第42話 若草物語の四姉妹 オークスは乙女と指揮者の薫り(2)

文字数 1,731文字

シェアハウスでは普段の夕食時は競馬の話が案外、少ない。
月曜日夜などは先週末の結果や今週末の予想を簡単に話すこともある。
ただ、平日の夕食時は学校や社会、シェアハウスの内外含めて雑多な話が主だ。
ここでの話は気楽なおしゃべりから情報交換、愚痴から懺悔もあり、励ましもあった。
そして冴は食事中でも冷静だった。
そつない彼女らしく、会話中も場の雰囲気を保つのは忘れなかった。
ただ『徹夜で夜勤』という際、食事中は寡黙で雰囲気が研ぎ澄まされる。
まるで獲物を狩る猛禽の目を披露することもある。
住民たちはシェアハウスのテーブルマナーとして冴の状態に配慮していた。
冴の『仕事』の内容を聞こうとする優が終始、はぐらかされていたのはご愛敬か。
今日も他愛もない会話で夕食が進む、はずだった。

普段の雰囲気の中、その冴が珍しく月曜夜に競馬の話を切り出した。
今晩が『徹夜で夜勤』にも関わらず、だ。
「オークスは四姉妹、四頭立かねぇ」
ピンクのブラウス左脇でショルダーホルスターに抱えられた拳銃と共に馬名を披瀝する。
「デアリングタクト、デゼル、クラヴァシュドール、ミヤマザクラ」
デアリングタクトが好きな冴が待ちきれないと、先頭で名を語った。
「デゼルちゃんは可愛くて強い」
惠が新興勢力のデゼルを天才美少女降臨と紹介する。
「クラヴァシュドールでしょう。スムーズな競馬なら巻き返すよ」
先行馬とデムーロ騎手好きから果凛はクラヴァシュドールに注目という。
「距離延長でスタミナならミヤマザクラじゃないですか」
優が札幌の洋芝で強い勝ち方をしたミヤマザクラを挙げたいという。
全員の箸が止まり、鞍さんに『オークスの注目馬は?』と、目線が集まる。
その名を住民たちは固唾を飲んで待っていた。
「オルコットの『若草物語』かな」
住民たちは頭の中が疑問符『????』で一杯となる。
また、鞍さんの『自分の世界』が始まるのか。
だが、シェアハウスのイベントだ。
今週末のオークスのヒントが含まれているかもと、住民たちは聞き耳を立てる。
『特に第一部がいいのよねぇ』と語る鞍さんは惠に『知らないの?』と首を傾げる。
『いや知ってます。読んだこともあります』と水を一口飲むと『解説』する。
『若草物語』は、南北戦争の頃の東部アメリカが舞台となる。
四人の姉妹の成長を女性作家であるルイザ・メイ・オルコット描いた物語である。
本来は四部構成だが、鞍さんが推奨する第一部はマーチ家の四人姉妹メグ、ジョー、ベス、エイミーのお話だ。
彼女らは従軍する父の帰還を祈り、優しい母親と慎ましくも明るく仲睦まじく暮すクリスマスからの一年間のストーリーだ。
自分の家を持つことを夢見るおしとやかな長女のメグ。
本が好きで小説家を希望する男勝りな次女のジョー。
両親との暮らしを望むピアノが上手でおとなしい三女のベス。
絵と描くのを好み画家志望で活発な四女のエイミー。
仲良し四姉妹が家族を慈しみ、時にはケンカして、自身の夢に向かい、隣家の少年や家庭師などとの淡い恋心ありの少女の成長が描かれている。

「どうせなら、『若草物語』の発表当時の服着て撮影しましょうか」
鞍さんの宣言に冴が冷静に続ける。
「当時の服なら、ビクトリアスタイルだね」
丈が長いフレアースカートがイメージ近いかなと冴が補足する。
「そんな服がココあるの?」
ねえ、鞍さんと果凛が問うと鞍さんは即答する。
「ここは鞍さんのシェハウスですよ」
『あるんだ、ビクトリアスタイル…』
そう、住民四人は黙り込む。
なんでオークスの予想から古いアメリカの服着た写真撮影の話になるのか、優は訝しがる。
結局、イベント大好きな鞍さんのいつもの暴走だ。
突然椅子を蹴る大きな音がダイニングに響く。
優が立ち上がり啖呵を切る。
「そんなビクトリアスタイルなんて、昔の女の服は嫌です」
先週の女性三部合唱に続いて、普通に男扱いされないのかと嫌がった。
『優君はパンツだけど…』と鞍さん。
この場合のパンツはズボンの意味だ。
『ならいいですけど』と安堵するも首を傾げ心に影射す優だ。
その不安がどうなるのかは、五日後の撮影当日に初めて分かることだった。
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