第12話 圧倒的な力

文字数 2,602文字

(おいおい、今度は何だ……)

 俺は身を硬くして熊を凝視する。

 くすんだ灰色の巨体。
 熊は二足歩行になって直立すると、青い果実を毟って食べ始める。
 口元を果汁で汚しながら味わっていた。

 ただの野生動物ではない、と思う。
 おそらくはモンスターだろう。

 息を呑んだ俺は【隠密Ⅰ】と【気配遮断Ⅰ】を発症させて、ゆっくりと移動する。
 なるべく熊から離れる方向だ。

 先ほどから【危険察知Ⅰ】がずっと反応していた。
 いや、こんなものがなくともヤバいのは分かる。

 肌を刺すような威圧感。
 のっしりと佇む双角の熊は、獰猛な野性と苛烈な暴力をそのまま生物として具現化したような雰囲気を纏う。

 こうして対峙するだけで明確に死を予感させた。
 ホブゴブリンとは生物としての格が違う。
 戦っては駄目だと本能が叫んでいた。

 幸いにも熊はこちらに興味がないらしい。
 果実を千切っては口に運んでいる。

 きりきりと張り詰めた空気。
 俺はそっと撤退を始める。

 こいつに挑むのはさすがに危険だ。
 絶対にやめておいた方がいい。

(静かに離れるだけだ。あの熊だって、刺激さえしなければ追いかけてこないはず……)

 その時、一体のゴブリンが走り出した。
 ゴブリンは剣を振り回しながら熊に突進していく。

「ギッ、ギゲェッ!」

 あまりの威圧感に耐え切れず、恐怖が身体を衝き動かしたのか。
 俺よりもゴブリンたちの受けるプレッシャーは遥かに大きかったろう。
 冷静な判断が下せなくなっても不思議ではない。

 パニックになる気持ちも分かるが、それはこの上ない悪手だった。

「グゲェッ!」

 ゴブリンは熊の広い背中に斬りかかる。
 しかし、大振りの一撃は頑丈な毛に阻まれて表面を滑っていった。

 微塵もダメージを与えられていない。
 まるで天然の鎧だ。
 俺でも剣で傷付けられるか怪しいところである。

 もっとも、そんなゴブリンの軽率な行動は、熊の神経を逆撫でするには十分だったらしい。

「…………」

 低く呻いた熊は、ゆっくりと振り向く。
 そして、霞むような速度で腕を動かした。

 爪がゴブリンの頭部を薙ぐ。
 血煙が舞い、首を失った胴体が崩れ落ちた。

「グオアガアアアアァァッ!!」

 熊が咆哮を上げた。
 びりびりと空気が震える。

 脚が一瞬だけ硬直して息が止まった。
 本能的な恐怖なのか。

「ゲゲッ、グゲゲェ!?」

「グゲ、ゲゲェッ!」

「ゲゲェッ、グゲッ!」

 熊の咆哮を皮切りに、ゴブリンたちが一斉に攻撃を仕掛けだした。
 完全なる恐慌状態に陥っている。
 ボスである俺のことなどまったく眼中になかった。

 熊は襲いかかってくるゴブリンたちを次々に惨殺していく。
 爪が引き裂き、生え揃った牙で頭蓋を噛み砕いだ。

 双角が明滅したかと思えば、青白い雷撃を発射される。
 雷撃はゴブリンの半身を容易く消し飛ばした。
 黒焦げた死体の一部だけが地面を転がる。

(クソッ、どうにかならないのか……!)

 俺は唇を噛んで思い悩む。

 先ほどからゴブリンたちをウイルス強化しているが、少しの成果もない。
 熊は傷一つ受けていなかった。

 驚異的な戦闘能力だ。
 このままでは間違いなく全滅する。

(……四の五の言ってられないぞ)

 俺は近くの樹木に駆け寄る。

 そこにはスライムを殺した糸の槍があった。
 樹木に刺さったそれを引き抜き、先端で手のひらを浅く切る。
 傷口から流れ出す血液。
 俺はそれをべったりと糸の槍に塗り込む。
 準備ができたところで、熊とゴブリンたちの様子を窺った。

 戦況にこれといった変化はない。
 先ほどよりゴブリンの死体が増えているくらいだ。
 それを確認した俺は、狙いを定めて糸の槍を投げる。

 ほとんど一直線に飛んだ糸の槍は、ゴブリンを殴り殺そうとしていた熊の顔面に命中した。
 ただし威力と硬度が致命的に足りず、刺さることもなく衝撃で砕け散る。

(……これで、いい)

 血の付着した槍の破片がぱらぱらと熊の顔面に降り注いだ。
 熊は鬱陶しそうに目の辺りを擦る。


>症状を発現【雷耐性Ⅰ】
>症状を発現【感電Ⅰ】
>症状を発現【生命力Ⅰ】


 ウイルス感染に成功した。
 強靭な毛の防御を突破するのは難しいが、剥き出しの眼球を狙えば難しい話ではない。
 今回のようなやり方なら、遠距離からでもウイルスをお見舞いできる。
 現状、呼気による感染では二メートルが限界だった。
 それを考えるとなかなかに重宝する。

(もう、戦闘訓練とか言ってる場合じゃないな……)

 相手は強大すぎる。
 何を試すにしてもリスクが高い。
 引き連れてきたゴブリンも既に半数ほどがやられている。
 早急に対処せねばなるまい。 

 俺はすぐさま熊の意識を乗っ取ろうとする。
 しかし、上手く行かない。
 強い抵抗感に弾かれてしまうようだった。

(なぜだ……?)

 俺は原因を考える。

 ひょっとして【支配Ⅰ】では、熊をコントロールするのに力が不足しているのかもしれない。
 それくらいしか思い至らない。
 少なくとも、あれだけ元気な状態では乗っ取れないと考えるべきか。
 瀕死まで追い込めば話は変わるのかもしれないが……。

 困惑する俺をよそに、熊に仕込んだはずのウイルスが瞬く間に消滅する。
 赤い砂のビジョンがいきなり見えなくなったのだ。
 何らかのスキルを発症させようとしても、一切の反応がない。

「ウグオアアアァァッ!」

 咆哮を上げる熊。
 その巨躯をバチバチと電流が走るのが見えた。

(まさか、電流にウイルスが殺されたのか……?)

 空気中ですら数秒と持たない虚弱なウイルスだ。
 過酷な環境ともなれば、あっさりと死に絶えてもおかしくない。

 もし推測が正しければ本格的にマズいぞ。
 これでは症状による弱体化もできない。

 その時、熊と目が合った。
 三度目の咆哮が森を震わせる。
 青白く明滅する双角。
 何かエネルギーが集束するのを感じた。

 ――ヤバい、来る。

 身構えると同時、光が最高潮に達する。
 刹那、轟音と共に放たれた一筋の雷撃が、俺の胸部を貫いた。
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