39・運命を変えるには

文字数 3,120文字

「生贄を求める神は、神ではないのです!」

あの日から、俺は布教の回数を増やし力を入れていた。
俺の信者の中にも、人を生贄に求める神を崇め、儀式に参加する者も居るらしいし…。

「間違った神…。いや、悪魔の行いが広まれば、神は怒りあなた方に罰を下します!」

「そうだ、救いの御子イエスのいう通りだ!」
「おお、主なる神よ!神は、あなたただ一人…」

熱狂的に、俺に答える聴衆。
皆、信仰心を燃え上がらせ、人を生贄にする異教に怒りをあらわにする。

「古くからの言い伝えにあります。異教を信奉する者は滅びると」

この時代の人々に、人を生贄にする異教の不条理さ、
それが人々の意識、世の中に与える害をしっかり認識させ植え付ける事が出来れば。

「そして、神は言われました。お互いを慈しみなさいと…」

そうなれば。
人々にモレク教やその他の異教の広まる下地はなくなって。
そうなれば俺が十字架にかからなくても、モレク教は広がる事なく未来も平和に…
そうなんだ、きっと。

「これは、神が皆を愛するからです。神は全ての人によく生きるための道を示されました」

「どうか皆さん、その神の愛に、教えにそむく事がないように…」
「おお、神よ…」
「神は、皆を愛し救って下さるんだ…」

人を慈しむように教えるのも神ならば、人を殺すようそそのかす存在も神。
この時代の、その常識を変えてやるんだ。
皆にくり返し言って聞かせて、徹底的に。


「イエス様、お疲れ様でしたー!」
「最近、すごい力が入ってるねイエス?」
「イエス先生の力強いお言葉、感銘致しました…」
「イエスさまー、凄かったー!」
「ああ…」

…けれど。
俺の言葉は、皆にどれだけ届いてるんだろう?

今、皆はこんなに熱狂的に俺の言葉に賛同してるのに。
誘惑に晒され、あるいは作物の不作などの不安を解消するために
夜になればこっそり生贄の儀式へ参加して…

俺は、あせりと不安を感じていた。
俺がいくら言っても、言葉だけでは人々の心を根本的に変える事は出来ないんじゃないか。
史実の通り、神の子とされるカリスマ的な存在が命を失うような、
人々に強烈なインパクトを与える出来事でもなければ…

もし、俺がここらで大丈夫と布教をやめてしまったら?
きっと数年は大丈夫だろう。
けど、神の祝福を受けていると皆に見なされそして人の道を説く
そういったシンボルを失った人々は。

やがて不安、誘惑に晒され、状況に流されて。
俺が小冊子を通して伝えるイエスキリストの言葉は、いずれこの時代の人々から消えていき…

けど…。ある意味、これはしょうがない事なのかも知れない。
ほとんどの人は一生常に心を強く持ち続け、誘惑に流されず一度も悪さもせずなんて事はできないし。
俺なんかも時々、ベッドの中で
マグダラのマリアさんの胸の感触を思い出してついニヤニヤしちまったりして…

やっぱり、誰でも悪さをする事があるのはしょうがないにしろ。
その、限度を知るってのが大切なんだろうな…

「みんな、明日はツロの方に行って話をするから。ちょっと遠いけど…」
「はい!」
「イエス、やる気に溢れてるじゃない」
「よーし、明日も張り切ってイエスさんに付いてくぞー!」
「おーっ!」

とりあえず、
皆がちょっとした誘惑で生贄の儀式に参加してしまう状況だけは何とかしないと。
そうすればきっと、俺が十字架にかからないとキリスト教が広まらない状況は変わっていって…




「お願いします、どうか悪霊に取り付かれた私の娘をお助け下さい…」

翌日、ツロに到着し。
今、一人の女性が俺の前に回りこんで深々と頭を下げている。

「あのなー。イエスさんはな、忙しいんだぞ?」
「ええ、あの、お話は後で…」
「これから、大勢の人の前で話をする予定やしなー」

町についてからずっと悪霊に取り付かれた娘をお助け下さい、
お助け下さいとすがりついて来るので弟子達もげんなりしているようだった。

これはアレだ。
小冊子に書かれてる、イエスキリストがツロの町で遭遇した出来事だな…

「あの」
「はい」

「俺は、イスラエルの家の失われた人以外には遣わされていません」
「え…」
「お、おおー。イエスさんも言う時は言うねー」
「そうだよイエス、たまにはズバッと断っちゃいなよ」
「け、けどかわいそうだよー…」

小冊子によれば、
この女の人はイスラエル人じゃなく異邦人なんだっけか…。
確か、カナン人だったっけ。

「そんな事言わずに、どうかお願いします!」
「だから後にしようよ。なーイエスさん?」
「イエス先生。ここは、わたしがこの方の話を聞いておくのでお先に…」

女の人は、なおも食い下がって俺に向かって深々と頭を下げる。
えーと、次にイエスキリストが言うセリフは…

「子供たちのパンを取り上げて、子犬に投げてやるのはよろしくありません」
「そんな…」
「そ、そうだよ。イエスさんの言う通り。子犬にあげちゃうなんてパンがもったいない」
「…あなたより、他に救うべき人々がいるって例えじゃない?…」
「きょ、今日のイエス殿は厳しいでありますね…」
「あの人が、異邦人だからなのだー…?」

確かに、トマスの言うとおりかも知れない。
でも、そう書いてあるから言わなけりゃしょうがないし…
そして俺にこう言われた女の人は、顔を上げて言った。

「主よ、お言葉通りです。でも」

「子犬も、主人の机から落ちるパンくずは頂きます…」

その言葉に込められた真剣さに、
騒がしかった弟子たちは一瞬シンとなった。

「う、うん、確かに机から何か落とせば子犬ってすーぐ食べるけど?」
「ヤコブはん、私は異邦人やけど、おこぼれでもお救い下さいって意味なんやない…?」
「イエス先生のお言葉を受けて、高度な返しを…。なかなかやりますね」

た、確かにかっこいい返しの言葉。
自分の事を子犬と卑下して、それでもお救い下さいと…。
立場が逆だったら、俺じゃこうは返せないなたぶん。
え、えーと、それでイエスキリストは…

「女よ、あなたの信仰心は見上げたものです」

「あなたの願い通りになるように」
「え、イエスさん、あの人の娘さん治してあげるの…?」
「優しいなー、イエスって」
「さっすがー、イエス殿であります!」

俺は、小冊子にあるイエスキリストの言葉を読み上げると
振り返ってその場から歩き出した。

「あ、あの…」
「い、イエス様?この方の娘さんを治してあげるんじゃ…」
「ああ、娘さんなら」

「もう治ってますよ」
「えっ…」
「ええっ?」
「ほ、本当に?」
「…すごい…」
「い、一回も見もせんで?へぇー…」

小冊子に書かれてあるから、きっとその通りに治るんだろう。
娘さんに取り付いた悪霊ってのが、何かはわからないけど。

病気の事なのかも知れないし、素行が悪くて困っているのかも知れない。
それにもしかしたら。この人は異邦人だから、娘さんが異教に深入りしてて…

けれど。
こんなにもお母さんが俺の事を信じ、娘さんのためをこんなに想っているなら。
悪霊が何にしろ、きっとそれで治るという事なんだろう。

信じる心、か。
多くの人が、イエスキリストを…。俺が伝えるその言葉を信じるなら。
それがもしかしたら、皆だけでなく、俺自身をも救う事になるのかも。

転生する前は、俺はキリスト教に興味なんてなく、信じてもいなかった。
それが今では、こんなにみんなに信じさせようとやっきになって。
何と、まぁ、皮肉な事もあったもんだ…
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