナパルニスト諸氏が言うほど、変人じゃない気が……。軍人として、むしろ、常識人。



ブログ「サン=シル」

サヴァリ


ドゼの副官。

ボナパルト時代の彼の失策を考えるに、単純な人柄だったんじゃないかな。それだけに、ドゼへの献身は本物だったと信じます。



*アンギャン公事件で、サヴァリは、憲兵隊長を務めていました。公の処刑決行を指揮したのは、サヴァリです。

 →ブログ「フランス革命からナポレオンの台頭へ1」

ラップ


ドゼの副官。勇敢だが、とにかく怪我が多いことで有名。



*ラップ視点の2000字歴史小説「勝利か死か Vaincre ou mourir

 ブログ「ラップ/ラサール」

ピシュグリュ


ライン・モーゼル軍司令官。前年のオランダ戦では、騎兵を率いて、オランダ艦隊を捕獲した戦歴を持つ。



ブログ「フランス革命戦争4-2」、参照

モロー


ライン・モーゼル軍司令官。ピシュグリュの後任。赤子が母の後追いをするように、ドゼに従う。



ブログ「ジュベール将軍/モロー将軍」

マルソー


サンブル=エ=ムーズ軍将軍。ヴァンデでダヴーと出会う。ダヴーは彼を、妹の夫にと、虎視眈々と狙っている。



ブログ「フランソワ・セブラン・マルソー」

オッシュ


ジュールダンの後を引き継ぎ、サンブル=エ=ムーズ軍司令官に。ドゼは彼を、蛇蝎のごとく嫌っている。



ブログ「ルイ=ラザール・オッシュ」

オージュロー


ボナパルトのイタリア(遠征)軍からドイツ軍(ライン方面軍)司令官に。

ボナパルト嫌いの余り、作者はこの人を、良く描きすぎました。ご注意ください。

【作者より】


純粋な史実は、チャットノベル

ダヴー、血まみれの獣、あるいはくそったれの愚か者」を、ご参照ください。

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