第25話 源氏とキセキの物語、天皇賞春は王様の命令!?(9)

文字数 2,449文字

ゲートは8枠14番ピンクの帽子フィエールマンが誘導され、係員が逃げるように離れる。
短い金属音。
響きと共にゲートの方に目を遣る、いない。
『よし』と果凛が小さくガッツポーズする
少しバラバラした馬群はほぼ一段。
当たり前のスタート風景が不思議に感じられる。
三秒が過ぎ、ダンビュライトがハナを主張し、スティッフェリオが追走する。
キセキは3番手、鞍さんもやっと安堵する。
果凛は複雑な心境でキセキを眺める、逃げないのか。
ユーキャンスマイルは5番手のイン、フィエールマンその後の外目。
正面スタンド前、先行三頭の隊列は変わらない。
キセキは3番手追走、今日のレースならこの位置でもいい。
1000m63秒。
不安が、疑念が果凛の胸に湧く。
疑心暗鬼を証明するようにキセキが離れた外目を追走し、先の二頭を追い掛け始めた。
仕方ないという感で腹を括ったであろうレジェンドジョッキーが折り合いを目指し1コーナーへ突入する、先頭で。
苦虫を噛み潰したような顔、果凛は自身の頬肉の硬直で分かる。
鞍さんの『その展開では厳しくないか』とのため息が場に響く。
今日のレース展開なら3番手で、4コーナーを迎えて欲しかったと、優も握る手に焦りが浮かぶ。
競馬初心者の惠でさえ、『3番手をキープ出来ないの?』と疑問を投げるくらいだ。
腕を組んだ冴は口を真一文字にして、真っ直ぐテレビを見詰めていた。
逃げるなら最初からストリーを描いてなら納得するがが、住民たちの総意だ。
向こう正面は先頭キセキ、ダンビュライトが3馬身差の2番手、その4馬身差にスティッフェリオ。
『今日なら、スティッフェリオの位置がキセキに欲しかった』は果凛の嘆きだ。
4コーナーから直線、先行三頭の順位は変わらずも、差はほとんどない。
ユーキャンスマイルが内に切り込み、フィエールマンが大外から追い込む。
スティッフェリオがキセキに並び掛け早めの先頭で押し切ろうとする。
直線、キセキはまさにガス欠となり、果凛は顔面蒼白だ。
外から三頭に内から一頭に抜かれ、テレビ画面から消えかかる。
フィエールマンと少し遅れてミッキースワローがスティッフェリオに襲いかかる。
最後の攻防、内スティッフェリオと外フィエールマンの叩き合いは迫力満点だ。
だが、果凛は何故かゴールを目指す先頭二頭を冷静に眺められ、呟く。
「キセキのレースの組み立て、1000mまでは良かったんだよな」
ハナを揃えてゴールの瞬間、『外が勝ったという』とい言葉とともに果凛がツインテールを床に向ける。
「3秒は3秒でも63秒だったか」
1000mでキセキの天皇賞は結んでいたのかも知れない。

意味のない虚脱感が住民たちを覆う。
現実から逃避するように、優が両手を突き上げ、素っ頓狂な声を挙げる。
「あー、淀へ行きたかったなぁー」
天皇賞が終わると競馬の生観戦への想いが不思議と募る。
「ついでに宇治の大吉山も…」
もう一つの目的であるアニメの聖地巡礼にも想いを馳せる。
『…源氏物語ミュージアムも』と惠が追随して、笑う。
現実はそうはいかない状況だ。
「ま、そんなものよ」
冴が不思議と割り切った感のある笑みを浮かべる。
「また、来週。また、次だ」
果凛が今のレースを振り切りたいとツインテールを振る。
「でも、キセキ大好きだよぉ」
果凛が目を潤ませると、鞍さんが双眸を細くする。
「そうね、次のレースを頑張りましょうね」
鞍さんの柔らかい口調に救われる。
「宝塚記念に出走したら、また応援だ」
果凛が空元気で声を張った。
女神の微笑みを受けた住民たちは前向きに次の競馬へと想いを巡らせた。

惠と優は仲がいいのか悪いのか、二人の関係は誰も読めない。
それこそ坊主めくりと同じで、一寸先が闇なのかも知れない。
そしてキセキと騎手、騎乗などについて、どうこういうつもりはない。
だがキセキと騎手、惠と優の関係や坊主めくりと同様、展開が全く分からないのだけは確かな気がする。

「で、どうだったんですか?」
気持ちを切り替えた果凛が両手を腰に置き、腰を屈めて鞍さんと姉の冴を問う。
『馬連1万円は買えて損したけど、他は時間切れでセーフ』で『3連単は買えていない』と冴。
『天皇賞はまるまる買えていませんでした』との鞍さんは『デゼルの単勝は1万円買ってました』とのこと。
「鞍さん、天皇賞の馬券買えないで助かっただけじゃなく…」
「デゼルの単勝をちゃっかり押さえているんだよなぁ」
果凛と冴は呆れかえる。
「デゼルの単勝、おめでとうございます」
自分が的中させたように嬉しそうな惠がお祝いを述べると冴が口を挟む。
「鞍さん、私が追加で買った天皇賞の馬連1万円どうしますか?」
鞍さんのスマホが『画面エラー』で冴が慌てて買った馬券の処置だ。
「デゼルの単勝取ったから、お支払いしますね」
「じゃあ、万一、デゼルが負けていれば…」
果凛が意地悪そうに訊く。
「どうだったんでしょうねぇ」
住民たちに背を向けてリビングから庭へ目線を逃す。
「天皇賞の馬券、買えなくて『助かっているのに』それはないんじゃないですか」
冴が苦笑しながら、背中に問うた。
「そう、私は意地悪なんですよ」
振り向いた鞍さんは薄らとした外光を背にしてそう宣言した。
曇りがかる逆光の中、表情が読めない。
鞍さんは台詞とは逆な『私は正直者ですよ』を意図する満面の笑みを浮かべていたのだろう。
そう信じたい住民たちは微笑ましく、軽い光の中で佇む女神を見入っていた。


第三章、了。


この小説はフィクションであり、過去および現在の実在する人物・組織・馬などにはいっさい関係ありません。


*参考文献
はじめて読む 源氏物語
監修者 藤原 克己
編者 今井 上
花鳥社

あにまっぷる 宇治 2020 改訂版
発行人 関 西馬
KBaS関西『ぶらり聖地巡礼の旅』

最新版 ワイン完全バイブル 
監修 井出勝茂
ナツメ社
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