25・奇跡あれこれ

文字数 6,143文字

「ふっふっふ…」

「い、イエス様!?こ、これは!?」
「イエスが水の上に立ってる!?」
「ど、どうなってるの!?」
「不思議だねー」

俺は今、船に乗った弟子達の目の前でガリラヤ湖の水の上に立っている所だ。
なぜそんな事をしているのかというと、例の聖書の小冊子に
イエスキリストは、水の上に立つ奇跡を起こし弟子達を驚かせたとあるから…。

「…イエスたんは、やっぱり普通の人とは違うんだね…」
「ああ、やはりイエス先生は神から特別な力を授けられた方…」
「ああ、そうかも知れんねぇ」

タネを明かせば、何て事はない。
木で細長い足場を組み、それにちょっと見ただけじゃわからないよう
黒いタールを塗って誰も見ていない時に湖に沈め、その上に立っているだけだ。
旅に出る前に大工をやっていた俺だ、そのぐらいの工作は何て事はない。

「ペテロ、ペテロも歩いてみるか?」
「え?わ、私もですか?」
「ああ。大丈夫だって。ほら、来てみな」
「じゃあ…」

俺にうながされ、ペテロは恐る恐る…といった感じで船から身を乗り出し
湖の水面に足をつけた。

「わぁー…」
「すごい、ペテロも水の上に立ってる!」
「ねぇねぇ、どんな感じ?どんな感じ?」

今は夕暮れ近くだから、余計に水中の足場は見え辛いだろう。
それに、弟子達は俺の事を不思議な力を持っていると信じているから
多少何かの違和感があったとしても、きっと特に何も言わずに…。

「ほら、大丈夫だろ。ここまで歩いてみ?」
「は、はい!」

ペテロは一歩一歩、恐る恐るといった感じで俺の方に近づいてくる。
しかし…。

「あっ…」
「きゃーーっ!?」
「あっ!ぺ、ペテロ!」
「大変だ、ペテロが!」

どうやら足場を踏み外してしまったらしく、ペテロはザブーンと
湖に沈んでしまった。

「はぶっ!ごほっ…」
「ほ、ほらペテロ、つかまって!」

船に乗っていた皆がペテロに手を差しのべる。
大慌てでそれにつかまり引き上げられるペテロ。
俺も慌ててペテロの元へと向かった。

「だ、大丈夫かペテロ?」
「はぁ、はぁ…」

調子に乗って、ちょっとばかりペテロを危険な目にあわせてしまったかも知れない。
どうしよう、ペテロがスネて口をきいてくれなくなったりしたら?

「…イエス様」
「ああ、悪かった危ない目にあわせて…」
「イエス様、すごいですぅ!」
「は…?」

予想に反し、
ペテロは目を輝かせて俺を尊敬の目で見つめてくる。

「私みたいに、普通の人なら水の上を歩いたりできません。けど」
「あ、ああ」
「イエス様が示されるなら、私だって水の上を歩くことができる…」

スネるどころか、ペテロは何やら感嘆した様子で語る。

「そして私が水に沈んだのは、イエス様を信じる気持ちが足りなかったから…」

「そういう事を、仰りたかったんですね?」
「え?あ、う、うん…?」
「さっすが、イエスだねー!」
「うーん…。イエスさんの教え方は深い…」

ま、まぁとにかく良かった、ペテロが何とも無くて。
その他にも小冊子に載っているイエスキリストが起こした奇跡のエピソードは
数々あるが、俺が何とかして再現しなければならない。
さもないと小冊子の内容が変わり、下手したら未来も変わってしまうからね…。

そしてどうやら、奇跡を再現するのは小冊子に載ってる順番通りじゃなくていいようだ。
実は俺は、最初の方にあるイエスキリストは荒野で40日断食して過ごした、
というエピソードを大変そうだからと、すっ飛ばしているのだが…。
今のところ小冊子に暗黒に変わった未来の記述も出ていない。

どうやら、いずれやらなきゃダメにしろ後回しでもいいようだ。
たぶん、イエスキリストの生涯が後世に伝わる内に
エピソードの順番が入れ替わったり内容が少し変わったり…と、いった所なんだろうけど。

まあでも助かった。
大変そうなエピソードは後回しでも良くて。
それなら、小冊子に載っているエピソードで
再現しやすそうなのからこなしていこうか…。



「よーし、いいかな…。ペテロ、魚捕りの網を降ろしなさい」
「え?網を降ろすんですか?ここに?」
「イエス、そんな適当に網を降ろしたって魚は捕まらないよ?」
「おう、そうだよイエスさん。しかも今は朝だから余計に…」
「私たち元漁師だもん、漁の事は詳しいよー」

何日か後、俺はガリラヤ湖に船を浮かべ網で魚を捕ろうとしていた。
ただ捕るだけじゃ駄目、小冊子には網を引き上げたら大量に魚が…と書いてある。

もちろん、普通に網を降ろしたんじゃ大量の魚なんて捕れない。
なので俺は網を投げ込む少し前に細工をしておいた。
その、細工のお陰で…。

「どうだ…?」
「ん…?わ、わぁ!」
「すごい!?網に魚が、こんなに…?」
「こ、こんな魚が網にかかったの、初めて見た…」
「イエスさまこそ、ガリラヤ湖1の漁師になれるねー」

上手く行ったみたいだ。
俺が行った細工とは、撒き餌。
網を投げ入れる前に、パンを千切って丸めたのとかを
湖面にバラ蒔きあらかじめ魚をおびき寄せておいた。

この時代に、撒き餌をして魚をおびき寄せ捕るというやり方が存在してないから、
弟子達にはこれが奇跡的な出来事に見えるんだろう。
小冊子に、イエスキリストの指示で弟子達が湖に網を降ろすと
奇跡のように大量の魚が捕れたと、そう書かれてあるし…。

「あんまり大漁で、船が沈んじゃいそうですぅー!」
「こんなに食べきれないよー」
「余りは、近所の人とかに配ろうぜ!」
「そうだねー」

どうやら、上手く行ったようだった。
さて、次はどのエピソードをこなそうか。
そうだな、じゃ次はこれを…。


「ふっふっふ…」

「い、イエス様!?お顔が…」
「す、すごい、きらっきらに輝いてる!?」
「すごーい、ふしぎー!」

俺は今、とある山の頂近くでペテロ、ヤコブ、ヨハネの3人に
太陽を反射して光り輝く俺の顔を見せている所だ。

小冊子にはこう載っている。
山の上に3人の弟子達と登った時、イエスキリストの顔と衣が
弟子達の前で光り輝き始め…と。

「はぁー…。イエス様、すごいです本当に…」
「やっぱり、イエスさんって本当に神に選ばれた人なんだ…」
「すごい、すごーい!」

タネを明かせば、あの3人の高価な贈り物…。
その中のひとつの黄金を粉にし、金粉を作って
タイミングを見はからい顔や着ているものに振りかけたのだった。
弟子達はそんな事とは知らずに、完全にこれを神秘的な奇跡と信じ込んでいる。

「ああ、みんなにも見せてあげたいですぅー!」
「そうそうイエスさん、どうしてオレ達だけ選んだの?」
「そう、イエスさま、なんでー?」
「ん?い、いや特に深い意味は…」

なぜこの3人だけ選んで連れてきたのか。
それは、イエスキリストがこの3人を選んで山に連れて行ったと
小冊子にそう書いてるから…。
本来なら、何か深い意味があったんだろうか。

けどまぁ、弟子達の中でも特に純真なこの3人なら何の疑問もなく
信じてくれるから助かるといえば助かる。
例えばもし、利発なアンデレがここに居たなら俺が顔に金粉を塗ってるだけという事を
見破られていたかも知れない。

「特にアンデレ、連れてってもらえなくてショックだったみたいです…」
「うん、顔には出してないけど。あれは相当落ち込んでるね」
「アンデレ、かわいそう…」

そ、そうだな。
ここにいる3人に負けないくらい、俺の事を神に選ばれし救いの御子と
信じて疑わないアンデレ。
皆と同じく、一番最初の弟子のうちの一人。

歴史が変わらないよう小冊子の書いてある通りにしなきゃならないとは言え、
一人だけ置いてきぼりにされたらそりゃあ、傷つくよな。
帰ったら、何かフォローをしておかなきゃな…。



「ねーねーイエスー、あれ食べようよー」
「あ、ああ」

次の日。
俺は食料品や色々雑多な店の並ぶカペナウムの市を、
アンデレと二人っきりでぶらぶら歩いていた。

「うん!このイチジク、甘くっておいしー、ねーイエス?」
「うん、そうだな」

アンデレを連れてかなかったお詫びに、何かして欲しい事はないかと聞いた所
俺と二人っきりで町をぶらぶらしたいと彼女は申し入れてきた。
まぁ、そのくらいなら別に構わないんだけど。
ただ…。

「ぎぃーっ、アンデレうらやまし…いえ、それよりイエス様あんなにデレデレと…!」
「みんな、イエスが何か変な事しようとしたら、わかってるな?」
「うん!」

後ろの物陰やら何やらから、時折何か見覚えのある姿がチラチラ見え隠れし、
聞き覚えのある声が漏れ聞こえてくる。

「共闘ですね。皆さん、抜かりなく見張るよう」
「…イエスたんは、スケベだからねー…」
「うちはデートぐらい、別に構わへんと思うけどなー」

どうやら、弟子達全員がこっそり俺のあとをつけ様子を伺っているようだ。
バレバレなんだが…。

「にひひー」
「…」

そんなみんなの様子を見て、どうやらアンデレはご満悦のようだ。
よっぽど、置いてけぼりにされたのが悔しかったのか…。

「さーてイエス、次はあそこのお店見てみよ?」
「お、おいアンデレ?」

アンデレが腕を組んでくる。
その瞬間、物陰からきゃーという悲鳴が聞こえた。

「ふっふーん。行こ行こ?」
「あ、ああ…」

後ろをチラッと振り返り、にんまりとした笑みを浮かべるアンデレ。
案外、性格悪いところもあるもんだ…。
そうして、ひとしきり町の市場を見回ったあと。

「はー、楽しい。今日は最高!」
「そうか。そりゃ良かった。あの…」
「ん?どしたのイエス?」
「悪かったよアンデレ。あの3人を連れてくなら、当然アンデレも連れてくべきだったんだけど」

「けど、どうしても連れてけない事情があって」
「ううん、いいよ。何か理由があったんでしょ?イエスは…。私達にはわからない、何かを見て、感じてるみたいだから…」
「いや、まぁ何ていうかその…」
「それに、そのお陰で今日はこうやってイエスと二人で過ごせるもんねー」

ほっ…。
良かった、どうやらアンデレはこの前の事をそこまで根に持っているわけではないらしかった。

「けど、まぁ…」

不意にアンデレは後ろを振り向いた。

「そろそろ、いっか。みんな居るんでしょ?出といでよ」

そう彼女が言うと、一瞬遅れてあちこちの物陰から
弟子達全員がゾロゾロと現れた。

「イエスと二人っきりもいいけど。それじゃちょっとみんながかわいそうだもんね」

「あとはみんなで、一緒にイエスと過ごそうよ」
「アンデレ…!」
「お前ってヤツは…!」
「いいのー?」

「うん。私だけ楽しんでちゃ悪いもんねー」
「アンデレさん…」
「…優しいねー…」
「アンデレはんは、気遣いの出来る人やなぁー」

何だ、そんなみんなに気を使って。
いい子だ、アンデレ…。

「それじゃー、行きましょイエス様!」
「ねーねー、次はどこ行こっか?」
「あ、ああ」

ペテロとアンデレが、さも当然のように腕を組んでくる。
そして、それを見て…。

「あっ、ずるいぞお前ら!じゃあ、オレも!」
「ヨハネもー!」
「お、おいおい…」

ヤコブとヨハネも、負けまいと同じように腕にしがみついてくる。
さらに、残りの弟子達も…。

「皆さん、順番ですからね、順番」
「…じゃ、次はあたしだね…」
「ほなら、うちも甘えさせてもらおうかなぁ」

みんな、俺の服のスソをつかんだり何だりして。
動きづらいったらない。
まぁ、たまにはいいか…。
そしてその日俺は、くたくたになるまで弟子達に引っ張り回されたのだった。


こんな調子で、俺は聖書の小冊子に書いてあるイエスキリストの起こした奇跡を、
きちんと後世に伝わるように弟子達の前で演じていった。
純真な弟子達はそれを神秘的な出来事と心から信じ、周りにも吹聴する。
そして、その噂が人から人へと遠くまで伝わっていき、その結果…。



「イエス様、イエス様!」
「あ?あ、ああ」

カペナウムの町の郊外の、広い野原。
少し離れた所にいる俺の元に、ペテロがあせった様子で駆け寄ってくる。

「民衆が、イエス様のお言葉を聴きたいと騒ぎ始めてますぅ~!」

ペテロがあせるのも当然。あれから信者はさらに増え、
俺が話をするとなると広い野原を埋め尽くすほどになっていた。

「みんな、お言葉を聞かせて欲しいって口々に騒いでるよ?」

広い野原を埋め尽くす人、人、人…。
何だかめまいがしてきそうだ。

「早く、みんなにお言葉を聞かせてあげて?」
「そうだよ、そうだよ!」
「待たせちゃ可愛そうだよー、イエス様ー」

あれから、さらに弟子達も増えた。
トマス、アルファイの子ヤコブ、熱心党のシモン、その他数名…。
俺が声をかけて弟子になった子ばかりではなく、
気づいたらいつの間にかついてきた子もいた。
もちろんみんな美少女だ。

そして俺の話を聞きに来る信者も、そろそろ合計で1万人に達しようかという所だ。
この世界に転生し、未来がめちゃめちゃにならないよう布教活動を始めてはや3ヶ月。
今まで本当に色んな事があった。
まぁ、このまま歴史通りに順調にキリスト教が広まってくれたら、
この辺りにモレク教が広まる事もなく、未来も俺の知ってる通りに平和そのものに…。

「イエス様、イエス様?」

ペテロに声をかけられ、俺はハッと気がついた。

「どうなされました?」
「あ、い、いや何でも」

どうやら、俺はずい分と長い間回想をしていたようだ。
いけないいけない、ボヤッとしてちゃ。
俺はこれから、約1万人の迷える聴衆に話をしなきゃなんないんだ。

「ああそうそう、アンデレにフィリポ。食べ物の手配は?」
「うん、バッチリだよ」
「…準備は、万端…」

俺の元に集まる人たちの中には、貧しい人も結構いる。
そういう人達のために、俺はこの頃集まった聴衆に話が終わったあとに
食料の炊き出しをするようにしていた。
大勢の信者から寄付が集まるので、今ではいくら人に施しをしても余るほどだし。

「よーし。それじゃ行ってくるか!」
「はい、行ってらっしゃいイエス様!」
「頑張って、イエス!」

弟子達に送られ、俺は野原を埋め尽くす聴衆の前に立った。
その瞬間、大きな歓声が辺りを包む。

純真で、何でもかんでも神のしるしと信じこんでしまうこの時代の人々。
自力ではどうする事もできない病気や貧困、自然の脅威に対する不安のあまり、
何か頼るものを必要としている人たち。

この人達が赤ちゃんを生贄に捧げるような邪教に染まり、
平気で人を殺すようになってしまわないよう教えなくては。
それが、俺がこの世界にイエスキリストとして転生したために生じた義務だと思うし、
そうしないとキリスト教の代わりに邪教が広まり、未来が大変な事になっちゃうからね…。
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