第1話 転生したらウイルスになった

文字数 4,192文字

 午後二時三十分。
 俺は駅前の交差点の前に立っていた。

「はぁ、眠い……」

 込み上げる欠伸を噛み殺しつつ、俺は目をこする。
 昨日、徹夜してゲームをやり込んだせいで寝不足だ。
 仕方ないだろう、半年前から楽しみにしていたタイトルだったのだから。

 このためにわざわざ有給を確保して連休を作ったんだぞ。
 内に秘めたる熱意は伝わるだろう。
 そうしてしっかりとゲームを堪能した俺は、ちょっとした食料品を買いに出かけているわけである。

 土曜日ということで、駅前はなかなかに混み合っていた。
 家族連れやカップルが行き交うのを見て、独り身の俺は少し寂しくなる。
 別に嫉妬なんてしないぞ。
 ただ、羨ましくはなるよね。

(もうすぐ三十路かぁ……時が経つのは早いもんだ)

 哀愁漂う思考に陥っているうちに、交差点の歩行者信号が青になった。
 俺は横断歩道を渡ろうとする。

 その時、信号を無視したトラックが猛スピードで右折してきた。
 蛇行気味の非常に粗い運転である。
 飲酒しているのだろうか。
 休日の昼間からやめてほしい。

 ちょっとだけ驚いたが、距離があったのでそれほど危なくはなさそうだ。
 トラックもなんとか車道を走っている。
 よほど滅茶苦茶なドリフトでもかまさない限り、こちらへは来そうになかった。

(ったく、危ないなぁ……)

 内心でぼやきつつ、俺は数歩分だけ横断歩道から下がる。
 その時、視界にあるものが映った。

「ん?」

 俺は違和感のままに注視する。
 横断歩道のど真ん中で、白い子猫が丸まっていた。
 子猫は弱々しくも甲高い声で鳴いている。

 最悪なことに、そこは突っ込んでくるトラックの進路上だった。
 子猫は震えるばかりで逃げ出そうとしない。

 周囲の人々はざわつくばかりで傍観に徹している。
 そりゃそうだ。
 ここで助けに行く奴は馬鹿だろう。

 何が悲しくて暴走トラックに走り寄らねばならないのか。
 たとえ子猫の命がかかっていると言っても、自分が死んでしまっては元も子もない。
 気分は悪くなるかもしれないが、見守るだけが正解なのだろう。

 ――しかし、俺は正真正銘の馬鹿だった。

「……クソッ!」

 一瞬の迷いを経て、俺は横断歩道に飛び出した。
 運動不足の身体で全力疾走する。

 すくい上げるようにして子猫を拾い、無我夢中で前方の歩行者に向かって投げた。
 そこまでが俺の限界だった。
 足がもつれた俺は無様に転び、アルファルトの地面に腰を強打する。

「――――っ!?」

 激痛のあまり涙が出そうになる。
 皮がめくれてしまったかもしれない。
 もっとも、そんな些細なことはもう気にしなくてよさそうだ。

 けたたましいクラクション。
 トラックが眼前まで迫っていた。



 ◆



「……あれ、ここは?」

 気が付くと俺は、謎の白い空間に立っていた。

 駅前の交差点でトラックに轢かれる寸前だったはずなのだが。
 これは一体どうなっているのか。
 よく分からない。

「まだ死んだことに気付いていないパターンかー。あれは即死だったもんね、仕方ないよ」

 同情や哀れみを含んだような声。

 そちらに目を向ければ、ソファに座った蒼い髪の美女がいた。
 絶世の、とか付きそうなビジュアルである。

 そばにはバラエティー番組で使われそうな円形状のルーレットが設置されていた。
 何やら”ドラゴン”や”スケルトン”や”スライム”といった単語が羅列されており、上部に赤い矢印が付いている。
 名称ごとに色分けして区切られており、それぞれの占める割合はバラバラだ。
 見た感じだと”勇者”とか”魔王”辺りのスペースが大きく、選ばれやすいようになっていた。

 美女はゆるいテンションで手を打つ。

「とりあえずこれを回すから、適当なタイミングでストップって言ってねー」

 そう言って美女は、手でルーレットを回転させた。
 結構なスピードが出ている。
 目視で何かを狙うのは困難だろう。
 完全に運任せである。

(これは夢、なのか……?)

 何もかもが謎な状況に、俺は完全に混乱する。

 白い空間に魅惑的な容姿の美女、さらには用途不明のルーレット。
 トラックに轢かれたかと思ったらこんなシチュエーションに放り込まれたのだ。
 冷静に推理して答えを導き出すなど不可能極まりない。
 どこの名探偵だって話だ。

 死の直前におかしな夢を見ている説もあるが、それはなんとなく違う気がした。
 直感が囁くのだ。
 これは紛うことなき現実である、と。
 信じ難いものの確かな感覚だった。

「ほら、早く早く。サクッと選んじゃいなよ」

 期待に満ちた眼差しの美女に急かされた。
 彼女は楽しそうにルーレットを指している。

 とりあえず、何をすべきかは分かった。

「ス、ストップ……」

 俺の言葉に合わせてルーレットの勢いは段々と緩やかになり、やがて完全に停止する。
 矢印が指していたのは、とんでもなく狭い範囲に設定された区画。
 そこには小さく”ウイルス”と記載されていた。

 結果を目にした美女は感心する。

「わーお、なかなか面白いのを引き当てたね。まあ、使命とかは特にないから自由に満喫しなよ」

 ひらひらと手を振る美女。
 その姿を眺めているうちに、俺の意識は朦朧として途切れた。



 ◆



 意識が戻った時、俺は暗闇の中にいた。
 動こうとして、身体の感覚がまったくないことに気付く。
 加えてなぜか手足や胴体が見えない。
 目玉だけが虚空に浮かんでいるようだった。

(白い空間の次は黒い空間か……勘弁してくれ)

 今度は本当に何もない場所だ。
 身動きも取れないので詰んでいる。

 どうしたものかと迷っていると、前方に光が差した。
 揺らめくそれは炎のようにも見える。

(あれは何だろう?)

 俺はその光に注目する。
 この暗闇にある唯一の変化だ。
 きっと意味がある。

 意識を集中させると、俺は吸い込まれるようにして光に接近していく。
 そのまま抗うこともできずに光の中に飛び込んだ。

「――――っ!?」

 その瞬間、曖昧だった身体の感覚が確かなものに変わる。
 どくどくと高鳴る鼓動。
 呼吸もできる。
 俺はそっと目を開いた。

 視界に鬱蒼とした木々が映る。
 湿った土の臭いもした。
 どうやら俺は森の中にいるらしい。
 頭上を覆う葉っぱの隙間から日光が差す。

(ここはどこだ……?)

 次から次へと知らない場所を転々とするせいで混乱してきたぞ。
 いい加減、誰か答えを教えてほしい。
 事情を知ってそうな美女も、結局はまともな説明をしてくれなかったからなぁ。
 ルーレットを止めるように催促されただけである。

 というか、視点がおかしい。
 なぜか地面すれすれの高さなのだ。

 しかも上手く立てない。
 どう頑張っても四つん這いが限界だった。

 俺の身長はだいたい百七十センチちょっと。
 仮に四つん這いとしても、これだけ視点が低いのは不自然である。
 近くに水たまりを発見した俺は、四足歩行で近付いて今の状態を確かめることにした。

 毛むくじゃらの顔面。
 丸い耳につぶらな黒い瞳。
 小さな鼻はつんと上を向いていた。
 口から前歯がにゅっと覗く。
 水面に映ったのは、紛れもなく鼠だった。

「チュチュッ!?」

 俺は尻餅を突いて驚愕する。
 甲高い変な声が出た。

 もう一度、念入りに見返してもやはり鼠が映っている。
 間違いなくこれが今の俺らしい。

(どうしてこんな姿に……)

 ショッキングな出来事に慄いていると、脳内に無機質なアナウンスが響き渡った。


>特性を発現【支配Ⅰ】
>特性を発現【複製Ⅰ】
>特性を発現【感染力Ⅰ】

>症状を発現【臆病Ⅰ】
>症状を発現【危険察知Ⅰ】


 もはや情報過多で忙しい。
 俺のお粗末な頭脳では処理し切れなくなってきた。

 ただ、ここで諦めたら駄目なのだ。
 どうにかして答えを探らねばならない。

「チュチュ……」

 鼠の身体でうんうんと唸って考える。

 事故死して、知らない森の中で鼠として目覚めた。
 夢という説を否定した場合、ある仮説が浮かび上がる。

(俺は一度死んで、生まれ変わったのか……?)

 それは突拍子もない話だが、辛うじて辻褄は合う気がする。
 過去に見たゲームや漫画でも転生という概念はたまに出てきた。
 現実問題、肉体が鼠になっている以上、どれだけぶっ飛んだ仮説だろうが頭ごなしに否定できない。

 そこで俺は、あの白い空間で美女にやらされたルーレットを思い出す。
 確か結果は”ウイルス”だった。
 今になって振り返ると、まさかあれはどういった存在に転生するかを決めるものだったんじゃないだろうか。

(……いや、それだとおかしいぞ)

 俺は首をふるふると動かす。

 この肉体はどこからどう見ても鼠だ。
 ウイルスとは似ても似つかない。
 そもそもウイルスは生物ではなかったはずだ。

(いや、待てよ……?)

 否定しかけたところで、俺はさらに推理を深める。
 ここまで来てなんとなく理解してきた。

 先ほど脳内で発せられた謎のアナウンスは、症状やら感染力がどうとか言っていたな。
 つまり俺はウイルスに転生し、現在は鼠の意識を乗っ取っているのでは。
 自分の正気を疑いたくなるものの、そういった寄生能力があると仮定すれば一応の説明は付く。

 一旦結論に至ると、もうそれしか考えられなくなった。

(寄生して身体を操れるウイルスなんて、最高じゃないか!)

 俺は歓喜する。

 まさかこんな機会に恵まれるとは思わなかった。
 なんて素晴らしいのだろう。
 あのままサラリーマンとして退屈な人生を送っていたら、まず味わえないものである。

「チュッ、チュチュッ!」

 鼠のせいで笑い声も満足に出せない。
 でも、今はこれでいい。

 せっかく掴んだ第二の人生。
 最底辺から成り上がって、自由に楽しく生き抜いてやる。
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