第9話 惠登場!優とコントレイル&サリオスの大事件!?(2)(挿絵あり)

文字数 2,833文字

シェアハウスの風呂は共同で温泉ではないが、大人三人が入湯できる大きな浴槽だ。
唯一の男性である優はいつも独り占めで楽しんでいる。
『お風呂を使う時は脱衣所の内鍵は必ず締めてくださいね』という注意を鞍さんから念押されていた。
毎日が軟禁状態で、風呂は数少ない優の楽しみでもある。
風呂場のカランで大急ぎで体を洗い、湯船に浸かる。
いい湯加減が疲れた体を解すと、今日も鼻歌交じりでご機嫌だ。
そのうち逆上せていると判断力はゼロとなる。
脱衣所に人の気配がするが、気にしない。
ちゃんと内鍵は掛けているし。
衣擦れの音が途絶えると、足音が近づき、風呂場の戸が開く。
「湯加減はどう…」
「気持ちいいよ」と瞼を持ち上げながら答えた。
優が目玉を見開くと、惠が生まれた姿で立ちすくんでいた。
お互い、何が起こったのか分からずにいた。
優の胸が平たく、体つきで男性だと理解した惠に涙が滲む。
涙目の惠は踵を返すと、戸を思いっきり閉める。
「嫌っつー!」
絶叫が響き渡ると、なんだ、なんだと住人たちの声が騒めく。
優は内鍵を掛けていなかったのを心底後悔していた。

「惠ちゃん、馬が相当好きみたい。競馬自体は初心者ですけどね」
4月15日水曜の夕食後、優が招かれた鞍さんの部屋は八畳間で、住人たちの六畳間より広い。
優は座布団に座り、円形テーブルに置かれた湯飲みの緑茶を勧められ、口へと運ぶ。
惠と出会った一昨日の月曜日、風呂場で全裸の鉢合わせ事故から、何となく彼女とぎこちない日々が過ぎた。
『惠ちゃんに男の子だと言っておけば良かった』と鞍さんが深く後悔する。
優が女性だと惠が誤解したというのを聞くと、過去の経験が甦り、またかよと不機嫌になる。
シェアハウスの管理人である鞍さんが、優と惠の関係を気に掛けての呼び出しだ。
夕食の際でもここ数日間、新人二人は目も合わせない状況だった。
「彼女、出身が新潟でしょ。実家の時はサラブレッドを眺めに新潟競馬場によく行っていたみたいよ」
このシェアハウスには馬や競馬に関心がある人しか入居させないけどね、と、鞍さんが白い歯を零す。
「でも、競馬は初心者、興味あるって言ってた。優くん、教えてあげたら?仲良くなれると思うわよ」
「今の状態じゃ教えるドコロじゃないですよね」
「そうかも、ね。じゃあ、着替えて」
お互い顔を見合わせる一瞬の間。
『ほら、早く』と促されると何故か拒否出来ない、これが女神のご意向か。
渡されたサーフパンツを憮然としながら、着替え始める。
『じゃあ、私も着替えちゃお』と言う鞍さんは優に背中を向けた。
目の前で着替えるのかよと驚きながら、緊張する。
鞍さんが男の前で大胆になれるのは、遠縁である優への意識がが幼い子供のままなのだろうか。
水着姿になった優は覗き見るように振り向くと、オフショルダーワンピースが良く似合う女性がいた。
髪をお団子に纏め、首で生地を結んだホルターネックのAラインで膝上ミニスカタイプは大人可愛い。
鞍さんが着替えやバスタオルを小脇に抱え、右手で躊躇する優の背中を押して風呂場へと誘う。
優は衣類を両手に抱え、その強引さに驚きながら風呂場へと向かった。

「ども」
惠は脱衣所に入る優を認めると戸惑う表情で短く挨拶した。
髪をひとつに結び、タンクトップとショートパンツ姿で恥ずかしそうに佇んでいた。



鞍さんがその水着は惠ちゃんにお似合いよ、本当かどうか知らないが通販で自分のサイズを間違えて買って良かったわと笑う。
「仲直りはお風呂が一番」
笑みを浮かべる鞍さんの誘いに優はケンカしたカップルの仲直りかよと胸の中で罵るが、己が当事者だと悟ると上気した。
惠が先に風呂場へ小走り、短いシャワーを気まずく、逃げるように湯船に浸かる。
「男の子の体よね。懐かしいなぁ」
鞍さんの台詞に優も惠も違和感が突き刺す。
『男の子の体が懐かしい』という真意への疑念だ。
一瞬、鞍さんの表情に口を滑らせた蹉跌が流れる。
気持ちを切り替えて、背中流しましょうねと鞍さんが優の背中を擦り始める。
何か過去を懐かしむように優の身体を弄る
もう限界という優は驚嘆を挙げ、湯船に逃げる。
少しからかい過ぎたわねと謝りながら、優と惠の間に入って来た。
湯船のさざ波が徐々に落ち着く、優と惠はそれぞれ外側を向いていた。
「惠ちゃん、アリガトね。誘いに応じてくれて」
鞍さんの謝意に『いぇ』と短く返す惠。
「話が終わったら、惠ちゃんが気にしている私の『正体』を明かすから」
言わなくても雰囲気で知りたいのが分かるわよと、鞍さんが目尻を下げる。
惠が顔を赤らめるのは本音を突かれたか、湯あたりなのか。
彼女も疑念が芽生えた『男の体が懐かしい』の本意を知りたがっている。
俺と同じかと、ほくそ笑む。
「あー、何。その下卑たニヤケは、人を馬鹿にしているの?」
惠の苛立ちに優は『いや、違う』とばかりに首を左右に振りながら、否定する。
「風呂場で仲直りだなんて、何考えているの?馬鹿じゃない。恋人でも夫婦でもない、反りの合わない住人同士でさ。しかも鞍さんまで巻き込んで。一人じゃ何も出来ないこのヘタレが!」
舌鋒鋭い惠に優も声が大きくなる。
「鞍さんは巻き込んでいないよ。別に僕は単独で普通に謝ろうとしてたよ」
「ふん、どうだか」
「そういう君の思慮の足りなさが問題じゃないの」
優が水面を拳で叩きながら、感情の昂ぶりが衝いて出る。
「こっちはさ、何とか丸く収めて住人同士、仲良くしようって思ってるよ。だけど、裸でいきなり風呂に入ってきたのは君のミスだろう」
「ええっ、信じられない。人のせいにするんだ。脱衣所の内鍵掛けなかったのはアンタのミスでしょう、よくもそれを言い訳して」
「あなた達はどうしたいの?」
鞍さんの鋭利な切り出しに風呂場は静まり返る。
有無を言わせず二人にシェアハウスでどう暮らすのかと質した。
「どうしたいのかって…皆で上手くやっていくしかないですよね」
返答した優は惠を覗き見る。
このシェアハウスでの共同生活が二人の頭に浮かぶ。
「住人同士、仲良く暮していければ、ですかね。仲間ですし」
惠も優の表情を伺う。
「そう、お二人は、これから大学生活四年間は一緒に過ごす訳ですし、ねぇ」
鞍さんに諭されると反論出来ずに従ってしまうし、温かな励ましは奮い立たせてくれるような気がする。
優は目を見開いて意を決し、今後を前向きで大事にしたいと惠に謝罪する。
「いろいろあったけど、ごめんな」
「こちらこそ、ごめんなさい」
少し意地張っちゃったかなと惠から反省が返る。
素直な言葉の交わし合いに顔が緩み、お互いが安堵した笑みへと繋がる。
「はい、仲直り完了。いいですよね」
お終いとばかりに両手を叩き、良かったわねと二人の髪を軽く掻きむしる。
鞍さんはこのシェアハウスでは住民たちを統べる不思議な能力を発揮する女神だ。
優は鞍さんの秘密が気になったが、鞍さんの助けで惠と仲直り出来たことで良しとした。
隣の惠と目が合うと力強く頷き合う。
過去は関係ない、うん、頑張ろう。
優はシェアハウス未来へと思いを馳せた。
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