第28話 ロミオとジュリエット!?NHKマイルカップの恋模様(3)

文字数 3,206文字

「アドマイヤビルゴ、本当に大丈夫か?」
「なっ!」
果凛の指摘がリビングに響くと、優は驚いて腰を引く。
2020年5月9日土曜日午後、京都のメインレース、京都新聞杯は発走十分前だ。
京都新聞杯は日本ダービーへの有力ステップレースで毎年激戦が繰り広げられ、ダービーで好走する馬は数多、排出していた。
まさに去年の京都新聞杯2着馬のロジャーバローズはダービー馬に輝いていた。
優は『有り金勝負しましょう』と鞍さんに薦めていた。
『若葉ステークスのアドマイヤビルゴ、あれはコントレイル、サリオス級』だと優は力説していた。
惠は『そうなの?』と表情を固めていて、冴は『気持ちは分かるけどさ』と目を鋭くした。
それでも『絶対勝ちます』と力を入れていた。
その無理強いともいえるテンションの高さは優には珍しかった。
『そうねぇ』という鞍さんも表情に苦い笑みを漂わせていた。
セーラー服姿の果凛が仁王立ちし腕を組んで対峙する。
真一文字に結んだ口を佇立する優に切る。
「前走の勝ち方と時計から、優がアドマイヤビルゴを大好きで推しているのは分かったよ」
果凛と優の間に沈黙が流れる。
「大好きな馬の馬券を人に勧めたいのは理解出来るし、このシェアハウスでも予想し合ってきたよね」
頷く優に『あまり独り善がりになるなよ』と諭す果凛は続ける。
「若葉ステークスの出走馬がどうこうじゃない。だけど、今回は皐月賞に出走したディープボンドやコントレイルの2着したヴェルトライゼンデと良い勝負だったファルコニア、上がり最速を連発で連勝中のマンオブスピリットなどがいるんだ」
「何よりレジェンドジョッキーが乗らないじゃん」
昨今の状況で騎手の土日移動は禁止だ。
レジェンド騎手は日曜日にG1のNHKマイルカップでサトノインプレッサに跨がる。
そうなると、土曜日は東京での騎乗になる。
「関係者だって考えたと思う。レジェンドジョッキーの騎乗を優先してダービーを目指すならプリンシパルステークスもあったろう」
「けど、430kgのガサのない馬だ。競馬は体重じゃないけどさ。栗東からの中二週で二往復は厳しいと関係者が判断したんだろ、素人の憶測しかないけどな」
「だから京都新聞杯への出走だよ。だけど『今年だけ』は乗り替わりしかない。今回に乗る騎手どうこうじゃなくてな」
「オッズだって単勝1.4倍だ。コントレイルの皐月賞が2.7倍、ホープフルステークスが2.0倍、サリオスの朝日フューチュリティも2.0倍。オッズが全てじゃないけど、全力勝負の場合はオッズも頭にいれないと」
「G1だったら大好きなこの馬で勝負してもいいし、それがデビューから手綱を取るレジェンド騎手だったら尚のことかも知れない」
「だけど、関東への遠征も初めてだし相手関係も未知の部分があるよな、だからステップレースだろうさ。賭けるなとも言わない。あくまでの『トライアル』という状況での判断だよ。ダービーでの大勝負の前、見極めをするレースじゃないか」
『ここで強い勝ち方したら、ダービーでは全力で応援してやろうぜ』と果凛は願うように促す。
「『トライアルのG2』で不安な要素があって、メイチの勝負をするのかだよ…」
「…俺だって、スプリングステークスで痛い目に合って、人のコト言えないんだけどな」
果凛が3連単1点勝負を2.3.4着で取り損ねたのがスプリングステークスだ。
「それでも俺は…」
言葉を詰まらす優は頭を垂らした。
「そこまで言うならもういいよ。これ以上言わない」
無表情で穏やかに語る果凛は制服スカートの裾を正してゆっくりとソファーに落ち着く。
冴と惠は口を曲げてお互いを見合う。
オットマンに座る優は右手を顎に当てて考え込む。
鞍さんは『優くんのアドマイヤビルゴ、果凛ちゃんのディープボンドとファルコニア、マンオブスピリット。3連単四頭ボックスを二十四点、各400円でいきます』とのことだ。
購入金額が9,600円と1万円以内なのがポリシーに従う鞍さんらしい。
この買い方しか優くんも果凛ちゃんも納得しないでしょ、とのことだ。
そう微笑む鞍さんが『まあ、大丈夫でしょ』を投げる姿は、住民たちを安心させようとしていたのかも知れない。

京都新聞杯のスタートは全馬同時だ。
スタート後の直線はなかなか隊列が決まらないが、シルヴェリオが1コーナー入口で先頭、ホウオウエクレールが2番手。
アドマイヤビルゴは4番手。
2コーナーでは縦長の展開、4番手のアドマイヤビルゴは先頭から約10馬身。
アドマイヤビルゴの直後の内がディープボンド、ディープボンドをマークするようにファルコニアが続き、マンオブスピリットは後方から4番手。
1000m58.3のペースは速めか。
3、4コーナーでは先頭との距離が詰まる。
4コーナーでは四頭が並ぶ、内からシルヴェリオ、ホウオウエクレール、キングオブドラゴン、アドマイヤビルゴは外を回る。
その直後に内ファルコニア、外ディープボンド、マンオブスピリットは大外だ。
直線ではから早くもアドマイヤビルゴが先頭へとキングオブドラゴンに並び掛ける。
さぁ、ここからだ、アドマイヤビルゴよ!
興奮は頂点に差し掛かる。
だが、先頭に立とうとするが抜けきらない、もどかしい。
キングオブドラゴンが粘る所を最内からファルコニアが抄おうとする。
キングオブドラゴンが脱落すると、外からディープボンドとマンオブスピリットが突っこんで来る。
歯痒いアドマイヤビルゴは外目の二頭にあっさり躱され、内の一頭すら追い抜けない。
ディープボンドが、マンオブスピリットを競り落としゴール、ファルコニアが3着。
アドマイヤビルゴは4着。
普段の年と同じ状況で、レジェンド騎手がアドマイヤビルゴに騎乗したらどうなったのだろうか。
これは鞍さんでも分からない全知全能の神ゼウスの領域か。
若葉ステークスの勝利は何だったのか、またしても競馬の迷宮に捉えられる。
今度の騎乗はレジェンドジョッキーを希うのだろうか。
今は京都新聞杯が終わったばかりだ、まずは勝者のディープボンドを称えよう。
今後のことはこれからだ。
そして、次のレースが始まるのです。

3連単の配当は6番11番10番で39,450円、的中400円で配当は157,800円だ。
本来なら大騒ぎの住民たちだが、単純に勝利を祝えない雰囲気が漂う。
冴と惠の鞍さんと果凛への『おめでとう』『おめでとうございます』も囁きに聞こえる。
果凛と鞍さんの『ありがとう』も小声だ。
「しかし、ついたよな配当」
単勝4番人気、3番人気、2番人気の組み合わせでの三連単は『4万馬券』だ。
アドマイヤビルゴの単勝1.4倍で勝負して敗地に塗れた人もいるだろう、本当に競馬は怖い。
そう独り言を口ずさむ果凛は、優を見るとオットマンの上で呆けていた。
まあ、あれだけ力説したアドマイヤビルゴが馬券外だ、無理もない。
心配そうな住民たちを背にして果凛はオットマンに向かう。
「ほら、こんなこともあるのが競馬だろ」
『いちいち気にしてたら、持たないぜ』と果凛は軽く優の肩を叩く。
オットマンから崩れ落ちると、床にうつ伏せとなる。
「もうダメです。恥ずかしくて立ち直れません」
馬券を外して床にうつ伏せになった若い男の方が恥ずかしいのだが。
「まったく、すぐに立ち直らせてやるよ…」
美少女が顔を崩壊させた不気味な笑みを浮かべ、優の背中に乗り、両手で彼の顎を抱える。
「キャメル・クラッチーッ!」
プロレス技を宣言して金髪ツインテールを後方に投げると、優の背中が反り上がる。
「現役の女子高生がこれだけ密着して励ましているんだ。元気になりやがれ、馬鹿野郎!」
「分かった、分かりました」と『ギブアップ』とばかりに右手を床に数回叩き付けたのは同時だった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み