第11話 籠城

文字数 2,842文字

 マンハイムは、ライン河の右岸も左岸も、オーストリア軍に、ぐるりと包囲されてしまった。彼らは、城壁に沿って、塹壕を掘り始めている。


 あの日、ついに、ドゼ師団は、マンハイムの城門を潜らなかった。
 混乱した城内で、俺は必死で、情報を集めた。それによると、城壁の前で駐屯していた部隊は、オーストリア軍の攻撃を受け、散開したという。その中には、ドゼ師団もいたはずだ。

 ライン・モーゼル軍総司令官のピシュグリュも、姿を消していた。同じく、西へ渡河したのだ。ライン河西岸を北上して、マインツ包囲軍と合流し、再び、軍を立て直すのだろう。

 総指揮を執る者がいないまま、俺達は、マンハイムで、籠城を始めた。
 いつまでこの状況が続くのか。
 もし、疫病が流行れば、それでおしまいだ。立て籠もったまま、全員で死を待つばかりだ。
 街に居残った市民たちも、悩みの種だった。空腹に耐え兼ね、暴動を起こすかもしれない。何らかの手段で、敵の手引きをする可能性だって、ないとはいえない。

 籠城は、予定外だった。マンハイムには、軍備も食糧も、ろくに備蓄がない。
 この軍備では、ろくに戦えない。怪我をしても、医者も薬もない。
 暗く湿った雰囲気が、籠城部隊を覆っていった。





 半月後。絶望的な知らせを、伝書バトが運んできた。
 厳しい冬の寒さに耐え、ライン軍モーゼル軍が包囲を続けたマインツ。そのマインツが、ついにオーストリア軍に奪還されたのだ。

 サンブル=エ=ムーズ軍のジュールダン将軍をラーン川までおいやったクレルファイ元帥は、勢いを崩さぬまま、南下を続けた。



 クレアファイは、迂回してマインツに向かい、東岸から、奇襲をかけた。
 マインツには、クレベール将軍がいた。所属しているサンブル=エ=ムーズ軍に犠牲を払わせてまで、包囲の援軍に駆け付けたクレベール師団だが(*1)、予期せぬクレアファイの襲撃を打ち破ることはできなかった。
 10月29日。1年間の西岸包囲も虚しく、フランスの包囲軍は、マインツを明け渡した。





 これで、西側に渡河したピシュグリュ軍は、マインツ包囲軍と合流することができなくなった。

 ……だが、ピシュグリュ軍のどこかに、ドゼ師団がいる。

 彼が、黒髪のあの軍神が、撤退するとは思えなかった。
 彼がいる限り、俺は、マンハイムを守り続ける。オーストリアと戦い続ける。ヴルムザー軍を、彼に近づけたりしない。





 「くそっ!」
 数日後、追加で来た報告を見たバセット将軍が、低く呻いた。バセット将軍は、マンハイムの暫定指揮官だ。
「ピシュグリュ軍が、後退を始めた。マインツを叩いたクレルファイが、攻撃を仕掛けてきたのだ。ピシュグリュは、すでに、プリム川の辺りまで、南下してきている」

 プリム川は、緯度でいうと、マインツよりもマンハイムに近い。マインツに向かっていたとしたら、ピシュグリュは、随分南に押し戻されている。




 ピシュグリュ本体軍は撤退を始めたが、幾つかの師団が本体を離れ、抵抗を続けていた。その一つは、ドゼ師団だった。

 やっぱりだ。
 思った通りだ。


「他に、フェリノ師団も、ピシュグリュ軍とは別に、攻撃を続けている」
 バセット将軍が続けた。

「師団長のフェリノ将軍というのは?」

「ああ、君は知らなかったか、ダグー」
 俺が尋ねると、直属の上官、アンベールが説明してくれた。
「フェリノ将軍は、イタリア生まれで、かつてハプスブルク家に仕えていた。しかし、フランス革命の自由平等の精神に感化され、フランス軍へ移籍した」

 ハプスブルク家と聞いて、俺は色めき立った。だがすぐに、深い満足を覚えた。フェリノ将軍が、革命の精神に共感したからだ。革命は、偉大だ。ハプスブルク家の将校さえ、フランスに寝返らせる。




 ちらりと俺を見て、アンベールは続けた。
「長らく神聖ローマ帝国軍にいたせいか、フェリノ将軍は、たいへん厳しく、規律にうるさい。あまりの口うるささに耐え兼ね、軍を辞めてしまう将校もいる」

「そういう軍人は、嫌いじゃありません」
 俺の言葉に、アンベールは目を丸くした。
「だが、君は気を付けた方がいいぞ、ダヴー」
「気を付けるも何も。厳格なのは自分だけで充分です。部下を辞めさせてしまうなんて、厄介な将軍ですね。敬して遠ざけるに限る。フェリノ将軍には、近づかないようにします」
「……」
なぜか一座を、沈黙が支配した。


「こほん」
指揮官代理のバセットが咳払いをした。
「これらライン・モーゼル軍の2つの師団の他に、旧ライン軍のサン=シル師団も、攻撃を開始した」

サン=シルとは、どういう人物かと訪ねようとした俺を、バセットは、ぎろりと睨んで黙らせた。

 旧ライン軍ということは、彼と同じだ。
「サン=シル将軍と、ドゼ将軍との関係は!?」

「サン=シル将軍は、2月に結婚したばかりだぞ」
 小声でアンベールが囁く。
「ん? マインツ包囲中じゃないですか。そんな時に結婚ですか?」
同じライン軍のドゼ師団が、マインツを包囲していた時期だ。サン=シル師団も、包囲軍の中にいたはずだ。それなのに、師団長が結婚?

「サン=シルというのは、そういう男だ。個人主義者なんだよ」
「ドゼ将軍は?」
「彼は独身だ」
 え? そうなの? 密かに調べたところ、彼は俺より2つ上のはずだから、27歳だ。ドゼ将軍は、貴族出身だ。それなのに、実家から、相手を押し付けられなかったのか。

「サン=シル将軍とドゼ将軍は、盟友同士だ。落ち着いて思慮深いサン=シル将軍と、僅かな手勢を率いて突撃をかけるドゼ将軍は、いいコンビだといえる」
 苛立たし気に、バセット将軍が口を出した。
「話をそらすな、ダクー」
「すみません」
素直に俺は謝った。

 ドゼ将軍がなかなか副官にしてくれないから、友人関係等の絡め手で責めようと考えていたのだ。
 若干上の空だったが、俺が下手に出たので、バセットは情報の続きを読み上げた。

「ドゼ師団、フェリノ師団、サン=シル師団。ライン方面軍のこれら師団は、ピシュグリュ軍のプリム川撤退に際し、手ひどい反撃を敵に食らわせた。特にサン=シル師団は、マインツ去り際の駄賃とばかり、西寄りの2つの要所を奪取した」

 集まった一同の顔に、明るい光が差した。声を張り上げ、バセットは続ける。

「さらに、ルノー師団、ボーピュイ師団もゲリラ戦を展開しているという」

「武器がないのは、西岸戻った連中も同じだ。いや、散開し、渡河した分、マンハイムの基地(ここ)より、武器が不足している」
 アンベールが憂えた。
 実際、広範な範囲に散らばる、各師団に対し、大砲は、たった3基しかないという。
「それでも彼らは、戦っている」

「ここで、俺達が、屈服するわけにはいかない」
 俺は拳を握った。体中に、力が漲っていくのがわかる。

 すでに食糧は尽き、ネズミやモグラを捕まえて食べていた。だが、俺の檄に、異を唱える奴は、ひとりもいなかった。
 ぎらつく目を見合わせ、頷き合う。







───・───・───・───・───・

*1
「二つの軍事行動」参照



ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

ルイ=ニコラ・ダヴー


後の帝国元帥。勇敢で正義感が強く、有能。

えーと、これでよろしいでしょうか、ダヴー様……。

ルイ・シャルル・アントワーヌ・ドゼ


ライン軍将校。前衛突撃型。少数の精鋭騎兵の先頭で馬を走らせ、敵に突っ込むタイプ。

高潔で下劣、複雑な二面性を併せ持つ。

アンベール


モーゼル軍右翼司令官から、ライン・モーゼル軍師団長へ。ダヴーの上官。

サン=シル


ドゼの戦友、ライバル。詰将棋のような、確実な戦闘をする。ドゼより4歳年上。

ボナパルニスト諸氏が言うほど、変人じゃない気が……。軍人として、むしろ、常識人。



ブログ「サン=シル」

サヴァリ


ドゼの副官。

ボナパルト時代の彼の失策を考えるに、単純な人柄だったんじゃないかな。それだけに、ドゼへの献身は本物だったと信じます。



*アンギャン公事件で、サヴァリは、憲兵隊長を務めていました。公の処刑決行を指揮したのは、サヴァリです。

 →ブログ「フランス革命からナポレオンの台頭へ1」

ラップ


ドゼの副官。勇敢だが、とにかく怪我が多いことで有名。



*ラップ視点の2000字歴史小説「勝利か死か Vaincre ou mourir

 ブログ「ラップ/ラサール」

ピシュグリュ


ライン・モーゼル軍司令官。前年のオランダ戦では、騎兵を率いて、オランダ艦隊を捕獲した戦歴を持つ。



ブログ「フランス革命戦争4-2」、参照

モロー


ライン・モーゼル軍司令官。ピシュグリュの後任。赤子が母の後追いをするように、ドゼに従う。



ブログ「ジュベール将軍/モロー将軍」

マルソー


サンブル=エ=ムーズ軍将軍。ヴァンデでダヴーと出会う。ダヴーは彼を、妹の夫にと、虎視眈々と狙っている。



ブログ「フランソワ・セブラン・マルソー」

オッシュ


ジュールダンの後を引き継ぎ、サンブル=エ=ムーズ軍司令官に。ドゼは彼を、蛇蝎のごとく嫌っている。



ブログ「ルイ=ラザール・オッシュ」

オージュロー


ボナパルトのイタリア(遠征)軍からドイツ軍(ライン方面軍)司令官に。

ボナパルト嫌いの余り、作者はこの人を、良く描きすぎました。ご注意ください。

【作者より】


純粋な史実は、チャットノベル

ダヴー、血まみれの獣、あるいはくそったれの愚か者」を、ご参照ください。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み