第10話 惠登場!優とコントレイル&サリオスの大事件!?(3) 

文字数 3,153文字

「今週は皐月賞、週末の競馬予想会も待ち遠しいですね」
湯船で鞍さんが嬉しそうに本音を披露する。
住人たちで開催する週末の競馬予想会、鞍さんにとりシェアハウスで暮らす上で、一番大切なイベントだ。
それ故に、競馬予想会に参加すべき住民を鞍さんは直接面接して、選んで入居させてきた。
逆に言うと、競馬が好きな人間しか『KURA HOUSE』にはいない。
これは後日談だが、果凛は男を女と間違えるは惠の自爆だといって大笑いし、傷口を突いていたそうだ。
『日曜の皐月賞も期待ですけど』と前置きする鞍さんは悦ばしそうだ。
「三日後は土曜日、競馬がありますよ」
「西のメインは『アーリントカップ』ですよね」
優も明るく応えると、鞍さんは明るい表情で賛同する。
「買うんですか?」
惠が鞍さんを覗き込む。
頷く鞍さんが『神託』を下す。
「優くん、惠ちゃん、いい予想をお待ちしてますね」
鞍さんの笑顔を向けられた側に拒否権はない。
「頑張ります!」
風呂場に優の気合いが拡がり、惠も首肯する。
この時、明後日の競馬のない金曜日が波乱の一歩になるのを誰が知っていたのだろうか。
その後の『競馬予想大会』と『皐月賞』の『悶着含みの結末』は、女神の鞍さんなら予言していたのかも知れない。
優は未来の週末が過去になった時、そう述懐した。

「東京ビックサイトまで自転車で行けるのに!」
惠は焦げ茶色のボブを揺らし、シェアハウスのリビングから晴れ間に向かって素っ頓狂な声を上げる。
有明にある東京ビックサイトと深川のシェアハウスは同じ東京都江東区内だが、自転車の移動もままならない状況は続いていた。
4月17日金曜午後、皐月賞への興奮が盛り上がる前々日だ。
明日の夜には、このシェアハウス名物である競馬の『予想大会』が開催される。
『予想大会』初参加、初G1観戦の興奮がシェアハウスで下宿する優の内側から湧いてくる。
昂ぶりを隠そうと文庫本を片手にL字ソファーで平素を装う優は思わず左隣を向く。
彼女の尖った口は続ける。
「5月2日からのコミ○クマーケットがさ、中止になって」
本来なら八月開催のイベントが東京オリンピックを鑑み五月に前倒しで、実施されたはずだったが、このご時世で中止になる。
『もう、楽しみにしてたのにっ』とボーイッシュな惠が地団駄を踏むと、反抗期の少年のようで何か可笑しかった。
同人誌が好きな惠と同じ大学一年の優は無理もない、と思う。
昨今の時勢で大学は入構禁止が続いている。
コミ○クマーケットのような同人誌即売やコスプレを中心とした大規模イベントは軒並み中止に追い込まれていた。
新大学生の二人は、下宿先であるシェアハウスで世間のご多分に漏れず拘束状況だ。
惠が苛つくのは分からなくはない。
競馬も明後日の皐月賞は無観客が決まっている。
小説を読むのに集中したい優は『仕方ないよね』という台詞も気もソゾロだ。
「あんただって、その小説読んで嬉しそうじゃん」
惠は自分も好きだという高校の吹奏楽部が舞台の小説を指摘する。
その小説の同人誌を買いたかったのにと、嘆いていた。
まあ、冴と果凛の姉妹は元吹奏楽部で、ピアノの嗜みがある鞍さん含めて小説の愛読者でもある。
惠は『#くみれい』っていいなというと、優は『#れいくみ』じゃん、と応じた。
『#くみれい』も『#れいくみ』も小説のメインキャラクターである女子生徒二人組の愛称で、言い方は『好み』のレベルだ。
惠は小さな拳を両手で優に振りかざし『違う。『#くみれい』だよっ』と反駁する。
彼女のこだわりは小説の表紙に描かれた主人公である少女の髪色が少し彼女に似ているからかも知れない。
この四月からシェアハウスの住人となった新入生同士はトラブルに巻き込まれていた。
優が惠の全裸を覗いた大揉めをシェアハウスのオーナー兼管理人、『女神』の鞍さんによる仲裁で仲直りしたのが二日前。
仲が良いのか悪いのか微妙な優と惠の関係は、最悪な出会いだけでなく、昨今の『家から出るな』の状況が大きいのだろうか。
実のところケンカというより、じゃれ合って仲が良いようにも見える。
面倒な雰囲気に冴は漆黒の双眸を鋭くし、肩より長い黒髪を震わせる。
「心の底から、どうでもいいよ。そんなこと」
シェアハウスに九年間住む冴が先輩風を吹かして、引きつった笑みを二人に向けた。
「この前、大ゲンカしてたクセにさ。優なんか惠ちゃんに構われて嬉しそうに…」
「…惠ちゃんも惠ちゃんで『違う♡』なんて、浮かれちゃってさ。馬鹿じゃないのお前ら」そして、『アタシの平穏な休日の午後をかき乱すなよ』とも言う。
冴が中学生のカップルかよと、憮然とした表情で悪態をつく。
本物の拳銃を所有し職業不詳という冴の不機嫌が、優は可笑しくて吹き出しそうになる。
「オトコ日照りの冴姉が、大学生のバカップルに負けたと遠吠えをあげる、藁」
L字ソファーの短辺に座る妹の果凛が屈んでツインテールを床に垂らし、無表情で手にしたゲーム機に図星を呟いた。
『なっ』と冴の顔が引きつる。
果凛は無視するように口にするガムで風船を膨らませ、惠が無邪気にもキョトンとしていた。
毒舌を吐く実の妹より、あどけない少年の表情が残る惠が可愛らしい。
「ふう」
冴は軽く一呼吸し、瞳を見開き、惠をその中へ納める。
大和撫子の雰囲気を漂わせる漆黒の髪を手で透くと、怪しげな色香を毛先から放つ。
美少年、惠の正面に直ると、冴の小さな咳払い。
リビングに注がれる春の光がひらひらと舞い、冴と惠を取り巻く。
『んふふっ♡』と悦に入りながら、冴は頬ずりをする。
惠は両膝に置いた拳に力を入れ、身の筋肉を緊張させる。
驚きを口にかける少年に冴は人差し指を上下の唇に当てる。
「しずかに、ね」
全てを吸い込む闇色した冴の眸子、その中で惠は目を泳がせていた。
惠が喉の渇きから逃れようと唾を飲み込む、喉が微かに揺れる。
冴は左耳に吐息を囁くと、背中を小さく震わせた短い嘆息が流れる。
気吹を絡め取るように舌が耳たぶの縁を這う。
惠の肩と陽光で栗色がかる毛先が小さく揺らめく。
冴はここぞとばかり、耳朶を甘噛みした。
「いや」
惠は同意を投げると、桜色に染めた顔が天へと移ろう。
漂う目線は天井を仰ぎ、冴に預ける体を緩め無抵抗となる。
冴は左手で可憐な胸にそっと触れ、右手同士を重ねる。
惠は下腹部に溜まる熱を散らそうと、無意識に左手で腹を摩る。
冴は舌で頬を切り裂くように顎まで優しく這わす、右頬が唾液で艶やかに煌めく。
『いく、ね』と冴は真正面から惠の眦を捉え、右手は顎を捕まえる、逃げないように。
少年の飾り気のない唇。
冴が瞳孔を瞼で隠すと、恵も小さく頷き、それに従う。
惠の顔に差す影が段々と大きくなる。
恐れながらも強い意志を迎え入れようと、小さく開く口の中で舌が震える。
大人びた唇が、あどけない無垢の口唇を捉えようと、する。
「痛っ」
新聞紙を丸めた棒が冴の頭に当たると、軽い響きをリビングに届けた。
冴は頭を抱える素振りをする。
「おふざけはそこまでにしましょうね」

真顔の鞍さんが右手に持った丸めた新聞紙を左の手の平で何度か叩く。
惠は魔法が解けたような感じで、きょとんとしている。
冴は小さく息を吸い、素に戻る。
「日曜日の皐月賞。大丈夫かしら」
鞍さんが、ふと競馬の開催を憂慮する。
「大丈夫じゃないですか」
現実を確かめるように惠は返答と一緒に陽光で栗色の毛先と共に、日曜日の競馬が楽しみですと告げていた。
そして、栗毛の馬が好きで、応援すると表明する。
自身の毛先の色合いに想いを重ね、馬やレースへ感情移入しているのかも知れない。
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