10・ペテロとアンデレとの出会い

文字数 3,950文字

ガリラヤ湖―――



それから俺は、聖書の小冊子を旅行に来た旅行者が持つガイドブックよろしく
片手に持ち、ガリラヤ湖のほとりの港でキョロキョロしている所だ。

家を出てから、色々あった。
小冊子に書かれている通り、バプテスマのヨハネから洗礼を受けようとしたが
その際にひと悶着あって危うく未来が変わりかけた事とか。

そして、俺が何でこんな所でキョロキョロしているのかと言うと、
小冊子に記されている所によれば
どうやら俺はここでペテロとアンデレという兄弟を弟子にしなければならないらしい。

やれやれ、人付き合いの苦手な俺が、その二人と上手くやっていけるだろうか…。
試しに二人を弟子にするのをやめて見よう、と考えたら、
その瞬間に小冊子の続きのページに例のキリスト教が広まらず、
代わって邪教の支配する地獄のようになってしまった世界の記述が現れた。
はいはい、わかりました、その二人を弟子にすりゃいいんでしょ、弟子に…。

…それにしても、その二人は一体どんな奴なんだろう。
聖書の小冊子には、二人の特徴が何も書かれていない。
まさか、ムキムキマッチョで全身毛むくじゃらの、
一緒に居るだけで暑苦しい大男じゃないだろうな?

まぁ、いつまでもこうしててもしょうがない。
俺は、適当にその辺で働いている漁師らしき人に声をかけた。

「あのー、すんません」
「ん?何だい?」
「あの、ペテロとアンデレという二人を探しているんですが…」
「ああ、ペテロとアンデレか。おーいペテロ、アンデレ!お客さんだぞ!」

大声で二人の名を呼ぶ漁師。
良かった、あちこち探し回るハメにならなくって。
俺が、ほっと一安心している所に…。

「はーい?」
「お客さーん?」

物陰から、ひょこっと言った感じで二人の美少女が飛び出してきた。
俺は、一瞬目が点になった。
ありえない。

二人とも、姉妹らしく良く似ている。
ただし瞳の色だけは違い、それぞれ青と緑だった。
そして、金髪に白い肌…。
まるでアニメに出てくる金髪美少女だ。
周りが日に焼けた、いかにも古代ユダヤ人らしい人だらけの中で
明らかに周囲から浮いている。

この二人がキリスト12使徒のうちの二人、ペテロとアンデレ?
そりゃ確かに、聖書の小冊子には性別が男とは書かれてなかったけど…。

「この人、誰?」
「ペテロ、知ってる?」
「ううん、知らない。アンデレは?」
「知らなーい」

声も、なんだかアニメっぽい。
俺はこれが現実かどうなのか、だんだん信じられなくなって来た。

「…あー、念のために聞くけど」
「はい?」
「なに?」
「この辺りに、ほかにペテロとアンデレって兄弟は?」

俺は、一応確認だけはしておく事にした。

「いいえ?」
「ペテロとアンデレは私たちだけだけど?私たちは姉妹だけど」
「…そうか…」

これは、もう間違いない。
この二人が俺が弟子にしなければならないペテロとアンデレの兄弟…。
いや、姉妹なんだ。

ペテロの方は、何だか全体に甘えん坊っぽい雰囲気が漂う。
それに比べてアンデレはしっかりした感じで、少年のような雰囲気だ。
どっちが年上なんだろうか。見た目では判断ができない。
とにかく二人とも、とても仲は良さそうだ。

「お兄さん、一体私たちに何の用ですか?」
「私たち、これから仕事があるんだけど」

ああ、危ない危ない。
あまりの出来事に、本来の目的を忘れる所だった。
俺は、もう暗記してしまった小冊子に書かれていたセリフを
二人に向けて言った。

「…あー、二人とも」
「はい?」
「なに?」
「私の弟子になりなさい。二人を」

俺は、できるだけ威厳がある声を出そうと頑張った。

「魚でなく、人を捕る漁師にしてあげよう」

決まった。
聖書の小冊子によれば、このセリフを聞いた二人は感激し、即座に弟子に…。

「…え?」
「お兄さんの弟子に?何で?」

二人とも、不思議そうな顔をして俺を見つめる。
話が、違うじゃないか…。
一体、どうなってるんだ?

俺は二人に背を向け、聖書の小冊子をカンニングペーパよろしくこっそり開く。
セリフを間違えたわけじゃないよな…?
俺の開いたイエスキリストが二人の兄弟…。
いや、姉妹を仲間にする下りを開く。

うん、確かに間違いじゃない。
ガリラヤ湖で働く漁師である二人、ペテロとアンデレ。
そしてイエスキリストが、
その二人に俺が言ったセリフを聞かせ、感激した二人はその場でイエスの弟子に…。

「もう、私たち忙しいんですから」
「用がないなら行くよ?」

まずい。
見る間に小冊子のペテロとアンデレを弟子にする下りが薄れ、
代わって地獄のような世界の記述が…。
今、未来が変わりかけているんだ。

「あ、ま、待って二人とも!」
「はい?」
「なに?」

仕方なしに、俺は事情を説明する事にした。

「俺はイエス。ナザレのイエス。伝道の旅をしている者だ」
「え?伝道の旅ですか?」
「お兄さんが?」

二人とも、疑わしそうに俺の事をジロジロと眺めている。
それもそうだろう。
冴えない俺が、こんな美少女二人に声をかけている。
俺のいた未来だったら、通報されても仕方ない状況だ。

「神の教えを広め、人々を救う旅に君たちの力がどうしても必要なんだ」
「え…?」
「私たちの?」

二人とも、こっちの話を多少聞く気になってくれた様だ。
最初っからこうすりゃ良かった。

「人々を救う旅…ですか」
「私たちの力が、必要…」

頼られるのに、悪い気はしないんだろう。
二人とも、考え込んでいるようだった。
俺は、ダメ押しをする事にした。

「ああ。何せ俺は神に選ばれし救いの御子だから」
「え…?す、救いの御子?」
「あ、あんたが?」
「ああ。そう言われた」

二人とも、しばらく俺を眺めていた。が。

「本当ですかー?」
「何か、証拠でもあんの?」

しまった。
俺は迂闊な事を言ってしまったのかも知れない。

「しょ、証拠って言われてもそう言われたからとしか…」
「何だか、怪しいですね…」
「証拠がなければ信じられないよ」

聖書の小冊子に、キリストがこんな苦労をしたなんて
どこにも書かれていない。
やれやれ、何でこう上手く行かないんだ?

「それに、私たちがもし伝道の旅に出るとするなら」
「もう、ついていこうって心に決めてる人がいるもんねー」
「え…?心に決めてる人?」

二人が、意外な事を言い出した。
そんな事小冊子のどこにも書いてなかったのに。

「はぁ、昔見た、神殿で私たちとそんな歳が変わらないのに」
「司祭様と、対等に議論していたあのお兄さん…」
「カッコ良かったですよねー」

え…?
何だか、どっかで聞いた…。
いや、経験した事があるような、ないような。

「はぁー、あのお兄さんなら、いつかきっと立派な司祭様になられて」
「絶対、神の教えを皆に広める旅に出るんだよねー」
「そうなったら、私たちも一緒にお供して」
「力になろうって、ずっと前から話してたんだもんねー」
「…」

まさか…?
俺は、二人に聞いてみる事にした。

「…あー、ちなみに二人とも」
「はい?」
「なに?」
「そのお兄さんの名前、覚えてる?」
「もちろんですよ!」
「司祭様が名指しで褒めてたもの、しっかり覚えてるもんねー」

「じゃあ、言ってみて」
「ええ!」
「それじゃ、せーの」

「イエ…?」
「ス…?」

二人とも、一瞬固まってしまったようだった。
それから、しばらくして。

「…あのー、お兄さん」
「もう一回、名前教えてくれる…?」
「ナザレのイエス」
「本当に…?」
「嘘じゃなくって?」
「嘘なんてついてないさ」

「そ、それじゃ、5年くらい前に司祭様と議論してたのって?」
「わ、私たちよりちょっと年上ぐらいの歳でさ」
「ああ、それ俺」

そう二人に伝えると、二人はじっと下を見てうつむいてしまった。
やがて、二人の体が細かく震えだし…。

「お、おい大丈夫か?」
「…様」
「…ス…」

「イエス様ー!」
「イエスー!」
「わ!?おいちょっと!?」

二人の少女に、同時に両腕に飛びつかれ俺はバランスを失って地面に倒れた。
そんな俺にお構いなしに、二人とも両腕にしがみついて離れない。

「私たちを、選んでくれたんですねー?」
「イエス、絶対ついてくからな!」
「わかった、わかったから一旦落ち着こうな?」

二人にとって、俺は小さい頃からの憧れのヒーロー的な存在だったらしい。
もし俺が伝道の旅に出るなら、絶対についていこうね、と
昔から二人で話し合っていたようだ。

そんな憧れのヒーローが現実に目の前に現れて、
なおかつ、以前から夢想していた伝道の旅に一緒に出るという夢を、
ヒーローの方から適えにやってきたとなるならば。

「ああ、これは神のおぼしめしですぅー!」
「伝道の旅に連れてってくれるって、嘘じゃないだろな?嘘だったら許さないぞ!」
「わ、わかったから落ち着け、落ち着けって二人とも!」

何とか落ち着かせようとするが、二人はますます強く俺の腕にしがみついてくる。
二人を落ち着かせるのに、しばらくかかった。
落ち着いた頃合を見計らって、二人を立たせ俺も立ち上がり服のホコリを払った。
そして、改めて例のセリフを二人に向けて言った。

「…それでは、二人とも私の弟子になりなさい」

なるべくおごそかに、聖書に載るにふさわしい重々しさで。

「魚でなく、人を捕る漁師にしてあげよう」
「はい、喜んで!」
「うん、宜しくね、イエスー!」
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