30・ 1番は誰?

文字数 4,125文字

「ふぅー、やっと一息つけるな…」
「今日もお疲れ様ですねー、イエス様ー」
「本当、毎日イエスの所には人がたくさん来るよねー」

ある日の午後。
俺はいつものように病を癒してくれと詰め掛けた人々の手だの足だのに触れてやり、
それらの人々をやっと捌き終えた所だった。

今日はいつもより早めに終わり、午後の時間はその辺をブラブラして過ごそうと
俺はカペナウムの町を弟子達と共に散策していた。

「ああ、今日は救いの御子様」
「皆様に、神の祝福があらん事を」
「あ、どうも…」

通りがかった人々が、笑顔で俺達に挨拶してくる。
俺は今やすっかり有名な宗教指導者となり、この町では誰もが俺の事を知っている。
実際の俺は、そんな立派な人間でも何でもないんだけどね…。

「あー、イエスさまだー」
「こんにちはー!」
「ああ今日は」

その辺を走り回っている小さな子供達も、俺を見かけると寄って来ては
俺に話しかけてきたりする。

「ねーねー、イエスさま」
「ん?」
「神の国って、本当にあるのー?」

小さい子供らしい質問だ。
確かに、見た事もない神の国にこういった疑問も出るだろう。
けど、俺の言う事を何でもうのみにする人々よりかはよほど人間らしさを感じる。
小さい頃神殿で俺と議論したあの司祭も、こんな気持ちだったんだろうか。

「ああ、本当だ。教えを守って、皆でいい子にしてたらきっとそこに入れるよ」
「へー、そうなんだー」
「いい子にしてたら、神の国に入れるんだー?」
「ああ、そうだ」

「へーん、水の上に立ったりできるイエスさんが言うんだもの。あるに決まってるじゃないか」
「本当に?」
「すごーい!」

ヤコブが鼻を高くして言う。
やれやれ、何だか恥ずかしいし、みっともないからあんまり偉ぶらないよう皆には注意してるのに。

「そして、オレこそがイエスさんの1番の弟子なんだぞー?」
「へー!」
「かっこいー!」
「ちょ、ちょっとヤコブ、何ですか私達を差し置いて」
「今のは聞き捨てなりませんね」

「だからお前達、悪さしないでいい子にしてないとダメだからなー?」
「はーい!」
「わかったよ、1番の弟子のお姉ちゃん。それじゃーねー!」

子供達はそう言うと、元気よく走り去っていった。

「ふっふーん」
「ちょっと何ですかヤコブ。子供に変な事吹き込まないで下さい」
「そうだよ。何が1番の弟子だよ。いっつも迷惑ばっかかけてるクセにさ」

「そ、そんな事ないだろ?オレ、イエスさんの手伝いとか色々して…」
「それは、みんなも一緒ですー」
「そーだよ。そんでヤコブってば色々やらかすし」
「う、うるさいな!」

…何だか、雲行きが怪しくなってきたぞ。

「いいか、オレが1番イエスさんの役に立ってるんだからな!」
「お言葉ですがヤコブさん、イエス先生が1番気にかけているのはこのわたし…」
「バルトロマイは黙ってなさい」
「僕が1番に決まってるから。諦めたほうがいいよ」

「ユダは、1番迷惑かけてるだろ」
「…意外に、あたしが1番だったり?…」
「ふふっ、そうやなぁ、けどフィリポはんに1番の座は譲らんでー?」
「あ、あのイエス殿、弟子になった順番は関係ありですか?」

多分、これは早い目に手を打っておかないと誰が1番かで収拾がつかなくなる…。

「弟子になった順番が関係なしなら、ワタシにもチャンスはありますネー?」
「じゃあ、タダイが1番で決まりなのだ!」
「ううん、ヨハネだもん!」
「い、いやきっとアタイこそ…」
「ちょーっと待て、ほら、みんなケンカはやめだ」

「ほら、お互いにいたわり合いなさいだ。いつも言ってるだろ?」
「は、はい…」
「もう、怒られちゃったよ。ヤコブが変な事言い出すから」
「お、オレのせいじゃねーし!」

みんなブツクサ言っていたが、取り合えず何とかこの場は収まったようだ。
けどしばらくみんな、ブスッと黙ったままだった。

「…それにしても、最近この辺もずいぶんと平和になりましたねー」
「ああ、確かにねー」

しばらくたってから、ペテロがふと気がついたように言った。
考えて見れば、そうかも。
強盗やら追い剥ぎやらの物騒な事件の話はないわけじゃないけれど
以前に比べたらずい分と減った気がする。

「それに、小っちゃい子供達だけで遊んでるのもよく見かけるようになったよなー」
「さっきみたいなねー」

そう言われればそうかも知れない。
以前はあまりなかったけれど、最近夕方まで遊んでる子供もよく見かけるようになった。

「…あたしの小さい頃は、一人で遊んでちゃダメってよく言われた…」
「そうですね。子供をさらう魔物が出るから、遊ぶときは大人のいる所でみんなで遊びなさいと」

…もしかしたら、その子供をさらう魔物というのはモレク教の信者だったのかも知れない。
生贄にするために、小さな子供をさらって…?

「けど、魔物はどっか行ってもうたみたいやなぁ。もしかして、イエスはんを恐がってるのかも知れんねぇ」
「これも、イエス殿の力でありますね!」
「さすが、イェース様デースネー」
「もう、安心して夜もぐっすりなのだ!」
「そうやって油断してると出るよ、タダイー?」
「シモンも怖がりなのに。よく言うね」

子供をさらう魔物とはそういう事だったのかも知れない。
けど、俺がモレク教をこの辺りから一掃したから、そういう事は無くなって…?

「…こんなにこの辺りが平和なのも、イエス様の御業なのですね」
「ああ。だからこの辺の人はみんなイエスさんに感謝してるよ」
「やっぱり、イエスは神の子?」
「ええ。イエス先生は以前こう仰ってましたね。平和を作り出す者は神の子と呼ばれると」
「な、何だよ。テレ臭いな…」

俺は何も考えずに、必死にイエスキリストを演じてただけなのに。
確かに、町行く人々はみんな笑顔だ。たぶんお金や食料の配給で困ってる人も減ったんだろう。
俺のいた未来並にとまでは行かなくても、町は穏やかだ。

「イエス様、もしかして神の国はそろそろやって来るんですか?」
「あ、そうかもね!イエスさん、神の国っていつ実現するの?」
「教えてイエスさまー?」
「ん、え、えーとそれはな」

神の国、か。
こうやって平和に何不自由なく暮らせれば、それで十分神の国と言えると思うけど。
けれど、神秘性が生活に密着しているこの時代の人にはわかり辛いかも知れない。
えーと、イエスキリストは何か言ってなかったっけ…。俺は小冊子を開いた。

「…神の国は、目に見える形で来るものではない」

「それに神の国はここにある、そこにあると言えるものでもない」
「え?そうなんですか」
「イエスさま、じゃあ神の国ってどこにあるのー?」
「ああえーと…。神の国は、実に皆の中にあるものだ」

神の国は、皆の中にある、か…。
みんな一人ひとりの善良な心が神の国を実現するという事だろうか?
確かに、そうなのかも知れない。

「神の国は、私達の中に…」
「…神の国は、あたし達の心の中にあるって事?…」
「うーん、イエスさんって時々言う事が難しいよなー」

そうだよな。
神の国のイメージって、こう天使がフワーッと飛んでて…みたいな感じだよな。
実際のイエスキリストはどういう積もりだったんだろう。

けど、とりあえず多くの人が道徳的で、人を生贄にして捧げる邪教のほぼ絶えた未来は
この時代の人達から見たら神の国に見えるかも知れない。
もしかして、みんなの平和でありたいと願い続けた想いが、結果俺のいたそれなりに平和な
未来を創っていったという事になるのかも知れないな…。
それとも、いつか本当にそういう奇跡的な国が現れたりするんだろうか?

「まー、でも」

その時ヤコブが言った。

「神の国が実現したら、そこに真っ先に入れるのはオレですよねー?」
「まーた、ヤコブ」
「そういう事言うヤツは入れてもらえないよ。ねーイエス?」
「あ?ああヤコブ、えーっと…。自分を高くする者は低くされる、だぞ」

「い、いいじゃないですかイエスさん、オレ、一生懸命頑張ってるし…」
「それは、みんなも同じですー」
「だから、1番は僕だってば」
「ユダのその自信はどっから出るのさ」

また、始まった…。

「…よーし、こうなったら」

何だか、嫌な予感がするぞ?

「誰が1番の弟子か、イエスさんに決めてもらう!」
「そ、そんな、誰が1番かイエス様に決めてもらうなんて…」
「どーせ、ヤコブは最下位だよ」

「イエスさん!オレが1番だよね?」
「ち、違いますよねイエス様?」
「ヨハネだよね?」
「あ、あらイエス先生、こんな皆の前でわたしをお選びになる事になるなんて…」
「まーまー、イエスはんはモテモテやなぁー」

こ、困った。
下手に誰が1番なんて決めたら、その後大変な事になるぞ。

「イエスさん!1番はオレだよね?」
「い、イエス様は誰が1番かだなんて、ありませんよね?」
「そう言って内心期待してるでしょー、ペテロー」
「イエス先生…」
「イエスさまー…」
「ほら、さっさと僕を選びなって」

みんな、真剣な目で俺に詰め寄ってくる。こ、怖い…。
何とか、この場をうまく切り抜ける方法はないか?
その時、丁度よくさっきの小さな子供達が俺達の横を走り抜けていった。

「あ、ちょっと君達」
「はーい?」
「おいでおいで」

俺はその子達を手招きして呼び寄せた。
そして、その子達の頭を撫でながら言った。

「この子達が1番」
「え?」
「そ、その子達が1番?」
「ああ」

俺はその子達の頭を撫でながら、みんなに言った。

「神の国に入るのは、こういう小さな子みたいでなきゃダメだぞ」

そう。
素直で純粋で、誰が1番かで争ったりしないような…。

「だからお前達も、この子達を見習って…ん?」
「…イエスさんって、前から年下の女の子好きだとは思ってたけど」
「ああ、けどまさかあんな小さな女の子を…」
「イエス様…」
「ち、違う!」
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