第22話 ケール3師団

文字数 2,830文字

  「ダヴー准将!」
 ストラスブールの街道で、到着する部隊を待っていると、懐かしい声が俺を呼んだ。

「ドゼ将軍!」
「来たか、ダヴー」
「はい!」

 相変わらず、顔色が冴えなかったが、これはいつものことだ。彼の髪は、長く、艶やかだ。鋏を使っても、容易には切れないという。
 生命力の証だ。
 背は俺より低いが、ドゼ将軍は、力に溢れた、強い男だ。

 「ボーピュイが死んだ。マルソーも」
 せかせかと言う。俺は黙って項垂れた。

「前衛の指揮は、俺が執るはずだった。あの日、エメンディンゲンで。それを、ボーピュイが代わってくれた。そして、殺された。……まだ、彼を弔っていない。オーストリアとの戦いに勝利するまで、弔いをすることはできない」
「……」

「マルソーもだ。マインツから先に敵が進まなかったのは、彼のおかげだ」
「……」

「ダヴー?」
将軍の声が揺らいだ。
「ダヴー、お前、泣いているのか?」
「いいえ」
「そうか」

 俺が泣くわけがない。それなのに、目の縁にまで熱い水が満ち、声が震えた。

「マルソーは、俺の知り合いでした。彼は、すごくいいやつで……」
「うん」
「妹の夫にと、思っていたんです。俺の義弟にしたい、と。そしたら、一生、彼と付き合っていけるから」
「君たちは、親友同士だったものな」
「まさか!」

 即座に俺は否定した。
 マルソーの為に。
 死者の思い出を汚さない為に。

「だが、彼はそう言っていたぞ」
 マルソーの奴、ドゼ将軍にまで!

 全てをかなぐり捨てたい衝動に駆られた。もう、何もいらない。恥も外聞も、気にしない。だってマルソーは、死んでしまったのだから。
 大きな啜り泣きが漏れた。鼻の奥が熱い。
 こみあげてくる塊を呑み下し、血の味がするまで唇を噛んだ。爪が掌に食い込むほど固く、拳を握りしめる。

 俺は、顔を上げた。目の前の、傷のある頬を睨みすえる。

「彼は、繊細で思いやりのある、優しい男だった。だから、俺のことを親友と。でもそれは、俺への細やかな気遣いに過ぎないんだ」
「君も、ずっと、彼と付き合っていきたいと思っていたのだろう?」
相変わらず、穏やかな声だった。

「もちろんです。一緒に戦い、酒を飲み飯を食い、誰かの悪口を言って、笑いあって……、墓の中まで、一緒に、」
「墓の中までは、どうかと思うが。だが、マルソーは寂しがり屋だった。いつも、誰かの愛に飢えていた。人は……、誰であろうと人は、マルソーのような環境に、子どもを放置してはいけない」

「ドゼ将軍は、彼のことを知っていたのですか?」
思いがけず、彼が、マルソーの深い所まで理解しているのに、俺は驚いた。

「今年の春の休戦期間に、会いに行った。戦場では、すれ違ってばかりだったから。彼が、俺に言ったんだよ。ダヴーは親友だ、って」

 耐えきれず、俺は、嗚咽を漏らした。

「マルソーは、あのクレベールにも愛されていた。彼は、誰からも、愛される男だった。それなのに、いつも孤独だった。俺が訪ねていくと、彼は、俺にまで友情を求めてきた。俺は……」
 言葉を途切らせ、何かを吹っ切るように、首を横に振った。
「俺は、素の自分を曝け出すことに慣れていない。それが誰であろうと、友情を結ぶのに、長い時間がかかる。だが、ダヴー、君は違う。君は素直だ。直截に思いを伝えることができる。君と出会って、彼は救われたと思うよ。それは、俺にはできなかったことだ」

 ぶわっと、大量の涙があふれた。どうしようもなく、俺は、泣き崩れた。

「親友だ。君は、彼の。彼は、君の」
何の衒いも迷いもない声だった。

「俺は……、俺は、ドイツ遠征に参加できませんでした」
 涙の合間から、かろうじて声を絞り出す。
「……、肝心な時にお、お役に立てず、申し……申し訳、ありませんでしたっ!」

 生涯で初めて、俺は、己の非を認め、他人に謝った。ドゼ将軍といると、生涯で初めてのことにばかり、遭遇する。

「いや、君は間に合った」
力強く、ドゼは請け合った。
「なぜなら、未だ俺は、生きている。わが軍は、まだまだ戦える」
 すすり泣きの間に、俺は訴えた。
「ドゼ将軍。戦います。俺も。俺も戦う、から」

「だから、呼んだんだろ?」
慈愛に満ちた、温かい声が応じた。
「だから君を、ここへ呼んだ」

 「ああああ、ダヴー。良く帰ってきた」

 その時、抱き着いてきたやつがいた。頭頂部を見せ、涙と鼻水を、俺の軍服にこすりつけている。
 アンベール将軍だった。
 ドゼ師団に少し遅れて、アンベール師団が到着したのだ。

「俺が止めたのに、お前、最後の最後まで、オーストリア兵に歯向かって行って……マンハイム陥落の時! バセット(暫定指揮官)は仕方ないとしても、お前まで、捕虜になることはなかったんだ!」
「アンベール将軍、あなた、俺を盾にしてませんでしたっけ?」

 横を向き、俺は嫌みを言った。自分の上官に、弱さを見せたくない。今は何より、己の皮肉に逃げ込みたかった。

「気のせいだ」
 アンベールはアンベールで、自分の激情の置き場に、おおわらわのようだった。
「性格は悪いし乱暴だし、おまけに頑固だけど、ダヴー。無事でよかった。オーストリア軍に殺されなくて、本当に良かった」
「……褒めたんですか?」
「もちろんだよ、ダヴー。敵が怯えるほど殺戮できるやつのいない戦場は、心細くてな。……あれ? ダヴー、君、泣いてるのか?」
 珍獣を見る目でこちらを見ている。

「違っ!」
 慌てて、軍服の袖で目を擦った。泣いてなんかいない。なぜなら、俺は泣かないからだ。繊維が目を刺激して、視界がじんわりとぼやけた。

「そうかそうか。俺と再会できたのが、そんなに嬉しいか」
「泣いてません!」
「だって、顔も目も真っ赤だぞ」
「俺は泣いたりなんかしないっ!」

「レーニエ将軍(総司令官モローの参謀)から、打診が来た」
 助け舟を出してくれたのは、ドゼ将軍だった。
「ここからマンハイムに行軍するか。それとも、ストラスブール(ここ)に根を張り、対岸のケールに撃って出るか。どうやら後者に決まりそうだ。その場合、俺のやりたいようにやっていいそうだ」

「ケール……」
 ケールは、ライン川を挟んで、ストラスブールの対岸(東側)にある。さらに東に、ラインの支流、キンツィヒ川が流れ、三角州のようになっている。ケールは、あちこちに、小さな支流が流れる湿地帯だ。


「アンベール師団には、率先して働いてもらうぞ」
「はいっ!」

 俺とアンベールは声を合わせた。
 ドゼ将軍は微笑んだ。

「なにせ、ダヴーが帰ってきたからな。今まで休んでた分、俺の下で思い切り、こき使ってやる」
「ドゼ将軍、それ、」
「だから、ダヴー。お前をここに呼んだ。交換将校として」

「わが師団は、巻き添えというわけですな。ダヴーの」
アンベールが、にやにやしている。
「嫌か?」
ドゼが困った顔をしてみせる。
「とんでもない! ドゼ将軍、あなたと共に戦えて、光栄です!」









 作戦会議の席上で、正式にアンベール師団は、ケール3師団のひとつに指名された。
 俺には、3つの歩兵半旅団が与えられた。

















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登場人物紹介

ルイ=ニコラ・ダヴー


後の帝国元帥。勇敢で正義感が強く、有能。

えーと、これでよろしいでしょうか、ダヴー様……。

ルイ・シャルル・アントワーヌ・ドゼ


ライン軍将校。前衛突撃型。少数の精鋭騎兵の先頭で馬を走らせ、敵に突っ込むタイプ。

高潔で下劣、複雑な二面性を併せ持つ。

アンベール


モーゼル軍右翼司令官から、ライン・モーゼル軍師団長へ。ダヴーの上官。

サン=シル


ドゼの戦友、ライバル。詰将棋のような、確実な戦闘をする。ドゼより4歳年上。

ボナパルニスト諸氏が言うほど、変人じゃない気が……。軍人として、むしろ、常識人。



ブログ「サン=シル」

サヴァリ


ドゼの副官。

ボナパルト時代の彼の失策を考えるに、単純な人柄だったんじゃないかな。それだけに、ドゼへの献身は本物だったと信じます。



*アンギャン公事件で、サヴァリは、憲兵隊長を務めていました。公の処刑決行を指揮したのは、サヴァリです。

 →ブログ「フランス革命からナポレオンの台頭へ1」

ラップ


ドゼの副官。勇敢だが、とにかく怪我が多いことで有名。



*ラップ視点の2000字歴史小説「勝利か死か Vaincre ou mourir

 ブログ「ラップ/ラサール」

ピシュグリュ


ライン・モーゼル軍司令官。前年のオランダ戦では、騎兵を率いて、オランダ艦隊を捕獲した戦歴を持つ。



ブログ「フランス革命戦争4-2」、参照

モロー


ライン・モーゼル軍司令官。ピシュグリュの後任。赤子が母の後追いをするように、ドゼに従う。



ブログ「ジュベール将軍/モロー将軍」

マルソー


サンブル=エ=ムーズ軍将軍。ヴァンデでダヴーと出会う。ダヴーは彼を、妹の夫にと、虎視眈々と狙っている。



ブログ「フランソワ・セブラン・マルソー」

オッシュ


ジュールダンの後を引き継ぎ、サンブル=エ=ムーズ軍司令官に。ドゼは彼を、蛇蝎のごとく嫌っている。



ブログ「ルイ=ラザール・オッシュ」

オージュロー


ボナパルトのイタリア(遠征)軍からドイツ軍(ライン方面軍)司令官に。

ボナパルト嫌いの余り、作者はこの人を、良く描きすぎました。ご注意ください。

【作者より】


純粋な史実は、チャットノベル

ダヴー、血まみれの獣、あるいはくそったれの愚か者」を、ご参照ください。

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