第8話 惠登場!優とコントレイル&サリオスの大事件!?(1)

文字数 3,227文字

「まあ、阪神大賞典のキセキなぁ」
姉の冴は漆黒のロングヘアを弄びつつ呆れ返っていた。
「あれは『凄い』よなぁ…」
妹の果凛はツインテールと肩を落としていた。
シェアハウスに住む二十代前半の姉妹は途方に暮れる残念を耳元で囁き合う。
2020年3月22日は日曜午後、リビングの85インチ8K液晶テレビは無情を映し続けていた。
スプリングステークスの数分前、阪神大賞典でユーキャンスマイルが勝利を挙げた勇姿が流れる。

勝ったユーキャンスマイルを推したのが、差し馬が好きな冴。
キセキを選んだのは、逃げ先行馬が好きな果凛だ。
そのキセキ、差して勝った菊花賞も素晴らしかったが、ジャパンカップの逃亡劇が頭を巡る。
アーモンドアイには屈したがレコードタイムを逃げまくり、2着確保した頑張りだ。
前走の有馬記念5着からの巻き返しを狙うキセキ、だった。

阪神大賞典はスタートから波乱のレースだ。
ゲートイン、ゲートが開きスタート、のはずだった。
キセキは逃げ馬にとって致命的な出遅れ、いやゲートを出ないという方が正しいのか。
ゲートに居座るキセキへの愛情が怒りに変わり『ふざけんな!』と言い放ち、レースが終わるまで押し黙り続ける果凛がいた。
一回目のメインスタンド前、道中先頭集団まで押し上げる。
200の標識までは頑張ったのだが、流石に最後はグロッキー状態だ。
それでも0.6秒差の7着だが、残念なのか健闘したのかは微妙なレース振りだ。
結果、鞍さんが買ったユーキャンスマイルとの馬連1万円は水泡に帰した。
嫌な雰囲気を変えようと『スプリングステークスのお勧めは何でしたかね?』と栗色のセミロングを焦るようになびかせる鞍さんが、わざとらしく訊く。
アラサー美女でシェアハウスの管理人らしい気配りだ。

「まあ、G1ホープフルステークス2着のヴェルトライゼンテが筆頭、ジュニアカップを快勝したサクセッションが次、2連勝のファルコニアは3番手かな、三頭立だよ」
ソファーの上で果凛は膝を抱えて、力のない笑みを浮かべる。
「このトライアルレースではさ…」
「…目に見張る強い勝ち方で、皐月賞でサリオスとコントレイルに迫る可能性があるか、だねぇ」と見所も示す。
「果凛はいい見立てしているね」
「冴さんの言う通ですかねぇ。ここでは果凛ちゃんの見立てた三頭は有力ですね」
冴の励ましに鞍さんが乗る。
やはり果凛には元気な美少女でいて欲しい。
「ヴェルトライゼンテ、サクセッション、ファルコニアの順番で3連単1万円、1点勝負します」
鞍さんは馬券の買い目を露わにし、『信頼していますよ』と果凛の頭を軽く撫でた。
二人に励まされ、『うん』と一緒に自慢の金髪ツインテールが嬉しそうに揺れた。

スプリングステークスのゲートは阪神大賞典とは打って変わって、綺麗な一斉スタートだ。
アオイクレアトールが躊躇なくハナを切る。
内2番手はエン、外3番手シルバーエース。
ガロアクリークは5番手外目、次にヴェルトライゼンテとサクセッション、ファルコニアはその後。
1、2コーナーはアオイクレアトールが先頭、シルバーエースとエンが入れ替わる。
隊列が淡々と流れる中、ファルニアが積極的にポジションを押し上げ、3番手へ。
1000mは63.2秒。
遅いペースに勝負のゴングが鳴ると、各馬の騎手の手が動き、仕掛け始める。
4コーナーは勝負がかりの六頭が横一列だ。
コーナーワークでアオイクレアトール、シルバーエース、ファルコニアの順。
外目はヴェルトライゼンテ、ガロアクリーク、サクセッション。
直線、ヴェルトライゼンテ、サクセッション、ファルコニアの脚色が抜きん出ようとする。
「今だ、突き抜けろーっ!!」
果凛は三頭分の大声での応援だ。
「よし、今だ!」の冴に「「頑張れーっ」」鞍さんとの合奏が重なる。
だが、ガロアクリークは『待ってました』と脚色を伸ばすと一気先頭に躍り出る。
ヴェルトライゼンテが食い下がる、ファルコニアが踏ん張り、サクセッションも鋭い脚を使う。
ガロアクリークが先頭ゴール、ヴェルトライゼンテが2番手、サクセッションが3着を確保すると、ファルコニアがその次だ。
3連単1点勝負は見事?な2,3,4着だ、でも1着が余計だ。
「ばっきゃろー、ふざけんな!」
果凛は罵詈雑言を天に投げ付け、ソファーに尻を落とし着け、胡座をかく。
リビングの天井を仰ぐ蒼い瞳が憂いを宿す。
『もうダメ、二連敗』と首を振ると、悲しそうにツインテールが揺れる。
阪神大賞典、スプリングステークス、東西重賞を連続で外した。
まあ、競馬やっていれば二連敗なんて日常茶飯事だが。

太ももまで捲れた短いスカートから、皺を刻む小さな布のブルーストライプが覗く。
『ほら、みっともないよ。二十歳の娘さんが…』と姉の冴が膝を叩くが、頬を膨らましたままで、動きはしない。
「来月早々、男性の新人さんがもう一人、入居しますので…、ちゃんとしてくださいね」
鞍さんも些か呆れ顔だ。
因みに優が入居前の出来事だ。
普段は鞍さんには従順な果凛はふて腐れている。
『だって…』と理由を言い淀むほど、落ち込んでいた。
『まあ、仕方ないか』とリビングでは二人が憐憫の眼差しを果凛にそっと向ける。
ツインテールを震わせながら怒りを我慢する果凛を横目に住民たちの判断は冷静だ。
皐月賞トライアルレースのスプリングステークスの結果から、『皐月賞はサリオスとコントレイル一騎打ち』だねと囁き合っていた。
「でも、新人の惠がいたら今のレース結果から『サリオスで鉄板』とか騒いでいるだろうな」
冴がもう一人の新住民を思い出すと果凛が続く。
「惠ちゃんかぁ、確かにサリオスが大好きだよね、彼女」
そう言いつつ『今は新潟行きの新幹線の中か…』と思いやる。
「まぁ、事情があってご実家に一度帰るとかで…」
一時期とはいえ住民がシェアハウスを離れるのが少し寂しそうな鞍さん。
「…でも、四月早々にはシェアハウスに戻れるらしいですから」
笑みを浮かべて『道中無事だと良いのですが』と惠と呼ばれた訳あり新人の復帰を心待ちにしていた。

「江藤 惠です。宜しくお願いします」
惠は濃茶のボブ揺らして、優に挨拶で頭を下げた。
鞍さんから促されて、『平田 優です』と簡単に自己紹介した後だ。
桜花賞の翌日、4月13日月曜夕方に惠は東京・深川のシェアハウスに戻っていた。
『メグ』で呼んでもらっていいですよと、表を上げる彼女はボーイッシュな雰囲気が特徴的だ。
優と並ぶと『一見ではどちらが男か女か分からない』と冴が毒舌を吐く。
聞けば、彼女は同じ大学の文学部で新一年生だという、因みに優は社会学部だ。
「惠ちゃん、お帰りーっ」
ツインテールを揺らし飛び跳ねる果凛が両手を取って、『ただいまです』という惠と喜び合う。
「まあ、惠も優も仲良くして、な…よろしく」
染み入るような漆黒のロングへアーと双眸を嬉しそうに冴が二人を歓迎する。
『惠ちゃん、お疲れ様でした』とセミロング毛先をカールさせる鞍さんは、緊急事態宣言下での移動を労う。
「疲れましたよ、早くここの広いお風呂に入りたいです」
屈託なく笑う惠。
「シェアハウスと比べたら実家のが狭いよね」
優は激しく同意する。
惠も優もシェアハウスの名物、旅館の風呂気分満載の大きな湯船が大好きだ。
入浴の話になり、惠から自然と『今度、一緒に入ろうか』と冗談が出る。
まるで同性を気軽に誘うような言葉に優は引っかかりを覚えた。
「さぁ、フルメンバー揃いました。今週末は皐月賞の予想大会です」
大きな音で手を叩き住民たちの注目を集める鞍さんは喜色満面に溢れていた。
桜花賞は『馬券の買い間違え』とトラブルで開催出来なかった。
その『予想大会』に向けて波乱続きなのと、鞍さんに関わる驚愕の真実はまだ、優も惠も知らない。
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