第51話 優と惠、メイドと執事の物語 ダービーはイングランド貴族の宴(3)

文字数 3,062文字

「アオイシンゴ、頑張れーっ!」
2020年5月30日土曜日午後、シェアハウスのリビングで鞍さんの応援が再びアオイシンゴに飛ぶ。
東京競馬第10レース葉山特別は直線の攻防。
200の標識を過ぎ、アオイシンゴが先頭に立つ。
外からナスノシンフォニーがアオイシンゴに迫る。
「粘れーっ!アオイシンゴーッ」
惠も声援を投げる。
アオイシンゴをマークしたナスノシンフォニーが鋭い差足を使い、先頭に立つ。
「あーっ」
鞍さんと惠の残念そうな声がテレビに向かうとゴールだ。
1着ナスノシンフォニー、2着アオイシンゴだ。
単勝は買っていないが、前走のご縁でアオイシンゴを応援する鞍さんと惠だ。
「ま、ワイドが的中ですから、良しとしますか」
鞍さんはナスノシンフォニーとアオイシンゴのワイド一点1万円を惠の見立てで買っていた。
惠曰く、アオイシンゴは前走惜しい競馬で引き続き勝ち負け、ナスノシンフォニーは同じ左回りの中京マイルを大外から直線一気の1:33:6で勝ち上がりは昇級初戦でも通用するとのことだった。
冴は惠の『本格的予想』について『どんなもんか』と様子見を決めていた。
ワイドは160円の配当だが、当たれば自然と笑みが零れ、惠と鞍さんは幸せそうだ。
だが、果凛がつまらなそうに囁く。
「相変わらず勝ち身に遅いよなぁ、アオイシンゴ…」
「…惠ちゃん、いい見立てしてんだからココは馬連でビシッと行かなきゃ」
結果論だが馬連の配当は270円で『買わない馬券は良く当たる』と果凛がうそぶく。
「まあ、配当200円未満は丁半バクチに劣るから、あまり買いたくないなぁ」
まあ、確かにそういう考えはあるかと優は胸の内で賛同する。
「果凛、そこまでにしておいたら」
姉の冴が穏やかに諭す。
それ以上言葉にはしないが、仲間が馬券を的中させたのに不愉快な台詞は自重しろという意味だ。
勿論、果凛もそれは分かっていて一旦は大人しくなる。
鞍さんと惠はお互いに笑みを浮かべ合うと、シェアハウスは再び、的中のささやかな幸福に包まれた。

「まずは人気でもビアンフェですかね」
惠が積極的に予想の口火を付けた。
京都競馬第11レース 葵ステークスは3歳重賞で芝1200mだ。
「G3の函館2歳ステークスでタイセイビジョンを負かして、G1でサリオスに食い下がった実績はココでは一枚上です…」
サリオス大好き、タイセイビジョンを応援する惠が続ける。
「…前走は重馬場で負けましたが、良馬場なら巻き返します」
『おお、素晴らしい予想だ』と冴がいえば『優くんがフォローしてますしね』と鞍さんが応える。
優と惠が見合うとお互い恥ずかしそうに笑みを交し合う。
果凛がソファーの肘掛けに頬杖をついて、だんまりを決め込む。
「相手はどうよ?」
冴が促すと即答する。
「少し穴っぽいですが、ワンスカイをチョイスします」
「お勧めの理由を教えてくださいね」
鞍さんが強い興味を示す。
「前走は1勝クラスを勝ち上がったばかりですが、オープンクラスでG1馬のラウダシオンやG3で勝ち負けのプリンスリターンといい競馬をしています。これなら重賞でも通用するのではと考えています…」
「…それに若手ホープのジョッキーが騎乗しますので」
というと優は騎手名とレース名で『あること』に冴が気づく。
白い歯を浮かべた冴に『騎手名とレース名』で突っ込まれると『いや、まぁ、そんな。そうです』と惠は顔を紅潮させる。
それは惠が好きな高校吹奏楽部を舞台としたアニメ化された人気小説のキャラクターの一人でもある。
「それで、どうしますか?」
鞍さんが他の馬を選ぶのか、結論を出していくのかを促す。
「ワイド一点でお願い出来ますか」
「分かりました。ビアンフェとワンスカイのワイド一点、1万円いきます」
惠の力強さに鞍さんも即答となる。
優が『いい予想だよ、当たるといいね』と惠の肩を一度叩いた。
確かに小説とアニメのキャラクターとは別になかなかの見立てである。
今度は冴も惠のワイド一点に乗ってみるという。
「馬連はどうよ!?」
惠の予想は納得の果凛が馬券の種類を披瀝し問うた。
彼女の発案は静かになったリビングに消えていく。
鞍さんが『今回は惠ちゃんお勧めのワイドで良いかなって』といいつつ『果凛ちゃん、ゴメンね』とフォローする。
果凛がいいたいことを飲み込むような表情で、相変わらずソファーの肘掛けに頬杖をついていた。
L字ソファーの短辺からリビングへ投げるその瞳はオットマンに戻る優が何となく捉えていた。

葵ステークスは一斉のスタートで、四頭が先頭を目指して争い始める。
その中でビアンフェがハナを切るのはスピードの違いか。
デンタルバルーンが2番手、トロワマルスが3番手、レジェーロは4、5番手。
ワンスカイは6、7番手くらいか。
600m33.4秒。
3,4コーナーで内ラチ沿いをビアンフェが先頭、ワンスカイは5、6番手でいい位置か。
直線を向いてトロワマルスが並び掛けようとするがビアンフェは抜かせない。
中をレジェーロ、ワンスカイは外目を追い出している。
「逃げろー、ビアンフェ!」
「ワンスカイ、差してこい!」
冴と優が鞍さんと惠の代わりに応援を投げる。
惠はレースを静かに眺めている、なかなかの勝負師振りだ。
200の標識を過ぎる。
粘り込みを図るビアンフェに大外からワンスカイとレジェーロが脚を伸ばす。
「ビアンフェ!ワンスカイ!頑張れーっ!」
ここで鞍さんの声援が飛ぶ。
ビアンフェは捕まらない、勝負あったか。
ワンスカイが並び掛けようとするが2番手をレジェーロが確保する。
ビアンフェとレジェーロがゴールになだれ込む。
ワンスカイが3番手を確保もケープゴットが大外から差してくる。
「耐えろ!」
惠の短くて強い応援は、ケープゴットに詰められるもワンスカイが3着を確保。
「よし!」
惠の小さいほっとした声とささやかな右手のガッツポーズだ。
ビアンフェとワンスカイのワイド的中である。
「良くやった」
「ナイス的中」
冴が惠の頭に手を置きボブを揺らすと、優が親指を立て褒め称える。
鞍さんが目頭を熱くしながら横から惠に抱きついた。
「おめでとう」
そう言って黙ると、鞍さんは暫く惠に寄り添い続けた。
多分、惠の本格的な予想的中がかなり嬉しかったようだ。
ワイドは2着に11番人気が突っ込んだためか、1番人気と5番人気で910円の好配当だ。
リビングに的中の哄笑が響き合う。
『やるじゃん、惠』と独白する果凛は『それでも私は馬連で勝負だな』を小声で囁く。
「果凛さん、馬連は連敗ですね。惠のようにワイドでも良いんじゃないスか」
優が思わず吐露して、オットマンから立とうとする。
果凛が優にダッシュをかけ、彼の立ち上がる動きを利用して横に寝かした身体を重量挙げのように持ち上げ首の後ろへ、そして肩で担ぐ。
果凛の肩部で仰向けにされた優は顎と右足を腕で抱えられると、彼女の首に巻かれたマフラーのようになる。
「アルゼンチン・バックブリーカー!」
女子高生が男子大学生相手に怪力派のプロレス技を披露する。
「人がどんな馬券を選ぼうが、勝手だろ!」
体重軽めとはいえ大人の男は、身長が低く腕も細い果凛がどこから力が湧いてくるのか、疑問に感じながら絶叫する。
「火事場の馬鹿力ーっ!」
その咆吼は男の悲鳴を打ち消し、真っ赤な顔でツインテールを揺らす美少女に鞍さんと冴が慌てて駆け寄ってきた。
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