第47話 若草物語の四姉妹 オークスは乙女と指揮者の薫り(7)

文字数 2,327文字

「ちょっと、あれ、大丈夫?」
果凛がテレビのパドック中継を指さす。
デアリングタクトが口を割りながら、発汗している。
「まあ、ギリギリだねぇ」
冴は口をへの字に結ぶ。
デアリングタクト推奨の冴でさえ、正直にならざろう得ない。
これ以上、テンションが上がったら…とい状況だ。
4番デアリングタクトは隊列の最後を少し他馬から離れるように周回している。
そのパドック。
デゼルは少し可憐な印象、後脚の踏み込みが浅いか。
「デゼルは脚の捌きが固いかな」
やはり中二週で栗東から遠征二回は疲れが抜け切れていないのか。
クラヴァシュドールは順調といった感じにみえる。
リアアメリア元気がいいが、首を小刻みに動かし少し煩そう。
酷いイレ込みでもないし、こんな感じか。
ミヤマザクラは和の美人という佇まい、首を使い、いい感じだ。
良く見えたのは予想大会で触れなかった三頭だ。
ウインマィティは元気一杯。
弾むような大胆な踏み込みが嬉しそうなくらいで、適度な気合い乗りがいい。
ウインマリリンは栗色の完璧なバランスと馬体、キレイな栗毛。
歩幅は大きく、少し小刻みになるように走りたがって、気合い乗りは絶好だ。
サンクテュエールは馬体、歩様、気合い乗りバランスが取れている感じ。
ゆったりと感じられ好気配だ。

そしてデアリングタクトだ。
サンクテュエールの後に続く、デアリングタクトが現れると『うわ』という驚愕が露わになる。
迫力というかオーラというか桜花賞勝馬の貫禄が放たれている。
馬体の骨格から違う気がする。
軽く歩いているようで後脚が前脚にぶつかりそうになるほど深い踏み込み。
テンションと発汗が気になるが。
でもG1だ、ここに駒を進められた馬たちはどれも素晴らしい。

「返し馬もチェックしましょうか」
鞍さんが珍しく悩んでいる。
デアリングタクトに集中して確認しますという、その返し馬。
騎手は彼女を宥めるように丁寧な返し馬を行う。
だが、パドックに引き続いて高テンションと発汗は変わらない。
「どうする?鞍さん」
「初志貫徹です。デアリングタクトと心中します」
冴に問われた鞍さんの最終宣言だ。
『デアリングタクトから馬連の軸1頭ながしでクラヴァシュドール、ミヤマザクラ、デゼルを各3,000円、リアアメリアは1,000円、合計1万円』は変わらないという。
ただ馬単はパドックと返し馬から間に合わないという。
「デアリングタクト、単勝1万円」
『ギリギリ』なら想定通りデアリングタクトを信じ込もうという冴だ。
結局、鞍さんも冴も予想大会での最初買い目の通りになる。
デアリングタクトがみせる状態で不思議と不安が募るのは鞍さんだけでなく、住民たちにも波及していた。
G1だからか、デアリングタクトは究極の状態であるようにみえる。
冴はふとデアリングタクトの馬名の由来を思い出す。
Darig(大胆な)、Tactics(戦法)とはいい馬名の付け方だ。
元吹奏楽部の彼女は、Darig(大胆な)、Taktstock(音楽の指揮)という造語をイメージする。
住民たちの不安を払拭する鮮やかな指揮をデアリングタクトの騎手には振るって欲しい。
デアリングタクトを100%で挑ませてと、鞍上のDirigentに願いを託していた。

「あれぇ、お金足りないのかなぁ」
スマホで馬券を買おうとした、その時だ。
鞍さんは金に加えて舌が足りないような、甘ったるい声を出した。
『また、トラブルか』と冴の厳しい目線が舌足らずに注がれる。
「鞍さん、どうしたんですか」
呆れ顔の冴が仕方なく内容を訊く。
「さっきのコロガシで、使っちゃったみたい、全部」
話を聞くと『平安ステークス』で儲けた資金で転がすのを元金含めて全額投入したらしい。
まったく、鞍さんはたまに呆れるほどの『ドジっ娘』となる。
『まさか、10万馬券で儲けた100万円溶かしたんじゃないですよね?』の念押しには『それはない』と笑顔で返していた。
冴は実質数万円レベルの損だろうと懐具合を読む。
「じゃあ、さっさと入金してくださいよ」
「あ、銀行口座にお金ないの」
「は?」
『だって私のメインバンクは『東京S銀行』だし』と鞍さんは腰を捻る。
その銀行は『即PAT利用銀行』でも『ペイジー対応金融機関』でもなかった。
投票締め切りも近く、さすがに近所のATMに行く時間はない。
「じゃあ、『東京S銀行』から『ペイジー対応金融機関』にネットで振り込んでくださいよ」
それからペイジーで入金にすれば間に合うか。
だが、『ドジっ娘』モードの鞍さんは救いを求めるように冴に憐れな瞳をみせる。
「ああ、分かりました、分かりましたよ」
ぶっきらぼうの応答する冴は『甘ったるい声の理由はコレかよ』と嘆息を吐く。
『ちゃんと馬券代、払ってくださいね』に『この前、デゼルで儲けた時払ったわよ』と鞍さんはお冠になる。
『デゼルが負けてたら、紙屑にした天皇賞の馬券代を払わなかったのか、このネーチャンは?』と疑問を呈しつつ鞍さんの買い目も仕方なく購入する。
リビングでは忍び笑いが聞こえてくる。
判で押したように優と惠と果凛が腹を抱えて笑いを堪えていた。
冴と鞍さんのやり取りを見て笑うのを必死に我慢する姿が妙に可笑しい。
頬を膨らませて心配そうな鞍さんから『ちゃんと買えた?』には無言で頷きを返した。
ネット投票を終えた冴がスマホをセンターテーブルに投げると、ポニーテールを震わせながら手を叩き、大きな口で笑い始める。
若い三人も堰を切ったように吹き出して大爆笑を響かせる。
笑いの渦の中で『ドジっ娘』だけが、何ごとかと呆気に取られていた。
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