22・ 徴税人マタイ

文字数 3,751文字

「うん、ケガはもういいみたいですね」
「はい、ありがとうございました」

カペナウムに活動拠点を移してから1週間。
俺は今郊外近くに購入した建物の中で、
詰めかけた怪我人や病人を見て回っていた。

傷口が真っ赤に腫れ上がってたり、
膿んでただれたようになっていたり…。
この時代、ちょっとした怪我や病気が大事になるのはよくあった。

「痛むならまた、来て下さい」
「はい」

ちゃんとした医療がないから当然といえば当然。
俺は、せめて何とか出来ないかと蒸留酒を作ったあのナベで
蒸留水や蒸留アルコールを作り、膿んだ傷口なんかを洗ったりしていた。
映画か何かでやってたのを見て得た知識だ。

「あと、変な薬は塗らないで下さいね」
「はい、わかりました」

それと、まじないや何をすり潰してこね合わせたかもわからない
怪しい薬をケガした時に傷口に塗るのもやめさせた。
効果がないどころか余計悪化したのを何度も見たからだ。

「お陰で、すっかり良くなりました」
「ええ、怪我には気をつけて下さいね」

傷口は蒸留水、アルコールで洗って布でも当てて清潔にする。
あと、風邪をひいて熱がある時は額を冷やし、栄養のある物を…。

まじないや妙な薬に頼るのをやめさせ、
医療とも言えない俺らの時代では常識の手当てをするだけで
多くの人達のケガが大事に至らずただの風邪が致命的に悪くなる事も減った。

「イエス様、さすがですねー」
「やっぱりすごいよイエスは、怪我人や病人を治しちゃうなんて」
「ダテに救いの御子って名乗ってないね!」
「こ、こらヤコブ、ダテって何だダテって」

俺がこんな事をしているのも、
病気がこの時代モレク教の広がる原因の1つになってると思ったからだ。
科学的な知識もないこの時代、病気は悪魔の仕業だし
治療と言えば祈るくらいしか方法がない。

「姑さんも、すっかり良くなりました」
「ああ、それですっかりイエスのファンになっちゃったよね」

ペテロとアンデレの家の姑さんもそうだった。
熱が出てるというのでお見舞いに行けば、家族みんなで祈ってばかり。
俺は姑さんの額を塗らした布を当て熱を冷まし、
ビタミンと栄養をとる様にと果物を買ってきて食べさせた結果、すぐ良くなった。

「やっぱ、イエスさんってすげー」
「すごいよねーイエスさまは」
「やはり、イエス先生は神から祝福を受けてるんですのね…」
「いや全然そんな事ないんだけどな…」

「所でアンデレ、フィリポ。配給所の様子はどうだ?」
「うん、順調順調」
「…特に問題なし…」

この頃になると、信者の数は合計で2000人を上回るくらいになっていた。
その人達が、お金や食料品など俺達に色々と寄付をしてくる。
一人ひとりからはわずかだが、2000人も居ればけっこうな量だ。
俺は使い切れないそれを配給所を設置し、困ってる人に分配する事にした。
俺一人じゃ大変なので、管理はアンデレとフィリポに任せてある。

「寄付されたもの、盗まれたりしないようにね?」
「そうアンデレ。みんなが寄付してくれたもんなんだからな?」
「大丈夫だってヤコブ。ちゃんと倉庫にカギかけてるし」

何げにこの世界は、俺のいた世界と比べて物騒だ。
泥棒や強盗、追いはぎに襲われ身ぐるみはがされたなんて話をしょっちゅう聞く。
貧しさがそういった行動に走らせるんだろう、
モレクに自分の赤ちゃんを捧げようとしていたあの女の人も、やむにやまれず…。
貧しさがモレク教の広がる原因の一つなら、できるだけ困ってる人を減らさないと。

「さーて、それじゃ後はよろしくお願いします」
「はい」
「わかりました」

俺は、病人の手当てを手伝ってくれている信者の人達にあとを任せ
その建物を後にした。
すると…。

「おお、救いの御子イエス様だ!」
「お願いです、どうか私の病気をお癒しください…」
「あんた、手を当てるだけで病気を治しちまうって話だからな!」
「い、いやちょっと…」

その瞬間、数十人の人達に囲まれる俺。
どうやら、俺が何やら神秘的な力で病気や怪我を治すと
みんな思い込んでいるようだ。
中には、はるか離れた町から訪れたらしい人もいる。

「病気や怪我は中で見てもらって下さい、俺に不思議な力なんて何も…」
「いやいや、そんな事言わずに」
「ちょっと手を当てて貰うだけでいいんです、お願いしますから」
「俺にも頼むよ!」
「はぁ、やれやれ、まぁ、それじゃ…」

俺はしょうがなしに、詰め掛けた人々の頭や肩やらに手を触れていく。
そして、俺に触れられた人達は…。

「ん…。うおおーっ、何だか元気が出てきたぞ!」
「私も、良くなった気がします!」
「すごい、噂通りだ!」
「はぁ…」

病は気から、と言うけれど。
治ったと思い込んでそれで本当に病気が良くなってしまう事もあるから不思議だ。

「イエス様、さすがですぅー」
「ああ、イエスって本当に奇跡の人だね」
「イエスさん、オレイエスさんにずっとついてくよ!」
「だから、そんなんじゃないって…」

弟子達も、そんな風にすっかり思い込んでいるようだ。
そんなんじゃないと、何回説明しても…。

不安、貧困、物騒な世の中。
そんな時代を生きるこの世界の人達には、何か頼る物が必要なのかも知れない。

「ああ、イエス先生。手を当ててわたしの病気もお癒しに…」
「…ちょっとバルトロマイ。何ですかそんな元気そうなのに」
「だって、こんなに胸がドキドキしてるんですもの。これは何かの病気…」
「イエス様には、近づかせませんよー…?」

「さて、ちょっくら町外れに行って一休みしよう。また人が詰め掛けたら大変だ」
「うん、そうだよね」
「ひっきりなしにイエスさんの所に人が来るもんね」
「イエスさま、疲れちゃうもんねー」
「…休憩、挟まないとね…」

俺はちょっと一休みしようと、皆でカペナウムの町外れに向かった。
そして、その途中…。

「…はぁー、大変やわー」
「ん?」

徴税所…。
いわゆる税金を集める役所の壁によりかかった、
一きわ目を引く美少女が…。

「貧しい人から税金集めるの、もうしんどうてしんどうて。はぁー、心が痛むわ…」

髪はフワフワカールした灰色、瞳は水色。
その美少女はそう言ってため息をついた。

「人から、恨み買ってばかりで…。うち、何のために生きとるんやろ」
「…」
「…イエス様、何をされてるんですか…?」
「あの子のこと、そんなじっと見つめて」
「可愛い子だけど…。まさか、まさかだよね」

徴税所に、あからさまな美少女。
今までのパターンからいって、間違いない。
あの子はきっと、12使徒のひとりマタイ。

小冊子に書いてあった。
イエスキリストがカペナウムの徴税所を通りかかった時に、
そこにいたマタイに一声かけたらすぐに弟子に…。

「君、マタイ君だよね?」
「はい?え、ええ」

「俺の弟子になりなさい」
「は?はあ…」
「やっぱりーっ!」
「もうイエス、イエスって何でそうなの!」
「最近、ちょっと大人しくなったと思ってたのにーっ!」
「イエスさま、スケベだスケベー」
「…手慣れている…」
「な、なかなか可愛い子ですけど。でもイエス先生はわたしだけを…」

「え?イエス?もしかして、この方が噂の救いの御子イエスはん?」
「え?いや人違いだよ?だから誘われても弟子になっちゃダメ…」
「こらこら、嘘つくなアンデレ」
「救いの御子じゃなくて、ただのナンパ男ですぅー!」
「ペ、ペテロ、だから誤解なんだって…」

騒ぐ弟子達をよそに、マタイは落ち着いた様子で言った。

「丁度良かった、うち、今の仕事にウンザリしてた所やし」

「イエスはん、弟子になります。マタイです、お世話になります」
「ああ、宜しくマタイ」
「ううー、イエス様ー…」
「どーして、そんな女の子ばっか弟子にするのさ!」
「どーせ、力が必要な未来が見えたとか言い訳するんだろうけどー」
「もー、イエスさまってば」
「…イエスたんって、もしかして年下の女の子好き…」
「けど、少し遅かったようですね。イエス先生の心はもうわたしに…」

別にスケベ心からやってるわけじゃないのに、
本当にみんなと来たら…。

「ぎににに…」
「イエスの1番弟子は、私達なんだからな!」
「おう、イエスさんが小さい頃勉強嫌いだったとか知ってるんだからな!」
「そうだよー?いいでしょー」
「だ、だからみんな、この子も必要な仲間なんだって!仲良く…」
「…あ、そうや。折角皆さんとお仲間になった事やし」

どうやってみんなをなだめるか頭が痛くなって来た時に、
マタイがこんな事を言った。

「お近づきの印に、うちが宴会を開かせて頂きます」
「え?」
「宴会を?」
「ああ、そうや」

「ぜひ皆さん、ご一緒に」
「あ、ああ」
「ふん、そーんなもんでオレ達が釣られるとでも…」
「こらこらヤコブ」

弟子になったばかりのマタイの折角の申し出だ。
俺はぶーぶー文句を垂れる弟子達を何とかなだめすかし、
マタイが開く宴会に参加する事にした。
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