8・最初の試練

文字数 3,788文字

やがて、次の日。
3人でいつものように向かった神殿で、
俺は、緊張で震えそうになりながら司祭の話を聞いていた。
近所から、大人も子供も、大勢の人たちが集まっている。

「…えー、神はまずこう言われました。光あれと。すると…」

昨日、父さんと母さんに一夜づけで沢山話は聞かせてもらったが、
果たしてそれで司祭と対等に議論できるほど知識は身についただろうか?
ちくしょう、テストの前なんかよりよっぽど緊張する。

俺のせいで、この辺りの未来が地獄みたいになってしまうかも知れないんだ。
また、恐ろしくてあれから先は読んでないけれど、
キリスト教が広まらないままでいたら世界中で同じ事が起こる可能性だって。

もしかしたら、今の父さんや母さん、また俺の本当の父さんや母さん、
あと未来にいる友達もそれに巻き込まれてしまうかも知れないんだ。
俺のせいで。

「これが、第一日目に神のなされた事です。そして…」

いつもなら半分寝そうになりながら聞いている司祭の話を、
今日の俺はこれ以上なく真剣に聞き入っていた。
その様子を、父さんと母さんはニコニコしながら見ている。
俺がこんなに真剣に司祭の話を聞いているのがとても嬉しいようだ。
はぁ、こっちの気も知らないで、二人とものん気で羨ましい…。

「えー、では…そこの君。最初の預言者の名前は?」
「はい、アブラハムです」
「よろしい。よく出来ました」

やがて、司祭が聴衆の間を歩き、子供たちを指差して一人ひとりに質問を始めた。
いつもの光景だ。
たまに俺も当てられ、しどろもどろで答えられずにいて、
それを見て恥ずかしそうに顔を真っ赤にしてうつむく
父さんと母さん、なんてのはよくある事だった。

「では、そこの君…。モーゼの書いた書の名前を何でも一つ」
「はい、出エジプト記です」
「よろしい。正解です」

きっと、今日は俺が当たるんだろう。
この司祭は、話を聞いていたなら誰にでもわかるような
簡単な質問を子供にしてくる。
俺には、何て質問を?

「それでは…。そこの君」
「は、はい」

とうとう、司祭が俺を指さす。思った通りだ。
俺は身構えた。
司祭は、俺に一体何て質問をしてくるんだ…?
まさか、とても答えられないような難問を?

「では、神はいると思うかね?」

俺は思った。
子供向けの、とても簡単な質問だ。
一夜づけで身につけた知識なんて、必要ないくらいに。
これに素直にはい、と答えればきっと司祭は褒めてくれるだろう。
様々な預言者を導いてくれたので、いると思います、
と答えればもっと褒めてくれるかも知れない。

けど、それって本当に議論した事になるのか?
ここで、素直にはいと答えてしまっていいのか…?

「…」
「…イエス?」
「どうしたの?ほら、司祭様の質問に答えて…」

緊張した面持ちで下を向く俺の様子を見て、
父さんと母さんが心配そうに語りかけてくる。
こんな簡単な質問に、まさか答えられないなんて事はないだろう、
と言った様子だ。

「…わかりません」

俺の言った一言に、周囲からどよめきが起こった。
当然だった。
周りは、純粋に神を信じてる人たちばかりなのだ。
まさか、こんな答えが子供から返ってくるとは思わなかっただろう。

これは、俺の正直な気持ちでもあった。
こんな不思議な経験をしておきながら言うのも何だけど、
これは神の御わざというよりも
科学的な何かで説明のつく現象なんじゃないか?

第一、こっちに生まれ変わってこんな状況に陥ったのに、
神が声をかけてきたり、
俺の前に神が姿を現したことなんて一度もない。

マンガなんかによくある展開だと、
異世界に生まれ変わったばかりで戸惑っている所に神様が現れて、
面白おかしく状況説明を始める…なんてのはよくある事だけど。
俺にそんな事は一切起こってない。

本当に、これが正解なのかなんてわからない。
俺はもしかしたら、とんでもない間違いを犯したのかも知れない。
確かな知識に基づいて、
みんなの前で神の存在の証明をやってのけるべきだったのかも知れない。
けど、付け焼刃の知識しか持たない俺に、そんな真似はできようがなかった。

「い、イエス」
「イエス、勘違いしたのね?ほら、司祭様の質問をちゃんと聞いて…」
「…」

父さんと母さんは、しどろもどろだった。
当然だった。
もしかして俺は、これから不信心者としてみんなに袋だたきにされ、火あぶりに…。
俺は、次に何が起こるのかじっと待った。


「…なるほど。君はどうしてそう思うのかね?」

司祭は、どよめく周囲をよそに落ち着いて俺にそう聞いてきた。
けど、優しそうな目の奥にも厳しい光が宿っている。
俺は、腹をくくって思っている事を正直に話す事にした。
だって、そうする以外にやりようがないから。

「僕は、神の声を聞いたり姿を見た事がないからです」
「ふむ…」

司祭は、しばらく何か考えているようだった。
やがて…。

「しかし、多くの書物に神の姿を見たり声を聞いたりした人たちの話が載っている」
「…」
「これも、嘘だと思うかね?」
「…」

「…その人たちが見たり聞いたりしたのは、本当に神の姿や声だったんでしょうか」
「ふむ?」

俺の答えに、また周囲がどよめいた。
父さんと母さんは、大慌てであたふたしている。
ごめん、父さんと母さん。
司祭の質問に素直にはいと答えてれば、俺はいい子でいれただろう。
けれど、それだと未来がメチャクチャになるかも知れないんだ。
もしかしたら、父さんと母さんも巻き込んでしまうような。

「何かの見間違いだったり、勘違いだったり…」
「…なるほど。確かに、私たちがその場に居たわけではないからね」
「ええ…」
「もしかして、君の言う通りかも知れないね」

意外な事に、司祭は俺の言う事に怒りはしなかった。
それどころか、逆にこんな質問をする俺を面白がっている様だった。
やがて、司祭は自身にも言い聞かせるような調子でこう言った

「…だがね。考えて見て欲しい」
「はい」
「それだから、神は居ないという事になるのかな…?」
「え…」

…確かに、この司祭の言う通りだった。
俺が神の姿を見た事がないからと言って、だから神は居ない、
という事にはならないのかも知れない。

「もしかしたら、書物に書かれてある事は本当にあったのかも知れない」
「…」
「その場に居なかった私たちにとっては、何とも言えない事だ」
「…」

司祭の言う事も、最もだった。
俺がその場に居て見なかったからと言って、そこに神が現れなかった、
という事にはならない。
けど…。

「…けど、僕はわからないんです。本当に神様が居るかどうかなんて」
「ああ、確かにそうだろう。けどね…」

神殿内は、シン…。と静まり返り、俺と司祭のやり取りに聞き入っている。

「だからこそ、信じるしかないんだ。神が我々の前に姿を現さなくてもね…」
「…」

そう言うと司祭は、フッと表情を崩して俺を見た。
俺が、あんな答えを言った事がまるで嬉しいかのように。
俺は、思わず司祭に質問した。

「司祭様。あなたは、神の存在を信じてるんですか?」
「ああ、もちろん信じているよ。君は?」
「…いえ。僕にはまだわかりません」
「ああ、それでいいんだよ。疑問を持つことはいい事だ。例え今はわからなくても」

司祭はそう言って、俺の頭を撫でた。

「たくさん悩んで、答えを見つけたらいい」
「…」
「そして、どんな答えを出そうとも」
「…」
「神は、いつも君を見守っているからね…」

そう言って、司祭はゆったりと俺の頭を撫でた。
そうしながら、彼はこう言った。

「君、名前は?」
「あ、はい、イエスです」
「イエス君、か…。神はいるかという質問に、はいと答えなかった人は」
「…」
「君だけですよ。ふふっ…」
「す、すいません…」
「いえ…。素晴らしい答えと質問でした。皆、イエス君に拍手を」

周りに集まっていた人たちが、俺に向かって一斉に拍手を送った。
父さんと母さんは、俺をあっけに取られて見ている。

「…はぇー…」

その中に、キョトンと俺を見つめる10歳にも満たない少女が二人。
後にこの子が俺の弟子となり、
俺と一緒にとんでもない冒険の旅に出る事になろうとは。
その時の俺は、思いもしなかった。



「イエス、イエス!凄いなぁお前」
「凄いわイエス、司祭様からあんなに褒められるなんて…」

説法の時間が終わり、
父さんと母さんが、やたら俺を撫でたりキスしたりしようとして来る。

「ごめん、父さんと母さん、先に帰るから!」

俺は、それ所じゃなかった。
一刻も早く、家に帰ってあの冊子を見て、未来が変わってないかどうか確かめないと!

「ふぅ、ふぅ…」

走りに走って家に帰り、自分の部屋へと飛び込んだ。
大慌てで箱の中から聖書の小冊子を取り出し、中身を確認する。

「…12歳のイエスキリストは、神殿で司祭と対等に議論をし…」

よ、良かった…。変わってない。
あれで、良かったんだ…。
未来は、救われたんだ。
俺は安心感から、ヘナヘナと床にへたりこんでしまった。

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