23・律法家パリサイ人

文字数 6,454文字

「いやー、皆さんよう来て下さいました」
「な、何だかすごいな?」
「人が、こんなに沢山…」
「お前って、いい所に住んでるんだなー」

その日の夕方、俺達はマタイに招かれた通りに
宴会が開かれる彼女の家へと向かった。

思ったよりも大きな家だ。
それもそのはず、この時代人から税金を集める徴税人といえば
現在で言えば上級の公務員にでも相当する役職になるんだろうか。
お金持ちだったとしても不思議ではないけれど。

そしてさらに、家の中は招かれた仕事仲間らしい人がたくさんで、
また通りかかった人達にも手当たりしだい声をかけたらしく
とてもお金持ちには見えないような人達までも入り混じってごった返していた。

「マタイ、君ってずい分気前がいいんだな?」
「いいえ、このぐらいなんて事ありませんわ」

そしてホールにズラッと並んだご馳走の山。
かなり人は多いが、それでも食べ切れないほどの量だ。

「ささ、皆さん座って座って。今日は腹いっぱい食べてってな?」
「あ、ああ」
「お、お金持ちだからってイエス様はなびきませんからね」
「ああ、お金なんて困ってる人にあげちゃうくらいなんだから」
「けど、正直ちょっと羨ましい…」
「わー、これおいしそー」
「…珍しい食べ物も、たくさんあるね…」
「贅沢ですね、いくらかかったのかしら…」

俺たちはマタイにうながされ、めいめい席についた。

「何か足りない物があったら、遠慮せんとすぐに言うてくださいね?」
「ふん、そんないい子ぶってイエスさんに取り入ろうなんて…」
「まーまー、ヤコブ。折角なんだから言葉に甘えよう」
「こんなご馳走なんかより、私達の手料理の方が絶対…」
「そうだよ。イエス、すごく美味しそうに食べてくれたもんな?」
「ヨハネのパンもだよねー」

弟子達は、新しく仲間になったマタイに警戒心を抱いているようだ。
今日仲間になったばかりなので仕方ないといえば仕方ないけど…。
しかし、何でこうも弟子が美少女ばかりなのか。
もしかして、俺が転生したお陰で歴史に歪みでも生じてしまったんだろうか…?
まぁ、あれこれ考えても仕方ない。
そして、それから約30分後。

「いやー、マタイ、お前っていいヤツだなー!」
「いややわぁ、ヤコブはんこそー」
「この料理、おいしいですねー!」
「ああ、こんなの初めて食べるよ!」
「おいしいねー」
「…うん、おいしいおいしい…」
「た、確かに、塩や香辛料がたっぷり使われてて…」

豪華な料理と、マタイのトークで弟子達はすっかり打ち解けたようだった。

「皆さん、お代わりたくさんしてな?」
「おう、じゃんじゃん食べるぞ。なーみんな?」
「ええ。いい人ですねーイエス様」
「歓迎するよ。宜しくねマタイ?」
「お前らも、ちょろいヤツらだな…」

宴会は確かに開いて良かったと思う。
しかし俺は、何だかマタイの気前よさが心配になってきた。

「マタイ、こんな豪勢な宴会なんて開いて大丈夫か?俺達だけじゃなくて色んな人も…」
「ああ、そんなの全然構いまへん。何せ」

次のマタイの言葉に、俺達はど肝を抜かれた。

「全財産のほとんど、これにパーッと使うてもうたからなぁ」
「え、ええーっ!?ぜ、全財産のほとんどをですか!?」
「あ、明日からどうすんの?」
「お前、凄いな!?」

俺は、思わずマタイに聞いた。

「い、いいのかマタイ?仕事もやめて俺の弟子になるってんなら、最低限の生活に…」
「ええ、いいんです。うち、貧しい人やらから税金をむしりとるような仕事」

マタイはそう言って、少し影のある表情になった

「続けてて、これでええんやろかってずっと苦しくって…」
「マタイ…」
「そうなんですか…」
「けど、イエスはんに声かけられて、なら辞めてしまえばええんやって心が軽うなって」

それまで騒ぎながら飲み食いしていた弟子達が、
みんな手を止めてマタイの話を聞いている。

「人を悲しませて稼いだお金なんて、無くなってもうてサッパリしましたわ」

「今日は、自分のやって来た事との決別の意味で色んな人招いて使い切ろ思たんです」
「そ、そうか」

そう言い切ったマタイの顔は、晴れやかだった。

「り、立派な人ですね…」
「全財産のほとんどを、なんてマネできない…」
「も、もったいないと思わなかったの?」
「いいえ、今までの罪滅ぼしと思えば、このくらい何てことありません」

「なんで皆さん、どうか遠慮せずに。残さず平らげるぐらいの勢いで食べて飲んでな?」
「あ、ああご馳走になる」
「くぅー、イエス様の弟子になるのにそこまでの決心を…」
「い、イエス?一番弟子は私達なんだからね?」
「こいつは負けちゃられないな!」
「いい人だねー」
「…見上げた心意気…」
「ふっ…。手ごわいライバル、と言った所でしょうか」

決断の良さ、心持ちの良さ、そして要領の良さ。
マタイは、いわゆる出来る子なのかも知れなかった。

「おお、あなたがマタイが弟子になったイエスさんですか?」
「おっ、あんたの噂は聞いてるよ!」
「ん?」

その時、いい感じで酔いが回ったらしい二人組みが俺に話しかけてきた。

「いやー、どうかマタイをよろしくお願いします」
「ああ、こんな通りすがりの俺も宴会に招いてくれて、いい人だな!」
「あ、ええ…」

一人は、金持ちらしいいい身なり。
そしてもう一人は、着ているものに穴が開いたりしてお世辞にも金持ちには見えない。
どうやら徴税人と、声をかけられたそこらの人らしいが…。

徴税人といえば、この時代の貧しい者の敵。
本来ならいがみ合い、ケンカになってもおかしくないのに。

「イエスさん乾杯しましょう、マタイの新たな出発に」
「そう、こんな素晴らしい宴会に招いてくれたマタイさんに、カンパーイ!」
「え、ええ、カンパーイ」

二人とも仲良く機嫌良さそうにワインをあおる。
富める者も貧しい者も、今日の宴会に分け隔てなく招いたマタイ。
彼女の人柄のお陰で、こんな光景が見られるのかも知れなかった。

「はーい、お客さん追加でーす」
「ん?」

その時マタイが、数人の男達を俺の前に連れてきた。

「この人達が家の前通りかかったんで。うちがイエスはんの弟子になった祝いの宴です、一緒にどうですって誘ったらぜひにと」
「ずい分、盛り上がってるようですな」
「あ、ど、どうも…」

そこには立派な体格をした、60歳後半くらいの老人がニコニコ顔で立っていた。
服装はビシッとしていて、態度も立派だ。
周りには、その人の弟子か何からしい男達が数人いる。

「あなたが、噂のナザレのイエスですか。丁度良かった。一度あなたとぜひ話がしたいと思ってましてな」
「え?あ、ああそうなんですか」

どうやら、この男は俺の事を知っているらしい。
まぁ、何だかんだで俺も有名になりつつあるから知ってても不思議はないけれど…。

「あ、じゃ、まぁどうぞ座って…」
「いいえ、結構」
「え?」

次に男が放った一言に、俺達は凍りついた。

「徴税人や犯罪者と、一緒に食事をする気にはなれませんからな」

騒がしかった宴の席が、一瞬シンと静まり返った。
そして、ヒソヒソと辺りからこんな声が聞こえる。

「パリサイ人だ…」
「パリサイ人…」

パリサイ人。またはパリサイ派。
聖書の小冊子に書いてあった。
神から伝えられたという教え、律法を厳格に守る人々。

現在で言うと法律家にでも当たるんだろうか。
いや、もっとはるかに大きい権限を持っているかも知れない。
なにせ、彼らの言う事は神の教えが支配するこの世界では絶対なのだから。

「人を苦しめる徴税人と、何やら牢獄で見かけた顔もチラホラと…ふん」
「あ、あの、どうかその辺で…」
「いずれも、律法に反する者達ばかりではないか」

パリサイ人にとって、律法に反する者は神の怒りに触れ
地獄に落ちる事が決定づけられた汚らわしい者達。
けど、犯罪は良くない事だけど中には貧しさから仕方なしにって場合もあるだろうに…。
高圧的なパリサイ人の態度に、その場にいた全員がうつむいてしまっている。
マタイは、そんなみんなの様子を見てオロオロしている。

「ナザレのイエス。神の教えを説きながら、なぜこのような罪深い者達と食事を共にする?」
「そうだそうだ、こんな律法に反する者達と!」
「教えを守らぬ者達よ。神がお救いになるのは、我々のように教えを守る者だけだ!」

パリサイ人は口をそろえそんな事を言う。
みな、律法に反する者は全員地獄に落ちてしまえとでも言わんばかりの態度だ。
宴会に集まった人達は、悔しそうにうつむいている。
そりゃ上から目線で一方的にこんな事言われたら、誰だって…。

「あ…あの!イエス様はあなた達と違って、どんな人でも平等に救いを…」
「ちょ、ちょっと待ってろペテロ」

俺はいきり立つペテロを制すると、慌てて聖書の小冊子をこっそり開いた。
確か、食事の席でパリサイ人に絡まれたイエスキリストがどうしたか、
何か書いてなかったか…?
お、あったあった。
俺は、そこに書いてあった文を読み上げた。

「…丈夫な人に医者は必要ありません。医者が必要なのは病人です」
「むっ…」

「神の言われた、『私が望むのは哀れみであり、生贄ではない』とはどういう意味でしょう?」
「…」
「俺が来たのは善人を招くためではなく、罪人を招くためなのです」
「…」

聞いている皆の間から、おお、と声が漏れた。
罪人とされる人達にとっては、自分でも救われるんだと思える言葉だろう。
イエスキリストもいい事を言う。
この言葉に、パリサイ人達は黙った。
いいぞいいぞ。

「だ、黙れ、話に聞いたぞ、お前達は断食もしないってな!」
「そうだぞ、律法に反している!」
「そんなお前達に、神の教えを説く資格はない!」

やり込められそうになったパリサイ人達は、
俺達の普段の行いをあげつらい始めた。

「う…」
「た、確かに私達、あんまり断食とかしてないけどさ」
「ど、どうしようイエスさん?」

確かに、ここでは律法で年6回断食の期間が定められているが、
意味のある事とは思えなかったし食べ盛りの俺達に断食は少々辛いものがあった。
未来のキリスト教徒の間でも、断食の習慣はなかったはずだよな…
いや、儀式の前とか祭りの前とか折に触れてしたりするんだっけ?
ま、まぁとにかく、俺達は食いすぎに気をつけるぐらいで厳しく断食はしない。弟子達も喜んで賛成してくれたし…。
えっとそれで、これも小冊子にある通りに返せばいいか?

「婚礼の客は、花婿が一緒にいる間は悲しんでいられるでしょうか?」

「しかし花婿が奪い去られる日が来ます。その時には、断食をするでしょう」

断食は悲しい事があった時に限るべきだという意味だろうか…?
それとも律法に詳しい人には、何か深い意味が込められてるように思うんだろうか。
とにかく、ここで気弱な素振りを見せてはいけない。
俺はいかにも自信ありげな雰囲気を漂わせ話を続けた。

「誰も新しい布切れを、古い服のつぎ当てに使ったりはしません」

「そのつぎ当てが、古い服を破ってより破れがひどくなるからです」

これは、何の事を言ってるのか何となくわかる気がする。
つまりあなたたちパリサイ人がやってる事は古いですよという事だろうか?
そうだとすると、イエスキリストも大した自信だ…。
そして小冊子にはまだ続きがある。

「誰も新しいワインを、古い皮袋に入れたりはしません。もしそんな事をしたら」

「皮袋は張り裂け、ワインもこぼれて皮袋も無駄になってしまいます。ですから」

「新しいワインは新しい皮袋に入れるべきです。そうすれば両方とも長持ちします」

これも、さっきのと大体同じ意味だろう。
け、けど遠回しに言ってるけど、目の前にいるパリサイ人に
こんな挑発的なこと言って大丈夫だろうか…?
周りも、心配そうに俺の事を見守っている。

「…」

静かな、緊迫感に包まれた空気の中
パリサイ人のリーダーらしき60歳ぐらいの男は、俺の事をじっと睨みすえている。
やがて、その男が口を開いた。

「ナザレのイエス。お前のやり方はあまりにも我々のものとかけ離れている」

男はそう言いながら、俺の前をゆっくりと左右に行ったりしている。
そりゃあ、俺は律法なんてきちんと学んだ事ないし、
どうやったらモレク教の広がる未来を防げるか
聖書の小冊子を攻略本みたいに使いながら、俺なりに一生懸命やってるわけで…。

「いつか、お前には神の罰が下るだろう。必ずな」

この時代の人ならパリサイ人にこんな事を言われたら縮み上がってしまうだろう。
しかし、未来から来た俺なら断言できる。
律法を全部きっちり守らなくったって、それで神の罰があったりはしないって。

「あの、律法もそんな堅く考えなくってもたぶん大丈夫なんです」

律法を絶対的なものとし、人々に振りかざすパリサイ人。
俺は彼らを説得しようと思った。

「何ていうか、教えにも絶対守るべきものと、場合によってはそうでないのも
あるんじゃないかっていうか…」

「例えば、異教を信じるなというのは殺人や姦淫が広がらないようにするためのもので。
それと比べて、お腹が空きすぎてついパンを取ってしまったとかいうのは、
そうでもないっていうか…。神は生贄よりも憐れみを求めると書いてますし」

殺すな、異教を信じるなという教えは定められた当時、
それを厳しく守らせなくてはいけない荒れた環境だったんだろう。
本物の神が定めたものなのか、
それとも当時の預言者が考えたものなのかは俺にはわかりようがない事だけど。

けど、目的はわかる。
教えを定めた誰かは、皆を悲惨な世の苦しみから守りたかったんだ。

「教えとは具体的なものなんです。皆が苦しむ荒れ果てた世の中にしないための」

「ですので、殺人を犯したり異教を信じたりしない限りは、教えにそむいた事には…」
「お前の言う事など信じられん。律法は絶対に守らなくてはいけない。さもなくば神の罰がある」

俺の話を遮ると、パリサイ人が意外な事を言い出した。

「それに、お前の言っている事は他教に攻撃的すぎる」

「いま我々は、モレク教や他の宗教との共存をはかろうとしている所なのだ」
「え…?」

まさか。神の教えに真っ向から反する異教と共存を…?

「あの、人を生贄に捧げる異教は神の教えに反しているんじゃ…」
「確かに。異教は邪悪な穢れに満ちておる。だが」
「…」
「信じたい者には信じさせておけばいい。異教を信じる者がどうなろうと我々の知った事ではない」

それじゃいけない。
世の中に邪悪を広める異教は、絶対に許しちゃいけない存在なんだ。

「穢れた者には穢れた神もまた必要なのだ」
「…」
「我々は、我々の神さえ信じればいい。他教の事に口出しはするな」

あのモレクの司祭と、同じ事を…。
うまく言いくるめられでもしたんだろうか。
それとも、もしかしてパリサイ人とモレク教団の間には、何か繋がりが…?
いや、それは考え過ぎだろうか。

「ふざけるなよ!」

その時、ヤコブが声を上げて立ち上がった。

「殺人や姦淫を広める異教を見過ごして、何が律法をちゃんと守れだ!」
「そ、そうですよ!あなた達の言ってる事は欺瞞です!」
「そうだよ!異教が広まれば、昔から言われてる通りになるんだからな!」

それに合わせるように、弟子達が次々に立ち上がり口々にパリサイ人を責める。
そして…。

「そうだぞ、この人達の言うとおりだ!」
「ちょっとパン失敬したぐらいで穢れ者扱いしやがって、ふざけるな!」
「神はきっと俺達だって愛して下さるんだ、俺はイエスの方を信じる!」

宴会場の全員が、立ち上がってパリサイ人を糾弾したり
食べ物を投げつけたりし始めた。

「…」

色んな物が雨あられと降り注ぐ中、じっと俺を睨みすえる
パリサイ人のリーダーらしき男。

「ナザレのイエス。お前は我々の敵だ」

「いつか、必ず後悔する事になるぞ…」

そう言って、その男は振り返るとマタイの家の玄関へと向かった。
男の弟子達もその後を追う。
パリサイ人達が出ていってしまうと、宴会場からは大きな歓声があがった。

「イエスはん、すんまへん、うちがうかつでした…」
「いや、大丈夫。マタイは悪くないよ」
「ええ、そうですよ。悪いのは向こうですよ」

人々に律法の権威を振りかざすパリサイ人。
俺は今後、この人達との間で様々なトラブルを抱える事になるのだった…。
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