第48話 若草物語の四姉妹 オークスは乙女と指揮者の薫り(8) 

文字数 3,222文字

オークスのゲートが開く。
デアリングタクトにしては好スタート。
騎手の指揮が振られると、デアリングタクトのTempoが流れる。
まずはゆったりと様子を見るようにAdagioをPianissimoで奏で始める。
先頭はスマイルカナ。
果凛が桜花賞では『代用的中』の彼女にアリガトウと画面に向けて手を振る。
2コーナー過ぎ、隊列が落ち着く。
2番手はウインマリリン、3番手は内クラヴァシュドール。
ウィンマイティーがその次、後はミヤマザクラ、リアアメリア
デアリングタクトは中段での混戦を避けるようにやや後方で押さえつける。
いきたがるのは相変わらずで、緊張の糸を張りっぱなしか。
鞍上の指揮者は、落ち着けよと、Tranquilloだ。
その直後をデゼルが追走し、後方はサンクテュエール。
デゼルのレーンは後方追走から、どう乗るのか。
スマイルカナの2番手でウインマリリンが実質レースを支配する、クラヴァシュドールはその後。
『何て野郎だ、クラヴァシュドールとウインマリリンが逆だろう』
果凛はミルコ様にレースの支配を求めていた。
大好きなデムーロ騎手に悪態をつく程、果凛はこの展開にご立腹だ。
これで怒られてしまうデムーロ騎手も不幸だ。
1000m59.8秒。
先行集団後方にウインマィティ、中段の前目にミヤマザクラ。
中段後方にリアアメリア。
デアリングタクトは後方、それを見るようにデゼル。
デアリングタクトは前残りの様相で、あの位置で大丈夫か。
どこで加速させるか、Crescendoの使い方を計っているようだ。
4コーナー、スマイルカナがまだ先頭。
デアリングタクトは馬群から外目へ移動。
いつ桜花賞でみせたその末脚、Vivaceを再演するのか。
内ウインマリリンとクラヴァシュドール、外ウインマィティが虎視眈々と先頭を狙う。
直線に向くと、クラヴァシュドールがスマイルカナを躱して先頭か。
デゼルが大外、1枠が災いしたのか、遠征続きで疲れが抜けないのか。
伸びが一息、これはレーンでも厳しそうか。
直線、デアリングタクトはやや外目、前が壁になる。
これからどうするのか、外か、いや、内だ。
その瞬間、鋭い脚で内側に切れ込んで自ら活路を拓く。
まさに一瞬の脚、SubitoForte。
そして息の長い末脚が加速するCrescendoが放たれる。
クラヴァシュドール粘るところを内ウインマリリンと外ウインマィティが抜きにかかる。
こんどはウインマィティが先頭も内からウインマィティも盛り返す。
クラヴァシュドールは後退、やはり重馬場の桜花賞、疲れが残っているのか。
だとすると、デアリングタクトはどうだ。
まだ、5馬身ある、脚は使えるのか。
ミヤマザクラがウインマリリンとウインマィティを追う。
200の標識が過ぎ、住民たちの懸念を嘲笑うようにロケットの二段目が点火する。
もう怒濤の追い込みは誰にも止められない。
誰よりも速く、誰よりも情熱的なVivacissimoをcon fuocoだ。
前を行く二頭を力強く躱すと、半馬身抜けてのフィニッシュ。
ウインマリリンを2着とウインマィティを3着に従えて、Graziosoを響かせる堂々たるゴールだ。

「いや、参ったねぇ」
『あんなに強いとは』とクラヴァシュドールを勧めた果凛も脱帽だ。
後方から内に包まれる厳しい競馬、直線でも内か外かを逡巡するようなシーンもあった。
それを進路が開けた途端、突き抜ける。
「デアリングタクトしか出来ない競馬ですね」
「ううん、デアリングタクトを信じていなければ出来ない競馬ですよ」
優が評する馬の栄誉に鞍さんも騎手の信任を重ねる。
人馬一体、信頼のレース、か。
シェアハウスでデアリングタクトを信じていたのは冴のみか。
「冴さんの見込みはデアリングタクトの騎手と同じかもしれないですね」
惠の悦びに冴が『ありがとう』と目を細める。
少しはにかむのは揺れた心への内省か、祈りが通じた感謝か。
これで無敗の二冠達成だ。
「これなら凱旋門賞行けんじゃね」
果凛が夢を語る。
「だって55kgで走れるんだろ?」
斤量差もあるし、という。
因みに3歳牡馬は56.5kg、4歳以上牡馬59.5kg、牝馬は58kgとなり『ハンデ戦みたいなもんじゃん』とまでいう。
実際、ここ十年の勝馬で3歳牝馬は三頭おり、充分に勝負になっている。
「重馬場の桜花賞、今日のオークスとも完勝で」
欧州競馬に似た地力勝負の桜花賞、凱旋門賞と同じ芝2400mを克服したとなれば、夢が広がる。
ただ、世界中を悩ます状況は続いている。

「まあ、秋華賞でもいいじゃない」
冴はデアリングタクトの走りを見守れればという。
「無敗の三冠馬ですか」
惠がその瞬間を見届けたいという。
「それもありだね」
果凛の同意は少し寂しそうだ。
本当は海外に羽ばたいて欲しいのかも知れない。
いずれにしても無事に夏を越して欲しい。
「淀に行きたいねぇ、優くん」
「ホントですね」
デアリングタクトの疾走を望む冴。
コントレイルの馳駆を希求する優。
「そしたら2週連続で土日は京都かもよ?」
「冴さん、それはダービーの結果次第ですかね」
惠は『二週連続で京都だと、大学はどうする?』と問うも果凛が『そもそも京都競馬場が入場できるのかよ』とのカラ笑が寂しい。
優が思わず果凛に口を滑らす。
「果凛さんは土曜日が高校ですよね、残念ですねぇ」
「アイアン・クロー!」
鋭い双眸で果凛は小さな手を目一杯に拡げて優の頭を覆う。
思わず悲鳴で頭を押さえる優。
急いで寄る鞍さんと冴に二人は何とか引き剥がされる。
「オレに秋華賞と菊花賞を生で観るなというんかい!!」
腕組みをし、ツインテールと鼻息を荒くして頭を抱えて蹲る優を睥睨する。
多分、優というよりは人が移動し辛く、無観客の競馬が続く今の状況に納得いかずに怒りが湧いてくるのかも知れない。
今日もまた果凛が優にプロレス技を繰り出していた。
惠は『どうして果凛さんの性格が分からないのか』と呆れ顔をみせた。

「さあ、来週はダービーウイークです」
場が落ち着いたところを見計らって表情を緩めた鞍さんが両手を広げる。
「楽しみだなぁ」
「そうですね」
待ちきれないという表情の鞍さんに優と惠が同意する。
「何たって半年一度の祭典だからな」
「ダービーと有馬記念は特別だよ」
冴が腕組みしながら鼻息を荒くすると果凛がツインテールを上下に揺らす。
ダービー、競馬人なら誰もが憧れるレース。
優は今でさえ、このシェアハウスでは大騒ぎだ。
『特別な』ダービーならどうなってしまうのか、楽しみとともに『若草物語』の騒動を鑑みると少し怖い。
優と惠を安心させようと、イベントの説明をする。
「家族の一員としてシェアハウスの結束を固める儀式だよ」
「ダービー発祥の地、英国のカントリーハウスがイメージだね」
冴と果凛の説明ではイメージが湧かないと、二人は怪訝そうな顔をする。
「まあ、楽しみましょ」
鞍さんは惠と優の肩を抱く。
「私、初ダービー観戦ですね」
嬉しがる惠をみると、優も心が躍る。
さて、どんなイベントとレースが待っているのか。
そう思う優はまずは気分を昂揚させる。
まずは来週の日曜日に思いを馳せ、一週間を楽しもう。
さあ、ダービーへ。


第六章、了。


この小説はフィクションであり、過去および現在の実在する人物・組織・馬などにはいっさい関係ありません。


*参考文献
若草物語-仲良し四姉妹-
作 オルコット
訳 谷口 由美子
講談社

楽譜がすぐ読める 名曲から学べる音楽記号事典 CD付き
監修 齋藤 純一郎
ナツメ社

ヘアゴム1本のゆるアレンジ
著者 工藤 由布
セブン&アイ出版

今さら聞けないヘアスタイル&ケアの正解
著者 宮村 浩気
主婦の友社
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