第46話 若草物語の四姉妹 オークスは乙女と指揮者の薫り(6)

文字数 2,649文字

「良し、取った二連勝っ!」
冴がテレビに向けて拳を握りしめて腰へ引く、ガッツポーズだ。
「冴ちゃん、二コロ成功ですね」
鞍さんが笑顔を向けると『単勝1.9倍で半馬身差は心臓に悪い』という冴だ。
東京競馬第9レースの丹沢ステークス、外人騎手第一人者騎手騎乗でバスカヴィル勝利に沸くシェアハウスのリビングだ。
L字ソファーの短辺には冴と果凛、長辺には鞍さんと惠、右隣のオットマンには優だ。
住民たちは慣れない服で疲れているのか、揃えたように今日もジャージ姿で、鞍さんだけがエプロン姿だ。
「8レースから二連チャンですね。オメデトウッす」
「やっぱりルメール様は頼れますねぇ」
「で、次の10レースもいくんかい?」
優、惠、果凛の若手三人衆も昨日に引き続き、盛り上げ役だ。
8レースの調布特別では単勝1.5倍のドナアトラエンテが同じくルメール騎手騎乗で快勝していた。
オークス前の特別三レース、全てがその外人騎手で1番人気だった。
外人No.1ジョッキー大好きな冴が鞍さんを誘って挑む馬券。
そう、『特別レース単勝三コロガシ』に挑戦中だ。
昨日の余勢があるのか、『平安ステークス』の儲けを全てつぎ込んでの勝負と出た妙齢の女性二人が肩を組んで髪を揺らすことが二回目となっていた。
「さて、次もいきますか?」
ノリノリの冴が果凛の問いに重ねて鞍さんを誘う。
10レースはフリーウェイステークス、4歳以上3勝クラス芝1,400mだ。
「どうしようかなぁ?」
目を細めるも表情に苦みを滲ませる鞍さんがいた。
「えっ!?ここまで成功していて、止めるんですか?」
驚きと残念が冴に入り交じる。
「だって、ねぇ…」
冴から顔を背けるように理解を求めて応援団の若手三人に向く。
惠、優、果凛は声を潜めて鞍さんの意を受けるようにレースの見立てを話し始める。
「ハンデ戦ですよね」
「難しい一戦だよ。実際、人気も割れているし」
「単勝オッズ10倍以下が六頭もいるよね」
「ブレイブメジャーが1番人気だけど4.2倍でしょ」
「昨日の『平安ステークス』も人気が割れていたけど、1番人気が3倍で10倍以下は五頭でしょ」
「『平安ステークス』は別定戦だったし、まだましだよね」
「それでも『平安ステークス』は1番人気が馬券外に飛んだしさ…」
「外野!うるさい!!」
冴の癇癪が若手三人を脅した。
目を逸らす惠、優、果凛はバラバラとあらぬ方向へ顔を背ける。
「分かりました。コロガシ、ファイナルを決めましょう!」
見かねた鞍さんは諭すように馬券への意欲を投げた。
その一言で冴は落ち着きをみせると、髪ゴムで漆黒のロングヘアを高い位置で纏めた。
無言で鞍さんにも髪ゴムを渡す。
意を決した鞍さんも栗色のセミロングをポニーテールにした。
気合い入れて髪を纏めた二人が並ぶと、決死の覚悟の攘夷志士のようだ。
そして、冴も鞍さんも真顔でスマホを手にしてネット投票に集中していた。
その時だ。
視力のいい果凛がふと鞍さんのスマホを横目で覗く。
思わずのけ反る身体を必死で止めると、両手で口を塞ぐ素振りをする。
果凛は目線だけを左右に泳がした、誰も私の驚きをみていないよね、と。
誰も気付いていないのを確認すると安堵して、胸の中だけで独り言ちる。
『複勝買っているのかよ、鞍さん』
もし冴に黙って複勝を買っているなら、鞍さんが彼女とタッグを組んだ『特別レース単勝三コロガシ』に対する裏切りだ。
しっかりと確認してないが、鞍さんは単勝ではなく複勝を勝っているようだった。
果凛は異常な状況を住民たちに伝えようと、口笛を吹くのを思い付くが、わざとらしくなるので止めにした。

フリーウェイステークスは想像通りのハンデ戦らしい激戦となる。
スタートして、先頭のキルロードから最後方のネリッサまで十四頭が約10馬身内の一塊で直線を迎える。
そしてレースは直線まで縺れ込み、残り400を切る。
全馬がほぼ横一線でチャンスを伺う。
内からブレイブメジャーがタイミングを計りながら、脚を伸ばそうとする。
アビームがその前、ネリッサが後、カルリーノは大外で後方待機。
「いけーっ!ブレイブメジャー」
冴がポニーテールを振り回して、右腕をテレビに向かって突き出した。
必死に追いまくるがもどかしい、突き抜けない。
200の標識を切る、ブレイブメジャーにやっとエンジンがかかる。
だが、外からの馬の脚色がいい。
2番人気のアビームが抜けだし先頭、2番手は4番人気カルリーノで1、2着の体勢は決したか。
3着争いは内からネリッサ、ブレイブメジャー、ウインフェニックス、アフランシールの四頭の大激戦で、内から二頭目のブレイブメジャーが必死で競り合う。
「ブレイブメジャー!ブレイブメジャーッ!!」
「ブレイブメジャー、頑張れーっ!!」
立ち上がった冴と鞍さんが高い位置で纏めた髪を天に衝く。
アビームが1着、2着はカルリーノ。
3着は僅かに最内のネリッサか。
ブレイブメジャーは4着か5着だ。
「ふぅ」
短い嘆息を同時に発した妙齢の女性二人はソファーへ崩れ落ちた。
冴は頭を抱え、鞍さんは『ダメだった』という意味で栗色の髪を左右に振る。
心配そうに見入る惠と優。
だが果凛は冷静に姉に問う。
「冴姉ぇ、単勝いくら買ったの?」
冴が思わず肩を振わせ『たいして買っていない』とのこと。
「スマホみせてよ」
『えっ!』と絶句する冴に『減るもんでもないでしょ』と果凛が畳み掛ける。
「いや、当たってないし。ハズレ馬券なんて恥ずかしくて、人様に見せられないよ」
冴はスマホを強く握り締め続けていた。
「鞍さんはどうだった?スマホみせてよ」
『いや、あの、その』と口ごもる。
冴も鞍さんも『これ以上責めないで』という情けない表情をみせる。
あのポニーテールたちの3着争いでの声援に対する入れ込み具合を鑑みた。
意地悪にもカマを掛けてみた結論を果凛は胸の内で呟く。
『複勝だよ。二人とも』
ちゃっかりしているよね、冴姉も鞍さんも。
まあ、結局はハズレでコロガシは失敗だけど。
競馬の神様がいるなら、ちゃんとみているということか。
だけど、お互いにナイショで複勝を買う図太さがあるなら、酷く落ち込むことなくオークスは迎えられそうだ。
着順掲示版にはブレイブメジャーが5着と表示されている。
到達順位を確認した果凛は『大人二人は大丈夫』と思うと安心して口笛を吹き、リビング一杯に響かせた。
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