31・右と左に座るのは

文字数 4,403文字

「イエスさん、ちょっと聞いてくれ!」
「ん?」

ある日の午後。
一日の活動も終わって、皆で俺の家でのんびりしている時。
そこに、ヤコブが一人の年配の女性を連れてきた。

「今日はー」
「あ、今日は…ヤコブ、この人は?」
「オレとヨハネの母ちゃん!」
「うん、お母さん!」
「初めまして。サロメですー」
「あ、ヤコブとヨハネのお母さん、どうも…」

「ヤコブとヨハネが、いつも世話になってー」
「あ、い、いえ、こちらこそ」

少し太っちょで、威勢がいい感じで。
気のいいお母さん、といった感じの人だ。

「あら。あんたずいぶん男前ね。アハハハ」
「あ、いえそんな、あははは…」

親しみ溢れる雰囲気が、何だか親戚のオバさんみたいだ。

「それで、俺に何か…」
「そうそう、この子達に頼まれてね」
「え、何をですか?」

「もし、いつもあんたの言っている神の国が実現したらね」
「はい」
「娘のヤコブをあんたの右に、ヨハネを左に座らせてくれないかい?」
「え、ちょ、ちょっとそれは」
「いいでしょ?イエスさん!」
「ね?イエスさま!」
「ちょっとーヤコブ、それにヨハネ!」

俺の左右に座らせるというのは、
神の国で俺に最も近い場所に置いてくれという事だ。

「な、ひっきょーな…お母さんを使うなんてさー」
「その様な方法で神の国でのイエス先生の隣の座を得ようとは。感心しませんね」
「あらー、ヤコブはんとヨハネはんも、思い切った手に出たもんやなー」
「1番は僕なのに。無駄な事するなぁ」

まさかヤコブ、それにヨハネ、お母さんを使ってくるとは…。
弟子達からはブーイングだ。
それもそうだろう、子供のケンカに親が出るみたいなもんだろうし。

「い、いえ、そういうのはちょっと、決められないっていうか…」
「あらー、いいじゃないのー。ねーアンタ達?」
「う、うん、イエスさん、ダメ?」
「お願い、イエスさまー…」
「ほら、ちょっと約束してくれるだけでいいからさ。ね?」
「え、いや、その…」

ヤコブとヨハネのお母さんはグイグイ押してくる。
さすがは、ヤコブのお母さん…。
娘が可愛くって仕方ないんだろうけど。

「ちょっとヤコブにヨハネ、イエス様を困らせないで下さい!」
「そうだよ。イエスだって迷惑してるよ?」
「迷惑だなんて。イエスさん、そんな事ないよなー?」
「そうだよー!ねーイエスさま?」
「ヤコブさんにヨハネさん。イエス先生に選ばれるには普段からの行いで…」
「バルトロマイ殿のいう通りであります!」
「みんな、真っ当に頑張ってるんデースヨー?」

まずい、弟子達のケンカが始まりそうだ。
え、えーと、イエスキリストが二人をなだめるやり方とか小冊子に書いてなかったか?
…お、丁度ピッタリなのが。

「…あなた方は、自分が何を求めているのかわかっていない」
「えっ…」
「イエスさま?」
「私の飲もうとしている杯を、飲むことができるのか」

なるほど。がっつり叱るんじゃなくって、
お前達、俺の苦労を肩代わりする事ができるのかとやんわりと諭すような言い方で…

「え、う、うん。イエスさん何か飲むの?それを飲んだらいいんだね?出してよ!」
「ヨハネも飲む!」

いま一つ、通じてないな。
えーと、続きは…。

「確かに、あなた方は私の杯を飲む事になるだろう。しかし私の右、左に座らせることは私のする事でなく」

「私の父によって備えられている人々だけに許されるのである」

うん、これはいい。神の国で俺の左右に座らせるのは
俺が決める事じゃなくて神が決める事ですよと言えば二人とも納得するな。

「そう…なんだ」
「イエスさまにも、決められないの…」

がっくりと肩を落とす二人を見て、
俺はちょっと可愛そうな気持ちになった。

「そうですよ、ヤコブにヨハネ。だいたい、お母さんは関係ないじゃありませんか」
「そーだよ。何にも関係ないお母さんを使ってー」
「い、いいじゃんか別に…」
「全く反省の色が見えませんね…」

「罰として、ヤコブとヨハネは神の国に入国禁止だねー」
「な、何でだよ!」
「やだ!」
「当然でしょう。イエス先生のお側に邪な心の持ち主を置くわけには行きません」
「ば、バルトロマイはんがそれを言うかなぁ」

「もう二人とも、イエス様を困らせて!」
「そーだよ。どーこが1番の弟子なのさー。ちょっとは反省してるー?」
「…お母さんも、お忙しい中…」
「これは、イエス先生にうんと叱って頂きましょう」
「ズルいのはいけないのだ!」
「そうであります!」
「な、何だよみんな!そこまで怒る事じゃ…」
「ま、まぁ待て待てみんな、えーっと」

俺は慌てて小冊子を開いた。
皆を鎮める何かいい言葉とか書いてないか?
お、続きに丁度いい所が。俺はそれを読んだ。

「…あなた方の知っている通り、異邦人の支配者達はその民を治め、
 また偉い人達はその民の上に権力を振るっている」
「え、うん…」
「そうだよね…」

この辺じゃそんなに見かけないけれど、
この時代のこの地域はローマの支配下にある。
エルサレム辺りだと金髪のローマ人がチラホラと居たりする。

比較的穏やかな支配とはいえ、
やはりそれはこの地域の人達の心にどこか影を落としている。

「あなた達はそうはあってはならない」

「かえって、あなた達の中で偉くなりたいと思う者は仕える人となり」

「あなた達の間でかしらになりたいと思う者は、しもべとならなくてはいけない」

俺が読み上げる小冊子の言葉を、弟子達は静かに聞いている。
二人、とくにヤコブはバツが悪そうに下を向いている。

「それは人の子が来たのも、仕えられるためでなく仕えるためであり」

「また多くの購いとして自分の命を与えるためであるのと丁度同じである」

ん?じ、自分の命を与えるって、たぶんイエスキリストの最後の事だよな?
言い切ってしまって良かったんだろうか、それをどうやって切り抜けるか
まだちゃんと考えてないのに。

「…そうですよ、ヤコブにヨハネ。イエス様の言った通りです」
「ああ。イエスはみんなのために身を削って働いてるんだから」
「イエスはんの1番の弟子になりたいなら、皆のために働きなさいという事やねぇ」
「…わかったよ」
「うー…」

皆に諭されて、二人ともわかってくれたようだった。

「あの…。ごめんイエスさん。オレ、自分の事ばっかり考えてた」
「ヨハネも…」
「いや、二人ともわかったならいいよ」

何とか、丸く収まったようだ。
俺がそうひと安心した時に。

「そうなの。決められないってんならしょうがないね」
「ええ申し訳ありません、こういうのは俺が決める事じゃなくて」

ヤコブとヨハネのお母さんがこう言い出した。

「じゃあ、代わりに」
「ん?」

「ヤコブかヨハネ、どっちを嫁に貰うか決めてちょうだいよ」
「は!?」
「な、か、母ちゃん!そ、そんな事…」
「イエスさまのお嫁さんに?うん、なる!」
「ちょ、ちょっと!ヤコブのお母さん!」

「私、あんたの事気に入った。言う事しっかりしてるし男前だしね」
「ちょ、い、いやそのそっちの方が余計困るっていいますか、特にヨハネなんてまだ子供…」
「ほら。あんたたちもこの人の事好きなんだろ?」
「あ、い、いや、その、オレ…」
「うん、大好き!」
「もう、やめて下さい!イエス様は、そ、その皆を愛されますから、誰かをお嫁になんて…」
「ヤコブも、断りなってー!赤くなってないでさー」
「わたしのイエス先生に何と不埒な発言を。…これ以上言わせません!」
「お、抑えなバルトロマイはん!」

「ほら。男ならどーんと決めちゃって。いい子だよーヤコブもヨハネも」
「あ、あの、その、オレ料理とかあんま得意じゃないけど、イエスさんのためなら頑張る…」
「イエスさまー、いいふーふになろうねー?」
「い、いやまだ二人とも早すぎるから、いやここだとそうでもないのか、いやとにかく」
「イエス様は、誰かをお嫁になんてしません!」
「そうだよ!二人じゃ、イエスに釣り合わないよー」

「と、とにかく、俺は結婚はまだ考えてません」
「…そう、なんだ」
「えー?ヨハネ、イエスさまのお嫁さんになりたい!」
「まだって事は、将来どっちか貰ってくれるのかい?」
「い、いえそういう事じゃなくて、けど今はちょっと伝道を優先したいっていうか…」

俺はあせりながら、ヤコブとヨハネのお母さんの申し出を二人を傷つけずに断ろうと必死だった。
イエスキリストの生涯をたどり終えた後ならともかく、
今の段階で弟子と結婚なんてしたら、未来が…。

「そうです。イエス先生の運命の相手は、このわたしです」
「いーや、僕だよ。ね?」

そうやって四苦八苦している所に、バルトロマイとユダが騒ぎに参加する。
そうなると、残りの弟子達も…。

「オウ、抜け駆けはダメですヨー?わ、ワタシもお嫁さんに立候補しマス…」
「い、イエス殿はどういった人がタイプでありますか…」
「…イエスたん、あたしは?…」
「じゃあ、タダイもお嫁さんに立候補なのだ!」
「アタイも!イエッさん、幸せにするよー!」
「えーい、どさくさ紛れや。イエスはん、うちも立候補やー!」

みんなふざけ半分なんだろう、次々に嫁候補に立候補し
さらに騒ぎに拍車がかかる。

「だーかーら、みんな、イエス様は誰かをお嫁になんて考えてません!」
「いーや、ペテロはんわからんでー?」
「そ、そうだもしかしたらイエスさん、例のマリアさんと…!」
「イエスさま、そうなのー?」
「あらら大変だねー、ヤコブにヨハネ。ライバルが多くって」

「違うから!とにかく俺はまだ結婚とか考えてないから、それにみんな弟子なんだから」
「皆さん、イエス先生は渡しませんからね!」
「タダイも負けないのだー!」
「アタイだって!」
「…あたしも頑張ろっと、うふふ…」
「せやねぇ、これはうちも頑張らな!」

何とか騒ぎを鎮めようとするけれど、全然効果がない。
これを、一体どうしたらいいんだ…。

「あ、あなた達の知っている通り、異邦人の支配者はその民を…」
「イエス様は、皆を救うことしか考えてませんから!だ、誰かと結婚だなんて、そんな…」
「じゃあ、ペテロとも考えてないって事だねー」
「うぐっ…」
「イエスさま、いつかお嫁さんにしてね?」
「イエスさん、あ、あのオレ、イエスさんがいいなら…」
「あーもーヤコブ、キモイから!」




それから数日後。

「…」
「ん?どうしたヤコブ」
「…ん、あ、い、いやその、何でもない!」
「ヤコブ?」

しばらくの間、ヤコブは様子がおかしかった。
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