第56話 優と惠、メイドと執事の物語 ダービーはイングランド貴族の宴(8) 

文字数 2,527文字

さすがに東京10レースのむらさき賞はダービー直前で避けた。
選ばれたのは京都9レースの與杼特別、4歳以上2勝クラスはダート1,900mだ。
東京9レースの発走は14時15分で京都9レースは同じく14時31分だ。
午後のレースは事前チェックをある程度入れているとはいえ、東京9レース終了直後からは時間に余裕がない。
鞍さんからはこのレースが終ったら、ダービーに集中しましょう、とのことだ。
「果凛、アンタ馬連買うんだったらオッズとの相談だけど、ある程度買い目増やしてもいいんじゃないの」
冴が冷静に妹の果凛にアドバイスを送る。
淡々としているがやはり姉妹、妹への愛情と心配が見え隠れしている。
「そうですよ。馬券は当ててナンボの面もあります。無理して一点に拘らなくても」
鞍さんも本命路線だとしても馬連一点勝負の難しさを改めて主張する。
「惠の予想は下手すりゃオッズが二倍を切る固いところのワイドですよ。買い目の点数を絞り込まなきゃ、的中してもガミ興業っスから」
『まあ、初心者が本命を買い続けているだけですと』とも言って優は果凛に気を遣うが、かえって連敗中の傷心に焦点を当ててしまう。
優の言い回しに惠も心中に苦いモノを感じた。
こういう裏目へ向かう優の忖度が惠の怒りを買い、果凛がプロレス技を繰り出す理由になるのをイマイチ分からないニブチンでもある。
懐の深い住民たちが鈍いの承知で許している優ではあるが、果凛の短気には通用しないこともある。
レース前なのでさすがに果凛もプロレス技を我慢していて、不快を隠すように予想を口にする。
「ダノンスプレンダーでしょう」
そう馬名を表すると選んだ由縁を続ける。
「2勝クラスは昇格してから3連続1番人気で全て馬券絡み。今回も勝ち負け。後は新馬や1勝クラスを勝った時のように積極的な競馬に期待かな」
何か言いたそうだが遠慮する惠は首肯する。
そんな惠を目にした鞍さんは『惠ちゃん、対抗はどの馬ですか?』と柔和な顔を向ける。
「ダンツキャッスルかな」
今度は果凛が控えるとお勧めを述べる。
「去年のG3ユニコーンステークス3着の実力馬です。前走は約11ヶ月振りの休み明けでも1番人気で積極的に2番手追走して惜しくも4着。一叩きされた今回は前走以上を望みたいですね」
鞍さんら予想を聞く住民三人も予想家二人の判断に納得だ。
ここで果凛はレース全体の分析をする。
「オレと惠の馬は十分にやれると思うけど、このレースは激戦だね。直近の三走からピックしても同じクラスで2着しているのがマースゴールドにキタサンヴィクター、ウォータービルドとトモノコテツ。3着だとスズカフロンティア、シャンパンクーペ、スピンドクター」
他の出走馬も多士済々で、今挙げた馬の突っ込みも十分あると果凛。
「さて、どうしますか?」
鞍さんが果凛と惠に結論を求めた。
惠が先に口を切る。
「ダノンスプレンダーとダンツキャッスルのワイド、一点でお願いします」
難しいレースでもワイド一点勝負のポリシーは連勝中で変えないとのこと、なかなかの勝負根性である。
「じゃあ、オレは同じ馬たちで馬連一点な」
『!!!』
強気な声を耳にした冴を始め住民三人が驚愕を揃えた。
果凛の意地を目の当たりした冴は彼女が無理をしているのが分かる。
レース全体を激戦と見切っていて、感情的とさえいえる馬連一点買いだ。
「じゃあさ、私はダノンスプレンダーとダンツキャッスルの馬連かな…」
冴が購入馬券の披露を続ける。
「…後はダノンスプレンダーから果凛がピックした七頭への馬連、合計八点を各1,500円ね」
今度は果凛が口を開けて驚く。
『ちょっと予算オーバーかな』の冴に『勝手にしてよ、もう』と頬を膨らませる果凛だが満更でもない表情だ。
「それでは、私はダノンスプレンダーとダンツキャッスルのワイド一点、1万円で」
女神である鞍さんのダービー直前のご神託だ。
時間ないよと優がリビングの柱時計を指さす。
鞍さんと冴は忙しそうにスマホを手にするが、愉しげなのはダービー前だからだろうか。
土曜日の連勝含めて、今までワイド四連勝の惠。
四月から彼女との競馬予想、陰に陽にフォローしてきた優には正直、嬉しい。
土曜日の初戦は『見』(ケン)をして、馬連三連敗中の果凛。
ダービー前の最後の勝負、どうなるのか。
『アルゼンチン・バックブリーカー』を喰らうことだけは避けたいと真顔で願う優がいた。

「ダノンスプレンダーッッツ!!」
果凛の大声が最後の直線、大詰めで響く。
内ダンツキャッスルと外シャンパンクーペの間へ、隙を伺う。
少し後のダノンスプレンダーが果凛の応援に応えるように二頭の隙間に猛然と突っ込み、割ろうとする。
大外からはヴォカツィオーネが追い込んでくる。
「ダンツキャッスル負けるなっ!!」
惠も四頭競り合いの後押しをする。
狭いところを何とかこじ開け、真ん中からダノンスプレンダーが顔を突き、覗く。
「うぎゃーっ」
果凛の本日三度目の美爆音が突き刺さると、ゴールだ。
ダノンスプレンダーがアタマを突き出していた。
2着はシャンパンクーペ。
『よし!』と惠の力こぶは3着ダンツキャッスルだ。
結果を見届けた鞍さんがテレビを消す。
シェアハウスのリビングに静寂が漂う。
ダノンスプレンダーとダンツキャッスルのワイド一点は的中だ。
L字ソファー長辺の三人、無言で鞍さんが左の惠と、右の優へと握手を交す、惠と優もだ。
L字ソファー短辺の二人、冴が果凛を自らの豊満な胸へと誘い、抱く。
ダノンスプレンダーとシャンパンクーペの馬連も的中であった。
『果凛、良くやった』と冴は妹の頭を手で慈しむ。
『うん…』という返事を果凛は姉の胸に埋めた。
ダノンスプレンダーとシャンパンクーペの馬連は3,020円、ダノンスプレンダーとダンツキャッスルのワイドは190円だ。
惠と果凛の的中にリビングの住民たちに喜色が漂う。
「さぁ、ダービーです」
鞍さんの宣言で住民たちの気持ちがコントレイルとサリオスに向いた。
リビングのテレビが復活するのはダービーのパドック中継の時となるが、あと少しだ。
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