第33話 唄え!内山田洋子と熱きクインテット ヴィクトリアマイルの大合唱(1)

文字数 1,851文字

「逃げろ!逃げろ!逃げろーっ!!」
「奈々ジョッキー、持たせろーつ!」
果凛と優はソプラノ・アルトの女声二部合唱を85インチ8K液晶テレビに響かせる。
スタートから3コーナーまで奈々騎手鞍上の10番人気のナルハヤは2番手に1馬身差を開き、逃げまくっていた。
2020年5月16日土曜、新潟競馬第11レースのパールステークス、3勝クラス牝馬限定戦は芝1800mで雨中の激闘だ。
2番手以降はじわりと差を詰め、虎視眈々とナルハヤを躱すタイミングを狙っている。
4コーナーのカーブ、果凛と優の声援を受けナルハヤはインで先頭を進む。
1番人気のアンドラステはまだ中段だ。

後方集団が一団となりペースを上げて、ナルハヤを飲み込もうとする。
横殴りの雨が画面を流れる。
1000m61.3秒、これなら逃げ馬の前残りに期待か。
直線は何時捕まっても不思議ではないが、なかなか差は縮まらないが、開きもしない。
「奈々さん、あと少しだ!」
「頑張れ-、ナナちゃんーっ!」
「ナルハヤっ!頑張れ-!」
冴が立ち上がって漆黒の髪を揺らし、鞍さんが手でメガホンを作り、惠が前に倒れそうになる程に身を乗り出す。
三人の応援を受けて1馬身差を開き、200の標識をクリア。
何とか、逃げ切れるか。
シェアハウスのリビングに広がる、一瞬の安堵。
だが、気休めを打ち破る緑色の帽子、1番人気のアンドラステが猛然と追い込む。
『粘れ!粘れ!粘れ!粘れ!粘れ!』
住民五人の女声三部合唱、ソプラノ・メゾソプラノ・アルトのスタッカートが共鳴する。
アンドラステがナルハヤに並び掛けようとする。
『差すな!差すな!差すな!差すな!差すな!』
虚しいパッセージがゴール寸前まで、響く。
アンドラステが鮮やかに躱すと決勝点、人馬一体の素晴らしい競馬だ。
ナルハヤは2着で、先頭との差は3/4馬身。
「ああ、惜しかった…」
「…悔しいよぅ」
優が高音で口惜しがる。
「優はテノールもアルトもこなせるんだねぇ、不思議と」
「彼にはパッサッジョがないんだろうなぁ、妙だけど」
果凛と冴が、優の男声テノールも女声アルトも出せる声音が奇妙だという。
冴曰く、パッサッジョ、低音から高音に上がっていく時に歌いにくくなる音域がある、それが優にはないらしい。
珍しくもテノールもアルトもこなせるのだ。
「これもヒロコさんの指導のお陰ですかねぇ…」
「…合唱の練習成果ですかねぇ」と惠が『ヒロコさん』と鞍さんの友人の名を挙げる。
「まあ、ヒロちゃんはアンドラステの所属厩舎が好きで、このレースもアンドラステ推奨ですから」
鞍さんの友人、『内山田洋子』はその姓が似ている理由で、その厩舎のファンだという。
『新潟土曜メインのパールステークス、アンドラステは人気でも狙い目よ。5戦3勝、後は2着と3着。その3着は前走で同条件の3勝クラスでのもの。牝馬限定戦のここは勝ち負け』とヒロコは鞍さんにお勧めスマホトークを送っていた。
「でも、お見事は優くんと果凛ちゃんですね、ナルハヤ推奨でしたもの」
14頭立、10番人気が2着の結果に鞍さんは満足げだ。
優がナルハヤの前走、福島でのエールステークスの敗北を『昇級初戦でナルハヤには1F長い芝2000m。この日の福島は差しが決まる中で、荒れ気味の内側を果敢に逃げましたが厳しい競馬でした』と馬場と展開が敗因と分析した。
逃げ馬が好きな果凛が『今回は2走前にいいペースで逃げ切り勝ちした芝1800m、今のナルハヤにはベストの条件。調教は良い意味で平行線。馬場も開幕3日目の良馬場発表で、走り易くも雨で少し渋いのは向いている。ナナちゃんは新潟得意だし、女の子同士なら自分の競馬に持ち込めば、今度は粘りまくる』と推奨した。
馬券は2番ナルハヤと9番アンドラステの馬単のオモテウラを各5,000円だ。
馬単9番2番は4,140円と嬉しい的中だが、ナルハヤ頭の夢を見た。
馬券が的中すれば幸せなシェアハウスの住人たち。
鞍さんは10万馬券に続く中穴的中で、『奈々ジョッキーとは相性良いわね』と喜んでいた。
住民たちナルハヤと奈々ジョッキーへの『合唱』の声援を送った。
その成果かどうかは分からないが高配当的中である。
その『合唱』声援について、鞍さんは『ヒロコ』こと『内山田洋子』、近所に住む競馬ファンである友人との五日前の巡り会いを思い出していた。

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