第41話 若草物語の四姉妹 オークスは乙女と指揮者の薫り(1)

文字数 3,169文字

「鞍さーん、また来ちゃった」
内山田洋子はシェアハウスの引き戸を開け放つなり、言い放つ。
ヴィクトリアマイル当日の日曜は薄暮に入りつつある、五月の陽は長い。
玄関のすぐの部屋から何ごとかと、優が顔を出す。
隣の鞍さんの部屋は戸が閉じているが、人の気配はありそうだ。
「ヒロコさん、来たんスね?」
昨晩一緒にヴィクトリアマイルの予想していたヒロコの再来訪に優が疲れている表情に驚きを滲ませる。
「来ちゃ悪いのかよ」
緩めた口から白い歯をみせたヒロコはTシャツから出る日焼けした腕で優の頭を掻きむしる。
配達の途中でヴィクトリアマイルの結果が知りたくなり、シェアハウスに寄ってみたという。
予想大会に参加した仲だ、スマホでのやり取りだけでは味気ないのだろう。
「鞍さんは…」
問いかけたヒロコの前に鞍さんはいつものエプロンで佇立していた。
ただ、ヴィクトリアマイル観戦時とは髪型を変えていた。
いつものセミロングの明るい茶色の毛先はフォワードとリバースのゆるいカール。
それが今では、トップから耳ラインまでの三つ編みを後ろでリボンの飾りゴムで纏めた編み込みだ。
すっきりと大人の可憐な雰囲気を浮かべていた。
「勝ったよね、オメデトー」
ヒロコは鞍さんの頬に軽くキスをくれると、思いっ切り抱きついた。
『ヒロちゃん、背骨折れそう…』と鞍さんは涙を浮かべる。
何だ、ナンダだと二階の女子たちが階段を下る音を連ねる。
惠が抱きつく女性二人を見ると顔を夕日に染める。
冴が苦しがる鞍さんをみると、『どうどう』と猛獣をあやすようにヒロコの背中を叩く。
階段の途中、隠れながら果凛が顔を顰めて『また、ヒロコかよ』と息衝く。
背中を叩かれたヒロコが離れ、鞍さんが微笑みながら苦しかったと小さい咳をする。
優はヒロコに怪訝そうな顔を向け、口を開く。
「でも、ヒロコさん、どうして勝ったって分かったんスか?」
「鞍さんはね、勝って気分がいいと髪型を『編み込み』にするんだよ」
『ね』というように悪戯好きの女性は鞍さんの顔を覗き込んだ。
なるほど、機嫌がいいと髪型を複雑に変えるのは有名らしい。
優はその鞍さんの髪に見惚れていた。
普段はセミロングの髪をAラインで優しげだ。
えり足五センチの一つ結びで前髪を顔の周りに残す大人びた髪も優は好きだ。
玄関からの傾き加減の陽光でシルエット浮かべる編み込みは犯罪だ。
優は梅雨前の湿気を含む風を感じながら、鼓動を速くする。
「アーモンドアイの勝ち方が凄かったですね」
優の注目を逸らそうとしてか、数時間前の興奮を思い出す惠は両手を握り力説する。
ヴィクトリアマイルのアーモンドアイの勝ちっぷりを全員が目を瞑り思い起こす。
「騎手がムチを使わなくても、追わなくても、関係ないねぇ」
冴が感を述べると、果凛が両手を後頭部に置きながら続ける。
「G1を『調教』代わりにしたもんな」
「あ、果凛ちゃん、みっけ」
「やっべ」
ヒロコは嬉々として果凛の手を取り、階段下へ誘う。
果凛は上気しながらも嫌がらない。
ヒロコは白カットソーにデニムサロペットの果凛を優しく抱く。
「このバカ、ヒロ…」
落ち着かせようと背中を両手でゆっくりと摩る。
果凛の時の刻みが、止まる。
胸と胸を合わせて鼓動を確かめ、斉える。
果凛が和むと、ツナギの隙間から腰に両手を這わす。
「…コッ」
切ない息を消した果凛が腰を折る。
ツインテールが頬を掠めた。
ヒロコは細い腰へ幾度となく手のひらを弄る。
右手を華奢な尻に向け蠢かす。
ヒップを隠す布を探り、ゴムの隙間から人差し指を入れる。
ヒロコの勝ち誇った笑顔、果凛の怯える桃の吐息。
勝者の手に収まるのは二つの丘陵たる殿部だ。
双子の丘陵に挟まれた谷、指らが喜ぶように這う。
果凛の小さな上気した息。
その先、食指はさらに小さな丘を伺う。
「こら!」
鋭い目の冴がヒロコの頭に手刀を軽く見舞う。
『姉のすぐ先で妹に何さらす』と豊かな胸を包む白カットソーの左脇にはショルダーホルスターに抱えられた鈍色のリボルバー式拳銃に手が掛かる。
「はは、ゴメンね」
軽い痛みにと冴の鋭い目つきに耐え、ヒロコは両手を合わせて堪忍を表わす。
シェアハウスの住民と絡み合うのが、少し変だ。
鞍さんは果凛をからかうヒロコを心配する『ヒロちゃん疲れていない?』と。
『ううん』と否定の意味で首を左右に振る。
だが、ヒロコから緊急事態宣言の不都合な真実が思わず、口から突いて出る。
『飲食店関連の売り上げが落ちちゃってね』と苦笑しながらヒロコは頭を搔く。
街の小さな酒屋の厳しい状況に思いが寄る。
「ヒロちゃん、これ…」
酒代と言って鞍さんは茶封筒をヒロコに手渡そうとする。
『そんなつもりじゃないよ』と鞍さんに焦りながら『違う』という意味の両手を振る。
「もともと渡そうと思っていたし…」
「…なんたって、馬券取ったしね」
変えた髪型からか、爽やかさを増した鞍さんは満面の笑みだ。
「これは友情」
そういう鞍さんは『同情じゃないから』と袋と念を押す。
冴と果凛の姉妹も『どうぞ』という風に手を向けて受け取りを薦めた。
恐る恐る茶封筒を手にして、中身を確認する。
このストレートなヒロコが鞍さんは好きだ。
『緊急事態宣言の解除までの辛抱かな』と励ます鞍さんの配慮に頭を下げ、礼をいう。
「毎度ありい」
アヤメが花咲くように笑みが拡がると茶封筒を前掛けのポケットに突っ込む。
「次の配達行くわ」
住民に背を向けて手を振りながら『元気が出た』言いつつ、玄関を後にして白い軽ミニバンに向かう。
陽を浴びる淡いオレンジの軽ミニバンがタイヤの音を軋ませながら、急発進する。
その陽光は開け放たれた玄関から住人たちに朱色の光を浴びせる。
ヒロコが過ぎ去った後、早く普段に戻って欲しいと鞍さんは願いを口にする。

『鞍さん、封筒に幾ら入れたの?』と下世話な果凛に『ワインのお代、相場ですよ』が返る。
先週ヒロコが持ち込んだデイリーワインとボルドー赤の古酒の代金だという。
本当にワイン代だけ?と首を傾げる冴に優しい声音をかける。
「ご祝儀もありますけどね」
『的中の喜びを皆で分かち合いたいです』と鞍さんは『編み込み』を撫でた。

鞍さんを顎がれるように眺め続ける優。
惠は羨ましさが滲むのを隠そうと手で髪を梳く。
『髪型変えようかな』と農茶のボブの毛先を陽光の中で弄ぶ。
髪型変える時は相談に乗るよと、果凛は逆光に浮かぶ惠の背中をさすった。
何かの時に髪型や服装を変えるのも気分転換になり、悪くはないのだが。
冴が鈍く鋭く光る拳銃を胸の脇のホルスターに戻す。
その光景と陽の光に目を細めて眺める鞍さんが『編み込み』から手を離す。
シェアハウスに優と惠が入居した五人の生活が1ヶ月を過ぎていた。
「皆さんで写真を撮りましょう」
住民たちの瞳の光、瞳孔が集中する。
鞍さんは右の人差し指を『一』の意味で立て、住人に語りかける。
「冴さん、果凛ちゃん、惠ちゃんに、優くん。ご一緒の集合写真です」
『うふふ』と少女のように腰をくねらせ、いい機会だし、惠と優の出会いを残したいという。
拳銃から手を離す冴と両手を頭の後ろに回して口笛を吹く果凛が顔を見合わせ、叩首する。
『楽しみです』とは惠の弁だ。
「優くんは?」
名を呼ばれた優がドギマキしながら、首を数回、縦に振る。
撮影について今週は天気が悪そうなのでオークス前日の土曜午後と、決まる。
何となく引っかかる優は、このシェアハウスでイベントが『突拍子のないこと』ではと恐れていた。
そう考えると、優は土曜午後から逃げ出しそうになる。
だが、その恐怖はあっけなく、土曜日に優の目の前に現れるのだが。
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