第16話 惠登場!優とコントレイル&サリオスの大事件!?(9)

文字数 2,222文字

スターターが壇上に立ってのG1ファンファーレ、録音からの響きは聞き慣れているが、生演奏はやはり味がある。
順調な枠入り、最後の一頭が大外に入るとゲートが開き、スタートする。

横一線からウインカーネリアンがハナを切る。
サリオスは中段。
コントレイルは後方だ。
キメラヴェリテが先頭に立つ、ウインカーネリアンが2番手に変わる。
サリオスは5番手へ。
その後ろはヴェルトライゼンデとサトノフラッグ。
1000m59.8秒
さらにマイラプソディ、そしてコントレイルと続く。
4コーナーでサトノフラッグが動くと、更にその外からコントレイル。
こんな後方大外で大丈夫なのかと住民たちは画面に食い入る。

惠は握る両手に力を込めると爪が手の甲に三日月を刻み、サリオスを見入る。
コントレイルが4コーナーから直線を向くと情念を爆発させた。
4角捲り気味に直線一気のスパート、真の名馬のみ許される競馬だ。
馬場の外目を一気に駆け上がって来る。
サリオスが栗色の雄大な馬格をどこかぎこちなく弄びつつも、内側から伸びが期待できる馬場の外目へと誘う。
が、間に合わない!
栗毛の彼が走ろうとした緑輝の道は奪い取られて絶たれる。
コントレイルがその緑が映えるヴァージンロードを祝福される疾風として遊弋する。
これは、負け、た。
追いつかれて馬体が重なる刹那、魂から迸る意志として、一段上のギアが栗色の四脚、鎧のようなトモに宿る。
絶望が希望に変わる。
「サリオス!!!」
惠の言霊は無機質な液晶画面から出ずる興奮に掻き消される。
栗色の鬣を振り翳しながら、先頭へ先頭へと闘志を剥き出しにする。
しかし、コントレイルは遠くなりつつあった。
一完歩、一完歩ずつ、ゆっくりと確実にズレていく、藻掻きながら、苦しそうに。
二頭の半馬身差は永遠に交わることがないゴールの追憶となる。

「1枠1番でコントレイルにあの乗り方されるなんて…」
優の素晴らしさと驚きが入り交じる感嘆を受けた惠の瞼が熱を帯びてくる。
彼女は今のシーンを胸の玻璃奥に仕舞い込む光景だと、情景を忘れて、眠れと言うように目を閉じる。
無敗三冠馬シンボリルドルフの2着だったビゼンニシキのファンの気持ちが分かるような気がすると優が惠の背中を二度、軽く叩く。
三冠の初戦、このレースと同じ皐月賞の昔話。
ビセンニシキはその名の通り、サリオスと同じ美しい栗毛馬。
悔しさと虚脱感、今迄経験のしたことがない気分に惠は包まれる。

「終わったね」
惠が沈黙のリビングへ向け口を開く。
「終わった」
優が同意する。
住人全員が呆けていた。
コントレイルとサリオス、直線の攻防。
こんな素晴らしいレースを見せつけられたら言葉など無意味だ。
取った、取られたの馬券の意味で言えば、鞍さんは馬連を的中していた、はずだ。
馬券の依頼をした、ヒロコとユキノからのスマホトークの着信がある。
鞍さんは今レース自体の興奮を優先させ、馬券は後で確認することにした。
ただ、何時ものゴール前の興奮や馬券を対象とした昂ぶりとは違う、異質な熱気にリビングは包まれている。
「私が観た皐月賞ではベスト」
「そうかも知れないですね」
鞍さんの言葉は、自身がライブで観戦した以前のレースも含んでいるようで、昔の競馬に詳しい優が寄り添った。
大学は馬術部の鞍さんは卒業後、馬術を止めたと同時に本格的に競馬にのめり込んでいったという。
その競馬歴は「KURA HOUSE」の歴史なのかも知れない。
長い競馬の歴史からみれば、十年程度はほんの一瞬かもしれない。
「すごい」
「すごかった」
冴と果凛が感嘆を吐くと、我慢出来ないとばかりに次のレースへと思いを馳せる。
「これ、ダービーはどうなっちゃうんだろう」
「究極のダービーになるね」
「刮目しないと、いけませんね」
 鞍さんが先を見通すように遠くを眺める。
「サリオス頑張りました」
優が惠に向くと労う。
「コントレイルも格好良かったね」
惠の感想に、皆が頷き、共鳴する。
「シンボリルドルフ、ディープインパクトクラスかも知れない」
優が過去を紐解いて未来を予測する。
無敗の三冠馬の名を挙げるも、ダービーではサリオスを筆頭に他の馬にもまだまだチャンスはあるだろう。
今年は無観客の中、好レースが続く春のG1シーズンは競馬の神様がくれる慰みなのかも知れない。

「ヒロコとユキノからのスマホトークは結局チェックしないんですか」
冴が鞍さんに問い合わせた。
「楽しみは後に取っておくの」
「買わない馬券と買えない馬券は、よく当るんですよ」
白い歯を浮かべる冴。
『いやだわ、冴ちゃん』と鞍さんは肘で『いじわる』と冴を小突く。
「でも、そんなもんよねぇ」
まあ、天皇賞の頃には結果は分かっているだろうか。
そんなに焦る話でもないか。
『そこまで引っ張るんですか、鞍さん』と冴のツッコミが入る。
まずは皐月賞、コントレイルとサリオスの激闘の余韻に酔いしれようか。
馬券の的中から達観した鞍さんがそこにはいた。


第二章、了


この小説はフィクションであり、過去および現在の実在する人物・組織・馬などにはいっさい関係ありません。


*参考文献
知ればもっとおいしい!食通の常識 厳選紅茶手帖
紅茶厳選委員会(山本洋子+編集部)
世界文化社

最新版 ワイン完全バイブル 
監修 井出勝茂
ナツメ社

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