第37話 唄え!内山田洋子と熱きクインテット ヴィクトリアマイルの大合唱(5)

文字数 2,184文字

2020年5月16日土曜、夜のシェアハウスは競馬の住人、大人の王国だ。
リビングのL字ソファーには窓側の短辺には冴と果凛、その右手の長辺には惠、鞍さん、優、短辺の向こう正面になるオットマンは未だ、空席。
玄関のドアがチャイムもなしに開け閉めされる。
力強い足音が近づき、冴と果凛が頭を抱えると、リビングのドアが勢いよく開け放たれる。
「ヒロコだよーん」
いきなり抱きつかれた鞍さんが勢いで顔を上げると、ダイニングのシーリングを目にする。
眩しさと嬉しさでエプロン姿の鞍さんはTシャツとジーンズ姿のヒロコの背中を歓迎の意で叩く。
冴が着るベージュのパンツスーツと豊かな胸を包む白いブラウスの左脇にあるショルダーホルスターに抱えられた拳銃に『相変わらずだな』とヒロコは笑う。
不安げな優と惠を見つけると、今日は合唱なしと表明する。
「G1の前日だろ、競馬予想を楽しむさ」
ほっとする二人を横目にオットマンへ向かう。
センターテーブルに軽食と飲み物が準備万端を横にしてヒロコはオットマンへ落ち着く。
金髪ツインテールの果凛は半袖半ズボンピンクのパジャマ、優はいつものジャージで、スーツ姿の冴は仕事を一時間抜け出したという。
農茶のボブの惠はグレーのパーカーにトラック用ショートパンツ姿だ。
優は運動部バージョンだと思いながらで、チラを見せる。
恥ずかしさ逃れようと優が冴に仕事の内容を問う。
ヒロコが口を開こうとする瞬間、冴はダッシュを掛ける。
『冴さんの仕事は、ケ…』と言い掛けた口が手で塞がれ、ホルスターに入った拳銃が自然と後頭部に突きつけられた。
冴の手を払い除けて自由を得たヒロコは息を継ぎ、冴の『仕事はね』と続ける。
「ケツモチ!」
優が『何ですか?その仕事は?』と脱力する。
ヒロコが『往く道を極めようとする方のお仕事』と真顔で説明すると、優と惠が緊張の面持ちとなる。
冗談の中で三人の真剣さが可笑しく、『そんな訳ないじゃん』と果凛が手で膝を叩き、ツインテールを振って、大笑いする。
『何バカなコト、言ってるんだか』と冴は肩を微妙に上下させて息をしていた。
いつもの予想大会前の余興にヒロコは馴染みつつあった。
ラムチョップにタイムをふってオリーブオイルで焼いたラムの香草焼き。スピラーレとタコをオリーブオイルで炒めサルサとトマトケチャップソースを和えたパスタアラビアータ。チーズ独特の風味とコクの『青カビ』系はスティルトン、クセの強いウオッシュ系からタレッジョ、うまみやコクのある長期熟成のハード系からはパルミジャーノ・レッジャーノだ。
パスタアラビアータにマリアージュするワインはキアンティ・クラシコかサンジョベーゼかなと首を傾げる鞍さんは、今日はボルドーで許してねという。
月曜の夜にヒロコが面白そうなワインだと持ってきた2001年物をセラーから取り出す。
ボルドーはメドックのクリュブルジョア級、十九年の時を飲み込んだ赤ワインだ。
合唱練習を始めた頃からヒロコは予想大会に行く気満々だったようだ。
ヒロコは前掛けのポケットから黒いソムリエナイフを出す。
嬉しそうにプロ仕様のソムリエナイフをボトルネックに当て、鮮やかに回転させ抜栓を始めた。
「ほい、ホストテイスティング」
鞍さんに少量のワインを入れたグラスを出す。
少し薄いガーネット、グラスのエッジにはエンジが見え隠れするのは古酒だからだろうか。
難しかったらデキャンタージュとはヒロコだ。
「ちょっと、酸が強いかな」 
それじゃあとヒロコはデキャンタにワインを注ぐと、幾筋の緋色が流れると花が開いたような艶やかさとなる。
「まろやかになったわね」
落ち着いた雰囲気で、飲み易くなった。
取り皿とフォークがある。赤ワインとクーラーにはお茶のペットボトルが冷やされていた。
鞍さんが促すと、鞍さんと果凛、ヒロコは赤ワイン、これから一晩中の仕事だという冴はお酒飲みたいと駄々を捏ねながら、優と同じ烏龍茶を手にしていた。
惠はインド・ダージリンのさる茶園から中国種のFTGFOPグレードのファーストフラッシュだ。
百五十年来の古木は芳醇で濃密なストレートティーは淡いオレンジ、香りはふくよかな甘み、味は心地いい渋みとフルーツの甘みを纏い、水出しクールティーにしたという。
『FTGFOPグレードって?』問う果凛に『じゃあ、まずはオレンジペコの説明から…』と惠が解説し始めると、鞍さんが苦笑しながら『また、今度お願い出来るかしら』と話を後へと持って行く。
惠ちゃん凄いなぁ、紅茶の知識ねぇ、ワインに興味を持ったら凄いことになるよ、とヒロコは素質があると語る。
「確かに惠ちゃん、競馬は初心者ですけど、熱心ですしね」
「この分なら競馬の知識や血統、過去レースなんて、すぐに覚えちゃいそうだねぇ」
近代競馬のレース体系も紅茶のグレードもイギリスが関わっている事項だ、惠は競馬の知識にハマる素質があるかも知れない。
「ほら、ぼやぼやしてっと、競馬の知識担当を外されっぞ」
果凛が腕を殴ると、優の顔を下から覗き込む。
金髪ツインテールの女の子が犬歯を見せながら微笑むのは反則だと優は腕をさする。
銘々が軽食を取り皿に盛る。
鞍さんが徐に立ち上がる。
「さて、予想大会始めますか」
鞍さんが予想大会の開催を宣言した。
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