第68話 新たなる旅へ

文字数 2,934文字

 ギルド隣接の酒場。
 その一角の席に座る俺は、手に取ったグラスを呷る。

 喉を流れる強いアルコール分。
 その心地よい感覚に深々と息を吐く。

 正直、そんなに美味くないが飲めないほどではない。
 けれどふとした時につい注文してしまう。
 この安っぽい味が好きなんだよね。
 現代日本では味わったことのないものでクセになる。

 ただ、ゴーレムの身体のせいか、すぐに酔いは醒める。
 毒物として自動的に体内で分解されるのだろう。
 ちょっと残念だ。
 万能な肉体の思わぬ弊害であった。
 前世の時みたいに酔っぱらうことはできない。

 酒に弱くなる症状が手に入れば解決できそうな気がする。
 もしくは別の肉体に移るという手段もあるか。
 後者の方が手っ取り早そうだ。

(飲酒専用の肉体を用意しておくかなぁ……)

 そんなことを考えながらグラスを覗き込む。
 半分ほどに減った酒。
 その表面に俺の顔が映る。

 目元を隠す仮面の男だった。
 ゴーレムロードのビジュアルは【肉体操作Ⅱ】で整形したが念のためだ。
 どこまで行ってもゴーレムである以上、あまり素顔を見られない方がいい。
 いつどこで看破されるか分からないからね。

 まあ、仮面を装着したままでも生活に不自由はない。
 口元は出ているので飲食も可能であった。

「…………」

 俺は再びグラスを傾ける。
 空になったそれを机に置いて、ここ最近の出来事を振り返る。

 ダンジョン最下層でこの肉体を手に入れてから二カ月が経過した。
 ワイバーンから街を救った英雄としてチヤホヤされているが、基本的には平和な日常を送っている。
 ギルドの依頼をこなしつつ、たまにダンジョンに潜っていた。

 ロイから何度かスカウトの話が来ているが、今のところはすべて断っている。
 その度に商会への加入条件や待遇が良くなっていくので、どれだけ執着してくるんだと言ってやりたい。
 たぶん、俺が特殊な存在であることに勘付いているのだろう。
 ストレートに触れてきたりはしないが、あの態度はおそらくそういうことだ。

 決して悪人ではないのだろうけど、ロイに関わりすぎると一般人としての人生を全うできそうにない。
 今のところはこちらの生活を害することもないし、適度な距離感を保とうと思う。

 目下のちょっとした悩みについて考えていると、テーブルを挟んだ向かい側に誰かが座る気配がした。
 思考の海から浮上して顔を上げると、そこにはエレナがいた。
 彼女はちょこんと椅子に座り、通りかかったウェイターに飲み物を頼む。

「遅くなってすみません。ちょっと準備に手間取っていまして……」

「いや、別にいいさ。急ぐこともない」

 謝るエレナに俺は微笑して答える。
 それほど待ったわけでもない。
 精々、五分ほどだ。
 そもそも明確に何時と区切って集合したわけでもない。

 この世界には日本のように常設された時計がないので、分単位での集合時間の設定は実質的には不可能なのだ。
 教会で鳴らされる大鐘がおおよその時刻の目安になるくらいか。
 金持ちの貴族でもない限りは、そこまでタイトなスケジュールで動く人間もいないし、人々も特に困っていないようだった。
 サラリーマン時代、常に時間に追われていた身としてはこれくらいの感じが好ましい。

(どれだけ早く出発しても、到着は夕方以降になるからな……)

 今日は別の街へ向かう日だった。
 活動拠点を移すためだ。
 俺たちの実力だと付近のダンジョンでは物足りなくなったためである。

 そう、この二カ月で俺たちは四等級の冒険者に昇格していた。
 ワイバーン討伐の功績があったからこそだが、周りと比較すると異例のスピードらしい。
 普通は年単位でようやく辿り着けるかどうかというレベルだそうだ。
 ギルドマスターのセツカさんは俺の能力を知っているから、それも遠因なのではないかと睨んでいる。

 他の冒険者から嫉妬や羨望の眼差しを受けることはあるものの、特に大きなトラブルもなく過ごせていた。
 危なそうな奴だけは俺が秘密裏に排除している。
 俺はともかく、エレナに危害が及んだら駄目だからね。
 ウイルスとしての能力を遺憾なく発揮させてもらっている。

「よし、そろそろ行こうか」

「はい!」

 頼んだ飲み物をエレナが空にしたタイミングで、俺は静かに立ち上がる。

 その時、ギルドに冒険者が飛び込んで来た。
 男は只事ではない様子で叫ぶ。

「た、大変だ! 郊外の強化種ゴブリン共が、森の主を刺激して起こしちまったらしい! 森の主が暴走しながらこの街へ接近しつつあるそうだ。今、衛兵の奴らが大慌てで防衛部隊を組んでいた!」

「おっしゃ! ここはいっちょ恩を売って報酬をいただくか!」

「行くぞてめぇら! 宴の覚悟はいいかッ?」

「おおおおおぉぉぉぉッ!」

 報告を耳にした冒険者たちは、かなりノリノリだった。
 戦闘意欲がすごい。
 死ぬのが怖くないのか。
 いや、この程度で恐れるような輩は冒険者にならないのか。
 なんとも命知らずな連中である。

(それにしても、郊外の強化種ゴブリンか……)

 すごく心当たりがある。
 街の周辺の地形を知っているが、俺が初めにいた森以外にゴブリンの生息地はない。

 強化種というのは、おそらく俺のウイルスでブーストされたゴブリンたちのことかと思われる。
 周りの冒険者たちは特に気にした様子もないし、そんなに有名な存在なのか。
 どこかで噂になっていたのかな。
 ちっとも知らなかった。

 ホブゴブリンの肉体を奪って街に来てから一度も顔を出していないが、順調に群れの規模を拡大していたらしい。
 そして森の主とやらを起こしてしまった、と。

(さすがに放置はできないかなぁ……)

 俺は顎を撫でつつ思案する。

 この騒動を無視して出発するのはさすがに非情すぎるだろう。
 ある意味、俺が元凶に違いない。
 森の主がどれほどの敵は分からないが、この肉体ならそうそう負けることもあるまい。
 上手くやればさらに強力な身体や症状が手に入りそうだ。
 事態の収拾とさらなる力を得るため、俺は森へ行くことを決意する。

「エレナ、すまないが……」

「パラジットさん、森に行きましょう! 街の危機を救うのが先決です!」

 拳を握って立ち上がったエレナ、熱血なテンションで宣言する。
 やる気は十分。
 こちらから頼むまでもなかったようだ。

 なんとも心強い仲間である。
 俺にはもったいないくらいだよね。
 張り切る彼女に苦笑しつつ、俺たちはギルドを出る。



 ウイルスとして得た第二の人生はひとまずの区切りを迎え、新たなステップへと進みだした。
 これからも様々な出来事に巻き込まれる予感がする。
 疎ましく思いつつも、楽しんでいる自分がいた。

 無数の発見の中で日々を送れるのは、きっと類稀なる幸福なのだろう。
 いつ終わるかも分からない旅路に心底から感謝している。

 ――俺は今、異世界を生きていた。
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