52・裏切りの口づけ

文字数 1,867文字

ユダが、背後に大勢を引きつれその先頭に立っている。
人々は、手に手に剣や棒を携えていた。

彼らの持つたいまつの炎が、
赤々と辺りを照らし出す。

弟子達は、突然の出来事にまるで固まったように動かない。
けどそれでいい、下手に騒がれるよりは…

その時、ユダが一人すたすたと俺の前に近づいてきた。
そして、止める間もなく。

「んっ…」

俺は、ユダに唇を奪われた。
それを見た弟子達の間から、きゃあという悲鳴が漏れる。

「…ふふっ」

ユダは笑みを浮かべ、
それから俺の首に腕を回す。

「どう?せんせー」

優越感に浸った目で、ユダは弟子達を見回した。
まるで、俺を自分の物にでもしたかのような…

俺は、そんなユダを見つめて言った。
ユダを、こんな役割に追いやらざるを得なかった事に。
精一杯の、すまないという気持ちを込めて…

「…友よ」

「一体…。何のために来たのか」

そう言ったとたん、たちまちユダの顔が怒りに歪む。
強がりを見透かされているように思ったんだろう、
ユダは俺から身を離し手を上げた。そして、次の瞬間…

「あいつだ、捕まえろ!」
「神殿に逆らう反逆者だ!」
「民衆を惑わす、このエセ預言者め!」

ユダに率いられた大勢の人々が、
一斉に俺に向かって殺到してきた。

「イエッさん!」

その時、いつの間にかシモンが俺の前に立ちはだかり
向かってくる群集の一人に取り付き、腰の剣を抜き放って奪った。

「シモン!」
「うおらっ!」
「ぐあっ!?」

シモンに切りつけられ、
その男は方耳を切り落とされた。

「シモン、やめるんだ」

俺はシモンを制止すると、地面に落ちた耳を拾うと
切り落とされた男にくっつけた。

切り落とされてすぐの場合、
こうすれば元通りになるんだよな…。

しばらくしてから手を離すと、
切り落とされた男の耳は元通りになった。

「おお…」
「な、何という」

周りの人々は、これを見て恐れおののく。
そんなに大勢で乱暴に引っ立てに来なくても、
俺は大人しく捕まるのに。

俺は、シモンに言った。

「あなたの剣を、もとの所に収めなさい」

「剣をとる者はみな、剣で滅びる。それとも私が父に願って」

「天の使いたちを12軍団以上、いま遣わして頂く事ができないとあなたは思うのか」

イエスキリストの言葉通りに。
この状況を逃れようと思えば、この時代より強力な武装で固めた人々をここに配置して
対抗する事だって出来たんだ。けれど、それじゃ…

「しかし、それでは…こうならねばならないと書いてある聖書の言葉は」

「どうして、成就されようか」

俺の言葉を、
群集も、弟子達も静かに聞いている。
そう、聖書にある、イエスキリストの生涯を全うするにはこうするしか…。

それから俺は、手に手に凶器を携えて俺を取り囲む群集を見回し、
小冊子に書いてある言葉を語った。

「あなた方は強盗を捕まえるように、剣や棒を持って私を捕えにきたのか」

「私が毎日、宮で座って教えていた時には私を捕まえはしなかった。しかし…」

人々にこう言ってる間に、俺は後ろに回した手で弟子達に合図を送り
この場から逃げるように促した。

けれど、みんな戸惑うばかりで
なかなかこの場を離れようとしない。
頼むっ、みんな逃げてくれ、さもなきゃみんなも危ない目に…

「…行こう、みんな」

その時、
アンデレがそう言う声が聞こえた。

「け、けど…」
「大丈夫、イエスにはきっといい考えがあるんだって。今までもそうだったでしょ?」

いい子だ、アンデレ。
ずっと一緒だっただけはある、俺の心をちゃんと理解して…。

「みんな、信じよ?イエスの事…」

しばらくの間、沈黙があった。
それから…

「イエス様…!」
「行くよペテロ、ほら早く!」
「さぁ、みんなも!」
「あ、おい、弟子達が逃げたぞ!」

みんな、一斉にこの場から走り出したようだ。
そうだ、それでいい。

…これでお別れだ。
みんな、元気で…

「あっはっはっは…」

それを見て、ユダが、
いかにもおかしそうに笑う。

「みーんな、逃げちゃったね。ほーんと、薄情だね。あっはっはっは…」

俺はユダに、人々に
小冊子にある残りの言葉を語った。

「全て、こうなったのは」

「預言者たちの書いたことが、成就するためである…」

俺は、抵抗する意思がない事を示すために両手をあげた。
すると群集は俺の周りに殺到し、俺は取り押さえられ…



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