第1話 10万馬券と勘違いな桜花賞(1)

文字数 2,869文字

「いけーっ!!」
平田 優が甲高い男声を張る。
土曜メインの『阪神牝馬ステークス』は、直線の攻防。
馬群を割り先頭に立つサウンドキアラ、スカーレットカラーが大外から追い込む。
「そのまま、そのままーつ」
織田 果凛が金髪ツインテールを乱舞させ、願いの叫びを先頭の馬へ送る。
「差せ、させーっ」
織田 冴が漆黒のポニーテールを振り、末脚届けの大声を外目の差し馬へ後押しする。
85インチのテレビ画面からの競馬実況を掻き消すように姉妹の絶叫がリビングに響く。
サウンドキアラが先頭から2番手を突き放す、スカーレットカラーが鋭い脚で猛然と追い込む。
抜けきったサウンドキアラ、スカーレットカラーが他馬を交わし切り2番手へ。
二頭は三人の声援に応えて、フィニッシュする。
2番サウンドキアラが1着は果凛の応援、15番スカーレットカラーが2着は冴が選んだ。
優は春らしい薄手グレーのパーカーの胸を手で押さえて、的中した安堵の息を吐く。
「馬連2番15番を一点で仕留めたぜ、1万円」
そういいながら、興奮で熱い冴は濃紺ピンストライプのパンツスーツ、自慢げに上着を脱ぐ。
サックスシャツに拳銃を納めるショルダーホルスターが左脇に食い込むと豊満な胸が露になる。
ホルスターのスミス&ウェッソン社製五連発リボルバーが勝ち誇ったように重厚感を示す。
優はうら若き女性が本物の銃を所持するのは驚きだが、大学一年男子としては豊かな胸の方が目を引いていた。
馬連、選んだ二頭の馬が1着2着か2着1着で的中となる馬券だ。
2番人気と6番人気を一点で的中させるのはなかなか難しい。
困難をクリアしたという冴が妹の果凛に親指を突き出す。
果凛はリボンがシックな藍色のセーラー服、チェックのスカートを翻しながら親指を返す。
「冴姉、今日は気持ちいいなぁ。二十年生きていればたまにはいいことあるよね」
私は二十四年間生きているけどと、おどける冴に果凛が拳を突き返すとハイタッチになる。
うら若き女性二人が年齢を口にして喜び合うハイテンションだ。
2020年4月11日土曜、春の陽光が柔らかな午後、住人全員が競馬ファンというシェアハウスのリビングは興奮に包まれた。
優は五日前の月曜からシェアハウスに入居した新入生だ。
昨今の状況により、本来通うべき大学には足を踏み入れてはいない。
このシェアハウスで軟禁状態だが、同居人の年上女性と土日の競馬観戦は数少ない楽しみの一つだ。

「二人とも、よかったスね」
唯一の男性、優が甲高い声音で祝辞を述べ、笑顔を浮かべる。
「ユウくん、ありがと。馬券を買ってもらって、助かったよ」
果凛がレース前を思い出し、スマートフォンでネット投票を代行した優に礼をいう。
「おーい、優くん。配当チェックしてくんない」
20倍位かなと皮算用する冴に呼ばれた優は嬉々としてスマホを手にした。
「んっ?」
息を飲んだ優はネット投票画面を食い入るように見入ると、手を震わせて操作する。
「どうしたの?」
果凛がスマホを覗こうとすると、『ちょっと待って下さい』と後ろ手にする。
冴が『何やってんの?』と問うと両手でスマホを隠すように腹の上で押さえる。
姉妹は何が起こったか理解出来ず、呆気に取られていた。
あくまでも見せまいとスマホを握り続ける男は肩を揺すって息をする。
何とかしようと思案するが、急には思いつかない。
眉間に皺寄せた果凛が前から、口を曲げた冴が後から懸念の目線を突き刺す。
「優くんさ、人のスマホだろ、それ。大事に扱って欲しいなぁ」
冴が優しい声音を優に向ける、顔が引きつってはいるが。
『何でもないですよ、大丈夫』と主張する優に『どうしたら、いいのか?』と按ずる果凛が『うーん』と唸りながら目を閉じて首を傾げる。
「スマホ見せてくれないかなぁ、マジで」
腕組みした冴の表情と声音が厳しさを増す。
優はスマホを持って固まっていた。
「見せろって、言ってんだろ!」
目を見開いた果凛が怒声を突き刺すと、優は覚悟を決めた。
「買い間違えました」
大声で事実を吐く優が『申し訳ない』とばかりに頭を深く下げた。
『え?』
冴と果凛が硬直する。
「まさか…」
冴の嘘であって欲しいという願いが優の『本当です』という言葉に打ち消される。
高い位置で纏めた黒髪を左右に振り、力なくソファーにへたり込んで、頭を抱えた。
果凛が奪い取ったスマホ画面は無情にも馬連2番15番の配当金が2,170円と淡く表示される。
1万円が21.7倍、本来なら21万7千円の払い戻しだ。
さらに果凛はスマホのタップを続ける。
「これ、中山メイン、ニュージーランドトロフィーだね。しかも購入金額は100円だけど」
どうしたら、こうも間違えるのかと不思議がる。
ニュージーランドトロフィーの2番カリオストロは4番人気だが、15番グレイトホーンは16頭立の16番人気だ。
「まだ、これからじゃないですか。的中すれば、阪神の分なんてチャラですよ」
確かに4番人気と16番人気の馬連なら高配当は必至だ。
一縷の望みを祈るように優は両手で拳を作りながら力説した。
二人に顔色が見る見るうちに難儀な影が差す。
「冴姉ぇ、これ難しそうだわ」
「確かに厳しいかもね」
二人はお互い、この馬券は無理目だと嘆息を交し合う。
そして三人はなんとなくレースをテレビで眺めるが、予定通りカスリもしない。
「いやー、阪神と中山を間違えました」
『間違えは誰にでもあるし、財布を落としたわけじゃないですよね』との優はアハハと笑って誤魔化そうとした。
姉妹はどうしたらいいのか悩むようにお互いの顔を見合わせる。
「こいつ、一回シメなきゃ駄目なんじゃ…」
『基本はイイ奴なんだけどな』に優を弟のように思うけどという冴。
その彼女は吸い込まれそうな黒闇の双眸を鋭くして、拳銃に手をかける。
優は『冴さんは大和撫子でお美しい』と媚びる。
「冴姉ぇ、エモノ使わなくても私がシメるよ」
ブロンドのツインテールを左右に振り、蒼き瞳を見開いて、果凛が優を指さす。
指された先の優は『得難い経験でしたね』、落ち着いてくださいと両手を不機嫌な姉妹に懇願する。
「二十歳過ぎてもツインテールとセーラー服がお似合いで」
声が裏返るとまるで女性の口調だ。
普段は可愛らしい果凛だが、優は虎の尾を踏んだ。
「このボケーっ、女子高生だと思ってナメとんのかーっ!」
果凛が優の背後から左足同士を絡め、右脇から自身の上体を前に出し、セーラー服を蛇のように巻き付け、頭を抱き抱える。
短いスカートから瑞々しい素足と下着を惜しげもなくさらし、プロレスの大技、コブラツイストを披露する。
優の阿鼻叫喚がリビングを支配した。
『笑って誤魔化すのは、さすがに無理だったか』と嘆きつつ、今日は天国と地獄が極端だと、激痛が頭を巡る。
ほんの数時間前の天国が鮮明に蘇る。

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