第26話 ロミオとジュリエット!?NHKマイルカップの恋模様(1)

文字数 1,935文字

「これは凄い!」
優の胸に昂ぶりが湧く。
吐いて出る激しい息は己の意志ではどうにもならない。
全てを忘れて『その馬』だけが頭を駆け抜ける。
良い意味で裏切られた。
テレビを消し、ベットに身を投げ大の字となり、息を整える。
知らない馬の競馬を観て、『名馬』と興奮する。
天井には二分ほど前の剛脚がリフレインしていた。
2020年3月21日土曜日、阪神11レースの若葉ステークスを観てしまった後だ。
出走前、優はなんとなく、レースを眺めていた。
埼玉県川口市の自宅二階、自分の部屋を片付け最中での観戦だ。
観戦というより時計代わりにテレビを点けていた。

レースがスタートすると外枠からアルサトワが押して前に行くと、キメラヴェリテが負けじと、ハナを奪う。
3番手はアドマイヤビルゴ。
「確か、六億円する馬だよな」と独り言ちると『どんなもん、なんだろう?』と『高馬だから走る』への疑念混じりの関心が浮かぶ。
ふと、四月からは東京深川のシェアハウスで暮すのを思い出す。
大学生になり下宿生活なら、もう実家で競馬観戦はしない。
シェアハウスのオーナーは競馬好きで、そこで観戦するのだと漠然としながら身支度をする。
机の上には高校の卒業証書の入った円筒が転がっていて、三月の式典は中止になったのを思い出した。
そのシェアハウスに次月から住めるのかで、心が霞む。
1000m59.9秒。
キメラヴェリテが5馬身離して逃げる、2番手アルサトワ、続いてアドマイヤビルゴ。
テレビは先行三頭の隊列が変わらずで、4コーナーを過ぎ、直線を迎える。
先頭はキメラヴェリテ、2番手は3馬身差でアルサトワ、その直後にアドマイヤビルゴ。
キメラヴェリテが快調に逃げ、アドマイヤビルゴはアルサトワを躱すが、まだ4馬差がある。
「逃げ切りかな」
その台詞にはアドマイヤビルゴは2着で高い馬が必ず走るとも限らない意味を含んでいた。
2着から先頭を伺うべく、200の標識手前で別なエンジンがかかる。
ゴールへの途中で、アドマイヤビルゴが先頭に立つと、加速しゴールを目指す。
普通なら完全に逃げ切りの馬を力の違いで差し切りだ。
ゴール前で勝負あったと流すが速さは続いていた。
楽勝で、芝2000m1:58:6の好時計だ。
「すごい、これならコントレイルやサリオスと互角に…」
そこで言葉が止まる。
出会いはこんなものなのだろうか、胸に熱い塊が蠢いている。
誰かにこの想いを伝えたいと、優はシェアハウスでの衣服と一緒に段ボールに詰めた。

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「うがっ。また固まった」
果凛は挙動が不安定なノートパソコンに向け『ダメだ』とばかりに、金髪ツインテールを左右に振った。
ダイニングテーブルに肘を立て、頭を抱える
「鞍さーん」
果凛の助けを求める声音がダイニングを超えて、リビングに響く。
パタパタとしたスリッパ音でエプロン姿の鞍さんが急ぎ、近づく。
パソコンの画面が青一色なのを再起動させる。
「授業になんないよ」
ゴメンナサイねと鞍さんが頭を下げると、『鞍さんが謝ることじゃないよ』と果凛が逆に焦る。
5月7日木曜日は連休明け初日、今では毎日が休みの軟禁状態だが、果凛の高校はネット授業を始めていた。
「ゴールデンウィークなんて、そんな感覚なかったよなぁ」
休みが続くが如く、ゆっくりとしたパソコンの動きを果凛は眺めていた。
パソコンの立ち上げに待ち飽きた鞍さんが先週の天皇賞の話を始める。
「フィエールマンの勝利は見事でしたね。今回も休み明けをクリアして」
「2着はスティッフェリオか。ステイゴールド産駒だし、右回りのオールカマー勝っているし、前哨戦の日経賞は3着だったし」
先日の天皇賞、買えたかも知れないと少し残念そうな果凛。
果凛はキセキについて『途中までは思惑通り』だったんだけどな」と呟く。
「外れるときは、こんなもんでしょ」
キセキには宝塚記念で頑張って貰いましょうよと付け加える。
鞍さんは『仕方が無い』を示すようにツインテールの頭を撫でる。
ネット授業は私服でいいのだが、メリハリをつける為と言い張り、果凛はお気に入りの制服を着ていた。
リボンがシックなインディゴブルーのセーラー服、チェックのスカートが可愛らしい。
貸したパソコンとWiFiの動きが相変わらずイマイチで、鞍さんが心配そうに寄り添う。
世間で多くの人が家に籠もり仕事や勉強をしているからか、ネットの環境は芳しくない。
そんな中、果凛が悪戦苦闘しながら勉強する姿が微笑ましい。
本当に徐々にだが今までを取り戻す動きが、鞍さんを喜ばせているのかも知れない。
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