38・汚された神殿

文字数 5,879文字


「お姉ちゃーん…お父さんと、お母さんはー…?」

「今…迎えに来るから…」

「そう…」

「…」

「いつー…?」

「…」



「…ダビデの子」


「ホサーナ…」










エルサレムの神殿――――――


「いつも商売の許可を頂き、ありがとうございます。これは売り上げの一部です。お納めを」
「ああ、これはモレクの司祭どの。いつも済みませんな」
「いえいえ、こちらこそ…」

「パリサイ派の教導師の方々も、心がお広い。仕える神が違う立場であるのに」
「いや、立場は違えど、モレクの司祭どのはその神に大いなる祝福を受けておられるようですから」
「信仰のあり方は違えどお互いに協調し合える…と、モレクの司祭どのは仰ってましたな」
「ええ。ご理解頂き、感謝しておりますよ」

「…確かに、律法にどうしても馴染めない落ちこぼれの輩はおる」
「しかし、そのような者にもまた違った神が必要…でしたな」
「そうです。欲望を抑えるのではなく、開放させる神もまた必要な者もおります」

「私は多様な神の存在が、多くの人を救い繁栄をもたらすと考えております」
「確かに、繁栄のソロモン王の時代はそのような状況だったとありますな」
「ですので、神や信仰の立場を超えた協調…これこそが重要だと私は思っていますよ」
「ええ、モレクの司祭どのの仰る通り」

「モレク教は律法から外れた者の受け皿、というわけですな」
「これからもお願いしますよ、モレクの司祭どの」
「ええ。それでは私はこれで」


「仕える神は違うが、話のわかる男だ」
「そうだな。信仰のあり方は違えど分をわきまえ、我々に協力的だ」

「それに比べて、ナザレのイエスというあの男は」
「自分だけが正しいと言わんばかりに。何が新しいワインを古い皮袋に入れるなだ」
「そうだ。あの男は我々を含め全てに攻撃的だ」
「片田舎でちょこちょこやってる内はいいが、これ以上我々の目障りになるようだったら…考えないといかん」




「…はぁ」

俺は今、弟子達と一緒にエルサレムの賑やかな神殿の市場に
気の進まない足取りで向かっている所だった。

やれる所までやってやろう、と決意してみたのはいいものの。
面倒そうなエピソードは後回しにしてきたツケで、
残りのエピソードはこなすのにあまり気乗りのしないものばかり。
せっかくその気になったってのに、気力が削がれていく…

「本当、いつ来ても賑わってますねー、エルサレムって」
「イエス、今日はここで何をするの?」
「ねーねー、教えてよイエスさーん」
「うん…ちょっとな…」

これから俺は、
エルサレムの神殿近くの市場で大暴れしなくちゃならないんだ。

小冊子にはこうある。
犠牲用の羊などをエルサレムの神殿のそばで売る店に対し
イエスキリストは不浄な商売で神殿を汚すなと激怒しそれらをめちゃめちゃに破壊したという。

…イエスキリスト。あんたちょっと怒りっぽ過ぎやしないか。
ちょっとぐらい神殿の周りで商売してたって、いいじゃないか…
店を壊された人も、かわいそうに…けど、やらなきゃ未来が変わってしまうし。

そんなわけで、俺は気乗りのしないまま今日はここにやってきたというわけだった。
はぁ、弟子達の前だし、暴れる時は加減しながらやろっと…
書いてる事が変わらないか小冊子をチラチラ見ながら、
その辺を杖でコツンコツン叩くぐらいから始めて…

「教導師さまー」
「今日は、教導師さまー」
「おお、よーしよし…」

その時通りかかった広場に、
大勢の子供が周りに集まった一人の立派な身なりの男の姿が見えた。
あの男は…

「むっ…」

その男は、俺と弟子達に気づいてこちらをにらみ付けてきた。
あの男だ、マタイの家での宴会の時に闖入してきたパリサイ派の中で1番偉そうだった男。

「ふん!…おお、よーしよし…」

パリサイ派のその男は、子供みたいにそっぽを向くと
再びいかにも優しそうな表情を浮かべ、周りに集まっている子供たちの頭を撫でた。

「むーっ…イエス様、行きましょ?」
「べーっだ」
「いーっ、だ」
「嫌やわぁ、あん時の事覆い出すわー…」

弟子達もにらみ返したり、舌を出したりして。
俺達はその男を避けるようにして広場を通り過ぎた。



「はぁ…」

エルサレムの神殿の周りにある、
目の前に並んでいる、羊や鳥、子牛などを売る店の数々。

俺は、特段憎くもないそれらを相手にこれから大暴れを演じなくてはいけないんだ。
おまわりさんに、捕まらないだろうな。
未来なら器物損壊で、俺は立派な犯罪者…

その時、妙なものが目に入った。
鳥や羊を売る店に混じって、同じように店先に子供が縄で繋がれ並べられ。

弟子達より、ずっと年若い男女の子供達。
中には、お姉ちゃんらしき子に手を繋がれた3歳ぐらいの女の子も居たりする。
みんなボロ布のような服をまとい、一様に虚ろで生気のない目をして…

あれは…?
気になった俺は、弟子達に聞いてみた。

「なぁみんな、あれは何だ?あんな縄で繋がれてかわいそうに…」
「ああ、あれね…。あれは、親に売られた子供だよ」

アンデレの一言に、俺は耳を疑った。

「貧乏で、育て切れない親がああして子供を売るんだ」
「ほんま、ひどい話やなぁ」

売られた…?
も、もしかして、親に金で売られたってのか?あの子たち?

「本当に、かわいそうって言うか…」
「そうでありますね…」
「前はひっそりとだったけど、最近だんだん大っぴらになってるらしいし」
「そ、それで、売られた子供はどうなるの?」

気になった俺は弟子達に聞いた。

「お金持ちの農場で、働かされたりとか…」
「あと…」
「…」

みんな、黙りこくった。
俺は嫌な予感がした。

「…生贄の儀式に、使われたりとか」

…何だって?あの子達生贄の儀式に使われ…?
それに、人を生贄にする儀式がまだどっかで行われてるってのか?

俺がこの辺りからモレク教を一掃し、神に人を生贄にするなんて残酷な儀式は
どれだけ世の中に害をもたらすか、多くの人々にさんざん言って聞かせてきたってのに。

「イエスが言ってるのに、けっこうぽつぽつ行われてるって噂だよ?雨が少なくて作物が不作だったりしたら…」

そして、俺は次のアンデレの一言に衝撃を受けた。

「私達の信者の中にも、こっそり参加してる人も居るって聞くし…」

まさか…?
俺の信者の中にも、生贄の儀式に参加する者が?

「本当、イエス様が普段あれだけ仰ってるのに」
「でも、仕方ないのかも。向こうも神様だし」
「ちょ、ちょっとアンデレ…」

俺の表情を見たペテロが、アンデレをいさめる。

…。
あれだけ、言ったのに。
あれだけ、言ったのに…!

「イ、イエス様?」
「ちょっと、どうしたのイエス?」

俺は、その子供達が売られている店へ
ズカズカと大股で向かって行った。

「さ、もう大丈夫だみんな」

俺は縄で繋がれたその店の、
20人ばかりの子供の縄を次々に解いていった。

「行くとこがないなら、俺の所に来ればいい」

そして、その子達の縄を解き終えて。

「さ、行こうみんな」

子供達は、しばらく何が起こったのかわからない様子でポカンとしていた。
しかし…

「…ウッ、ウッ」
「うわぁ~…ん…グスッ…」

今まで心細かったんだろう、幼い子供達が声を上げて泣き始めた。
俺はそんな子達の背中を促すように押して。

「さぁ行こう、もう大丈夫だ。これからみんなでガリラヤへ」
「ちょっとちょっとあんた!何をやってんだ、その子達はうちの売り物」

その時、店の主人らしき男が俺に話しかけてきた。

「うるさい!」
「うわっ!」

俺は、杖を思い切りその店の柱に打ちつけた。

向こうでは、パリサイ派の男がいかにも保護者のように子供達の頭を撫で。
その目と鼻の先ではボロを着た子供が奴隷として、生贄用として売られ。
よりにもよって、人々に義の道を説くための神殿の目の前で。

あまりにも。
あまりにも不条理で、異質で、いびつに歪んだ…!

「…神殿の。神殿の周りで」

「神殿の周りで、こんな汚らわしい商売をするんじゃない!」

何という、未来の常識との乖離。埋められない、この時代と俺との根源的な差。
俺は上手く整理のつかない、わけもない怒りに突き動かされ
杖を振り回しその店を目茶目茶に破壊し回った。

「おい、何をしてるんだお前!」
「やめろ!」

「黙れ!」
「うおっ!?」
「あぶなっ…」

騒ぎを聞きつけ、周りの店から商売仲間らしい男達が俺の方に走ってくる。
俺は杖を大きく振り回し辺りの人間を威嚇し。

「な、なあお前、一体どうした?」
「そうだ、俺達は神殿の許可のもとで商売してるんだぞ?神殿に逆らう気か?」

神殿のパリサイ派もこいつらも同じだ、
こんな汚らわしい商売の許可なんてして、見ても止めもしないで…!

小冊子には何と書いてたっけ。
そうだ、強盗の巣だ。この時代の貧しい人達のどうしようもない事情に付け込んで。
子供の命をお金に代えさせ、それを何とも思わない連中ばかり。まさに強盗の巣。

「…『私の家は、祈りの家と唱えられるべきである』、と書いている」

「それを、お前たちは強盗の巣にしてるんだ!」
「う、うわっ?」
「やめろーっ!」

俺は杖を振るって周囲の鳥や羊を売る店々の鳥を解き放ち、
羊を繋いでいる縄を解いて追い散らし、店を破壊し集金箱をひっくり返し…

「イ…イエス様…」
「イエス…」
「い、イエスさん…?」

弟子達と売られていた子供達は、
そんな俺を呆然とした表情で見守っていた。






「ふぅ、いってー…」
「だ、大丈夫ですかイエス様…」
「イエス、派手に暴れたねー…?」
「あー、俺もちょっと派手にやり過ぎたかも…」

それから、20分ばかり後。
俺は神殿を挟んだ市場とは反対側の庭園の片隅に腰を下ろしていた。

「タンコブ、大丈夫?イエスさん」
「痛そうだね、イエスさまー…」
「ああ、大丈夫…」

頭にできたタンコブが、ズキズキする。
あれから俺はとうとう大勢の商人集団に囲まれ、
市場から乱暴にたたき出されてしまった。

…冷静になってみると、俺もちょっと我を失いすぎてたと思う。
あんな光景を目の当たりにして、つい…。

「…たんと、お食べ…」
「本当、よく食べますね。ほら、もっとゆっくり噛んで」
「よっぽど、お腹が空いてたんやなー」
「慌てなくても、食べ物は十分あるであります」

俺が追い散らした売り物の動物達で、向こうの市場は大混乱。誰も俺達を追っては来ない。
俺はとりあえず弟子達に適当に食べるものを買ってこさせ、
売られていた子供達に食べさせていた。

「みんなこれから一旦ベタニアに向かって、それからガリラヤに行きますからネー?」
「ガリラヤは、とってもいいとこなのだ!」
「ひゃー…その前にお前達、川かどっかで汚れ落とさなきゃなー」
「はぁ。せんせーも物好きだなー」

弟子達は兄弟姉妹の多い子が多いせいか、
小さな子達の扱いには慣れてるようだった。

それよっか。ガリラヤについたらこの子達の住む適当な建物を購入しなきゃ。
そして診療所の手伝いや手の足りない農場で働いてもらったりして手に職をつけさせ
あと、売られそうになってる子が居たら俺に相談するよう信者の皆に伝えて…

「おおあんた、有名な救いの御子イエスさんじゃないか!」
「俺、目が悪いんだ、あんたの力で治してくれよ…」

…はー、全く。人があれこれ頭を悩ませてるこんな時にも。
俺は何だか脱力感を感じつつも、その人達に触れてやる。
それだけで、人々は治った治ったと大喜びし…

「さて…。それじゃみんな、そろそろ行こう」
「あ、はい!じゃあみんな、行きますよー」
「遅れないようについて来いよー?」

そろそろ行かなきゃ。
あんまりグズグズしていると、店をめちゃめちゃにされた連中が
怒りに燃え復讐のために俺を探しに…

「…ホサーナ、ダビデの子」

出発しようとした時に、子供達が皆こんな事を呟きだした。

「…ホサーナ、ホサーナ」
「…ホサーナ、ホサーナ!」
「ホサーナ、ダビデの子!」

ホサーナとは、正確に訳すとお救い下さいという意味。
ダビデの子ホサーナとは、ダビデの子よお救い下さいという意味だ。
けれど実際的にはダビデの子万歳とかワッショイとかいう感じの
お祭りの時の掛け声に使われる言葉。
みんなお腹が膨れて、元気になった証拠だろうけど…

「わかった、わかったから行くぞ、な?」
「ホサーナ…ホサーナ!」
「ダビデの子、ホサーナ!」
「お前達、お祭りじゃないんだからなー?」
「まぁまぁ、賑やかでええやないの」


「…あの男め」
「我々の許可の元商売する店々を、滅茶苦茶にしておいてからに」
「ダビデの子、などと呼ばれて浮かれおって。思い上がりも甚だしい…」

その時、建物の影からじっとこちらを覗く視線に俺は気がついた。
あの、パリサイ派の偉そうな男とその仲間達…?
みんな、怒りとも何とも言えない感情の入り混じった表情でこちらを見て。

「…ナザレのイエス。その子達が何と言ってるか聞こえているか」

その前を通りかかった時に、パリサイ派の偉そうな男が俺に話しかけてきた。
あ、えーっと、イエスキリストは何か言うんだっけか…
俺は小冊子を開いた。

「…そうだ、聞いている」

「あなた方は『幼な子、乳飲み子らの口に賛美を備えられた』と書いてあるのを読んだ事がないのか」
「…」

小冊子に書いてある通りの言葉で返しながら
俺はホサーナホサーナと騒ぐ子供達を引き連れ、
こちらをにらみ付けるパリサイ派の男の前を通り過ぎ。

そうしている内に先ほど俺が触れた人々やそこらの人や子供達も俺達に加わって。
なんだか、だんだんお祭りみたいになって…


「ダビデの子、ホサーナー!」
「ホサーナ、ホサーナ!ダビデの子ホサーナ!」
「ダビデの子ホサーナ、ホサーナ!」
「ホサーナ、ホサーナー!」
「はぁ、タンコブに響く…」
「まるで、本当のお祭りですねイエス様ー?」
「ふふふっ…ダビデの子、ホサーナー!」
「ダビデの子、ホサーナー!なのだー!」

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