第32話 ロミオとジュリエット!?NHKマイルカップの恋模様(7)

文字数 2,687文字

今の府中は先行有利で前がなかなか止まらない、分かっているはずだ。
優は果凛の指摘に心をざわつかせる。
レシステンシア、優も果凛同様に彼女の阪神ジュべナイルでのレコード勝ちが脳髄から離れなくなっていた。
だからこそだ。
ひょっとしたらレシステンシアをマイペースで逃がさないように自ら勝負しに先行する馬がいるかも知れない。
そう優は妄想してしまった。
冴さんは大好きなデアリングタクトとの比較からレシステンシアを高く評価している。
だからこそだ。
レシステンシアと真っ向勝負を仕掛ける先行馬の出現を希っていたのかも知れない。
冴さんもそう妄想したのだろうか。
レシステンシアのパドックは柔らかく見えたものの腹が細く感じた。
輸送が影響したのか馬体重が減っている。
返し馬では外国人第一人者の騎手が繊細な硝子細工を扱うような感じだ。
果凛が先行勢のラインベックとラウダシオンを薦めても反応が今ひとつだ。
レシステンシアからサトノインプレッサとプリンスリターンの馬連が各4千円。
サトノインプレッサとプリンスリターンの馬連が2,000円の合計10,000円は変わらないとのことだ。
鞍さんの馬券は初志貫徹といくらしい。
果凛は少し残念そうに口を窄めた。

スタートしてやはりレシステンシアがラップを刻み始める。
掛かり気味のラウダシオンが並び掛け、彼女の鼻面を伺うのを、騎手が必死に宥めている。
これはタダでは済まない、超弩級ハイペースの幕開けか。
冴と優は思わず身体をテレビへと突き出す。
レシステンシアとラウダシオン、一瞬の併走は舞踏会で手と手を合わせた『ジュリエット』と『ロミオ』のようだ。
ラウダシオンは主役をレシステンシアに譲るように2番手で収まって追走してしまう。
まるで先をいく『ジュリエット』のレシステンシアを見守るように『ロミオ』のラウダシオンが着かず離れずに走る。
他は無理に二頭に競り掛ける馬もいない。
望外、レースは淡々と流れるように見えた。
タイセイビジョンが3番手集団の内目にいる。
その脇はプリンスリターン。
この位置からでないと勝ち負けは難しいのだろうか。
ルフトシュトロームは後方追走。
ウイングレイテストが最後方で、サトノインプレッサは最後から2頭目。
鞍さんがサトノインプレッサに心配そうな顔を見せる。
先頭と2番手の絶妙な距離感が続く。
1000mが58秒、レースレコードの時は56.3秒。
優と冴の希望的予想は瓦解しつつあるのか。
4コーナーを回ってもレシステンシアが先頭、ラウダシオンが2番手は変わらずだ。
果凛がほら見たことかと言わんばかりに苦虫を噛み潰したような顔で腕を組む。
直線で内の『ジュリエット』のレシステンシアをエスコートするように外から『ロミオ』のラウダシオンが寄り添う。
まさにダンスを踊るように併せ馬が続く。
二人はその存在を確かめ合うように永い時間を共にする。
200を切ると『ロミオ』のラウダシオンが今度は主役とばかりに先頭へ躍り出る。
巡礼者の『ロミオ』が聖者様の『ジュリエット』を引き連れた邂逅の先がゴールだ。
結局、ラウダシオンが直線で抜け出し1着。
巡礼者であるラウダシオンに凱歌が揚がる。
『Luada Sion』その名の通りグレゴリオ聖歌のセクエンツィア、続唱が高らかに響く。
まさに『シオンよ、汝の救い主を讃えよ』の如くだ。
逃げたレシステンシアが2着だ。
後方からはルフトシュトロームの5着が精一杯だ。
結果は12.3-10.4-11.4-11.9-12.0-11.3-11.2-12.0。
まさに今の府中は前が止まらない。

「ほら、私の言った通りじゃない」
ソファーの上で果凛は呆れた表情を鞍さんに放っていた。
『果凛さんの言う通りでしたね』と賞賛する惠は推した『タイセイビジョンも頑張って4着でした』と選んだ馬を労う。
『誰も話を聞かないでさ』と、ソファーから飛び跳ねた果凛が金髪ツインテールを振りかざしながら再び座り込む。
腕を組んだ果凛に冴が寄り添う。
「おみごと、先行有利なレースだったね」
鞍さんも果凛の肩に許しを請うように額を付ける。
「果凛ちゃんの挙げてくれたラウダシオン、買っときゃよかった。ゴメンね」
二人に挟まれた果凛は嬉しそうに『私のいうことを聞かないから』という体で『あっかんべー』と舌を出す。

「ラウダシオンかぁ」
優が勝馬の名を万感の思いを込めて呟く。
競馬予想では先行馬を軽視した後悔が宿る。
「馬名の由来はグレゴリオ聖歌、続唱の一つからね」
惠がシェアハウスの『演劇会』が不思議な力を持つのを紐解き始めた。
「巡礼者『ロミオ』のラウダシオン、聖者様『ジュリエット』のレシステンシアとの祈りの場面に繋がる訳だ」
優が劇と競馬の結果がやっと繋がったという。
『昨日、鞍さんたちは赤ワインで今日の昼はパン、これも繋がるかな』といいつつ『ちょっと強引だけどね』と惠が笑う。
「金曜の劇はどうだった?」
『聖者様』のジュリエット役の惠が『巡礼者』のロミオ役の優に近づく。
「ビックリしたけど、まぁ楽しかったかな」
優が『衣装なんて着るのは始めてだし』に、『似合っていた』と声が返る。
『私は高校のクラス、文化祭で演劇やっていたからスキよ』とも加えると起立する。
おもむろに立ち上がる優に惠は語りかける。
「演劇で騒いでも…」
「…予想大会で言い合いしても、買っても負けても、最後はいい雰囲気で」
「そうだね。この空気は続くといいよね」
そう言う優の脇で果凛が二人に『揉まれて』いた。
冴と鞍さんに髪の毛をいじられている果凛が『悪いけど、落ち着いて』と諭していた。
これではどちらが謝っているのか分からない状況だ。
惠はそっと手のひらを優に合わせる。
胸を弾ませる優が手の温かさに『巡礼者』としての祈りを込める。
『聖者様』も同じように熱を感じ、願いを投げていた。
このシェアハウスの住民たちがいつまでも仲良しでいられますように、と。
そして、次の劇が始まるのです。


第四章、了。


この小説はフィクションであり、過去および現在の実在する人物・組織・馬などにはいっさい関係ありません。


*参考文献
小説で読む名作戯曲 ロミオとジュリエット 
著者 鬼塚 忠  原作 ウイリアム・シェイクスピア
光文社

ロミオとジュリエット 
文 河合祥一郎 作 シェイクスピア
KADOKAWA(角川つばさ文庫)

最新版 ワイン完全バイブル 
監修 井出勝茂
ナツメ社


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