50・ユダの裏切り

文字数 2,016文字

それから、
ずい分と長い間沈黙が流れた。

弟子達は、みな静まり返り
息を詰めてユダを見つめている。

…ユダ。
出来るなら、こんな事したくはなかった。
けど…。俺がこうして聖書にある通りにしなければ、後の歴史が…。

「…ふーん」

ユダは、しばらくの間俺を見つめていた。
それから鼻を鳴らしこう言った。

「いいカンしてるじゃない、せんせー」

彼女は、
俺達の前をゆっくりと行ったり来たりする。

「確かに、パリサイ派のお偉いさん達に言われたよ。せんせーを裏切れば」

「銀貨30枚、支払おうってね」

ユダがそう言った瞬間、
弟子達の何人かが息を飲む音が聞こえた。

…小冊子に書いてあった通りに。
ユダは俺を裏切って、たぶんパリサイ派にある事ない事言って。
それで俺は引っ立てられ、裁判にかけられ、そして…

「…けどね」

その時、ユダが意外な事を言った。

「僕、断ったよせんせー」

…。
どういう事だ…?

「あいつらの言う事なんて、聞くわけないじゃん。どうしようか迷ったけどさ」

書いてある事と違う。
小冊子によれば、ユダは銀貨30枚で俺を裏切りパリサイ派に引き渡すはず。
これは、少し歴史が変わってしまってるというのか?

思い当たる事が、ないわけじゃない。
今までも、小冊子に書いてあるのと実際に起こる事に
食い違いがある場面が何度かあった。

そもそも、12使徒が全員女の子の時点で
本来の歴史とは異なっているわけで…
歴史が、本来のと変わってるのか?もしかして、俺がこの世界に転生した影響で?

「時々、せんせーが憎たらしい時もあるけど。なかなか僕を一番に選んでくれなくって」

「けど僕、せんせーを裏切るなんて、そんな…」

弟子達の中で、誰よりも一番になりたがりのユダ。
時々の俺に反発するような態度は、その気持ちの裏返しなんだろう。

ここにいるユダは、金のために俺を裏切るような子じゃない、
本当は優しいいい子だっていうのは、よーくわかってる。

…けど、ユダ。
それじゃ駄目だ。駄目なんだ。

「そういうわけで。僕が裏切りものってのは取り消してよせんせー」

そう言ったユダを、俺は無言で見つめた。

「…どしたのさ。僕、せんせーを裏切ってなんか」

俺は、なおもユダを見つめる。
溢れ出しそうな涙を、こらえながら…

「…違う。違うって。僕は」

「僕は、せんせーを裏切ってなんかない!」

絶叫するようにそう言ったユダを、
俺はなおも無言で見つめる。

「…ああ、そう」

そう言うと、
ユダは顔に凄んだような笑みを浮かべた。

「よーく、わかったよ。僕が邪魔って事なんだね、せんせー」

違う。違うんだ。
俺はこんな事、やりたいわけじゃない。
けどこうしないと、未来が、みんなが…

「見損なったよ。せんせーがそんな人だとは思わなかった」

「今日限りだね。もう僕は、あんたの…あんたの弟子なんかじゃない!」

ユダは声に涙を滲ませ、
部屋から走り出ていった。

俺も、目から涙が溢れ出す。
…たぶん、俺がもっと賢かったら。
この状況を上手にコントロールできるような、何か方法を見つけ出せていたら。

…済まない、ユダ。
本当に、本当に済まない…


「…」
「…」
「…」

周りはみんな、静まり返って俺を見つめている。
俺が、まるで酷い仕打ちをしたようにみんなの目には映ってるだろう。
俺が無実のユダを、そう追い込んだかのように…

「…みんな」

俺は、みんなに一つ頼みごとをする事にした。
歴史が変わってしまわないだろうか。
…いや、これは単なる罪滅ぼしの願い事だ、
歴史の収束力の方が勝るというなら、それまでのこと…

「伝えてくれ。ユダに…」










「…さぁ、みんな」

それから俺は、小冊子にある通りに
パンを手に取ってそれを裂き、弟子達に渡しながら言った。

「取って食べなさい。これは私の体である」

それから同じように、
ワインを人数分カップに注いで。

「みな、この杯から飲みなさい。これは罪の許しを得させるようにと」

「多くの人のために流す、私の契約の血である」

弟子達は、俺の言葉をみな静かに聞いている。

「あなた方に言っておく。私の父の国であなた方と共に、新しく飲むその日までは」

「私は今後決して、ぶどうの実から造ったものを飲むことをしない」

俺が小冊子にある言葉を皆に聞かせる内に、
弟子達からすすり泣きが聞こえてくる。

俺も、つい言葉が詰まる。
みんな…。天国で、会えたらいいな。
俺はともかく、みんなとてもいい子だ。だから、きっと天国に…

その時、弟子達の誰からともなく
賛美歌の歌われる声が聞こえた。

やがて、それに一人一人が加わり始め。
そして、最後の晩餐の席は
弟子達の、静かで清らかな歌声に包まれていった…


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