49・最後の晩餐

文字数 2,897文字

「いよいよ、今日は過越のお祭りですねー…」

祭りで賑わうエルサレムの大通りを弟子のみんなと並んで歩く。
ペテロが、少し悲しげな様子で呟いた。

「イエス…今日、パリサイ派に引き渡されるなんて冗談だよね?」
「そうだよ。皆がこんな平和にお祭りを楽しんでるのにさー」
「みんな、とっても賑やかだよねー」

これが冗談だったら、どんなに良かっただろう。
けれどもう、ここまで歴史は収束した。
そして今夜、聖書のイエスキリストがそうであるように、
俺はパリサイ派に捕まり裁判にかけられ、そして十字架に…。

「そうだ、イエス様」

その時、ペテロが俺に聞いた。

「過越のお食事、どうしましょう…?」
「あ、そうだね。午後には準備しなきゃね」
「そうそう。マッツァにカルパス、ゼロアにハゼレット」
「ベーツァーに、マロールにハローセト!」

過越の祭とは、モーゼの出エジプトを記念するお祭りなんだそうだ。
種入れぬパンのマッツァ、醗酵させてないパンを食べ脱出した先の荒野での生活を偲び。
マロール…セロリや、ハゼレット等の苦味のある野菜は、人々が受けた苦難の象徴。
果物を練って固めたハローセトは、ユダヤの人々がエジプトで作らされたレンガを表してて…

イエスキリストは、パリサイ派に引っ立てられる前に
弟子達とその食事を共にしたという。
いわゆる…最後の晩餐ってヤツだ。

「そうだな…」

俺は、
小冊子に書いてある通りの言葉を弟子達に伝えた。

「市内に入って、かねてから話してある人の所に行って言いなさい」

「先生が、『私の時が近づいた、あなたの家で弟子たちと一緒に過越を守ろう』、と言っておられますと」

俺がそう言うと、弟子達はみんな首をかしげた。

「かねてから話してある人…ですか?」
「そんな人、居たっけ…?」

弟子達はみな、まるで謎かけのような俺の言った言葉に戸惑っている。
そうだよな、打ち合わせとかそういうの、特に何にもしてないし…
けれど。

「と…取り合えず、イエス様が仰られました。それじゃ、行きましょうか…」
「うーん…。かねてから、話してある人?」
「イエスはんの話を聞きに来る人の中の、誰かって事やろか…?」

弟子達は、お互い相談しながら町の雑踏の中に消えていく。
きっと…俺がこう言っておくだけで、みんなが知恵を絞って。
結果、それらしい準備が出来上がるんだろう。

歴史上、あった通りの出来事に。
物事がその通りに、収束していく…









そして、その日の暮れ近く。
俺達は、とある豪華な屋敷の広々とした一室に集まって。
最後になる、皆で一緒の食事の席に着いていた。


「…我らが主、神よ。あなたは讃えられるべきかな」

過越の食事、セデルが
ハガダーと呼ばれる儀式の手順に則って粛々と進行していく。
途中で祈りが挟まったり、旧約聖書の出エジプト物語の朗読が入ったり。

「我らを生かし給い、存続させ。そして、この時まで至らせ給い…」

長いテーブルに、弟子達が横に並んで座り。
目の前のテーブルには、豪華なご馳走が食べ切れないほど並んでいる。
みんな、俺に喜んでもらおうと思ってあちこち駆け回って用意してくれたんだろうな…。


「…以上を持ちまして」

数時間に、過越の儀式ハガターは終わりを迎えようとしていた。
途中に食事を挟むとは言え、沈みがちな雰囲気にみんなあまり手をつけていなかった。

「過越の慣例を、すべての定めに従い終えました。我らがこの式を行うことを許されたように…」

ペテロが、最後の締めくくりの言葉を言う。

「次回も行えますように、天におられます聖なる御方よ…」

厳かな雰囲気の中、ハガターは終わっていった。
みんな、静まり返って誰も言葉を発しない。

「さ、食べようみんな」

俺は、そんな雰囲気を変えようとみんなに言った。

「うん、美味いぞ。ほらみんなも」

豪華なご馳走が揃ってる、そしてみんなとの最後の食事だ、
せめて明るく楽しく…。

「ん?どうした?」

その時ペテロとアンデレ、ヤコブとヨハネの4人が席を立ち、
部屋の奥へと向かっていった。
それから少しして。

「あの…」

4人が、それぞれ何かを持ち進み出てくる。
これは…

「これ、イエス様お好きなようでしたから…」
「私達で、作ったんだよ?」
「イエスさん、食べてくれよ!」
「ヨハネのも!」

一番最初に、みんなと会った頃の。
ペテロとアンデレが作ってきたスープ、それにヤコブとヨハネが焼いたパン…

木のお椀の中に、皮のちゃんと剥けてない野菜にウロコの残った魚。
それに…。はは…ヤコブにヨハネ、それってパンなのか…?

「…」

思わず、目から涙が溢れる。
俺は…。こんな、こんないい子達と永遠に別れなきゃ…

「…うおおーっ」
「イエス様…!」
「ねぇイエス、おいしい?おいしいよね…?うっ、うっ…」
「い…いっぱい食べてよ、イエスさん!グスッ…」
「イエスさま、ヨハネのも!」

口の中にウロコがへばりつき。
さらに焦げたのと生焼けのパンでガリガリ、ヌルヌルする。
けど…

「…ああ、うまい。うまいよ」

「この中のご馳走の、どれよりも…」
「イエス様…うっ…」
「イエス…イエス…」
「イエスさん…グスッ」
「イエスさまぁー…」

「…お別れなんて、嘘だよねイエスたん…うっ…」
「先生…お願いです、嘘だと言って…」
「みんなあかん、あかんよ…イエスはんがそう決めたんや、だから…グスッ」
「イエス殿…イエス殿…」

「はぁ…涙が、止まりまセン…」
「何でなのだ…。イエスしゃん、何でなのだ!」
「イエッさん、あんた優しすぎる…優しすぎるんだよ…」
「…」

弟子達は、みんな涙を浮かべている。
俺も、悲しみのあまりどうにかなっちまいそうだ。

…けれど。
俺は、これからやらなきゃいけない。
ある意味、俺にとっても死ぬほど辛い事を。

「…特に、あなた方に言っておくが」
「イエス様…?」
「な、なに?」

「あなた方のうちの一人が、私を裏切ろうとしている」
「えっ…」
「う、裏切り…?」

弟子達は一瞬ざわめいた後、静かになった。
確かに、驚くよな。俺達の中に、裏切り者がいるなんて…

「だ、誰の事なんですか?」
「私じゃないよね?」
「お、オレ、イエスさんのこと裏切ろうだなんて一度も…」
「う、裏切り者?うちらの中に?」

みんな口々に、裏切り者とは誰の事か俺に尋ねる。
みんな身に覚えがないから、当然だろう。

「私と一緒に同じ鉢に手を入れている者が、私を裏切ろうとしている」

「確かに人の子は、自分について書いてある通りに去っていく。しかし…」

「人の子を裏切るその人は、災いである。その人は生まれなかった方が良かっただろう」

そう言った俺の言葉に、
周りのみんなは静まり返った。

「せんせー、まさか僕の事じゃないよね」

そんな中、ユダが口を開いた。
俺は答えて言った。

「いや、あなただ」

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