54・三度の否定

文字数 1,117文字

「イエス、様…」

私は、中庭の窓から屋敷の広間を覗いて
イエス様の裁判の様子を見守っていた。
周りの人に見られないよう、なるべく顔を隠すようにして…

「…うっ」

死刑の判決が下って、周りの人が一斉にイエス様に暴力を振るい始めた時に
私は目をそらし、思わずその場に座り込んでしまった。

イエス様、どうして?
どうして、あんな嘘の証言に何も言わずに?
まるで、全てを受け入れるみたいに。

イエス様と出会って、今まであった色んな事が次々に頭に浮かんでは消える。
そのイエス様が、イエス様が死刑になって…

抜け殻みたいになって、
壁に背をもたせかけて座り込む私に、一人の女の人が声をかけてきた。

「あんた。あんた、あのガリラヤ人イエスと一緒だった人?」

…。
もし、そうだと認めたら。
きっと私はこの場で捕まり、イエス様と一緒に…?
なら、いっその事…

「…はい、私は」

その時、
イエス様の言われた言葉が私の頭に浮かんだ。

『よく、あなたに言っておく』

『今夜鶏が鳴く前に、あなたは三度私を知らないと言うだろう』

…イエス様。
どうして、そんな事を私に…。

私がそんな事を言うはずがないのは、
イエス様が一番知ってらっしゃるはずなのに。
イエス様はもしかして、私の事をそんな風に思って…?

…いえ、違う。何か理由があるんだ。きっとそう。
言われた通りにしなきゃ。
信じるんだ、イエス様を。

「…あなたが、何を言っているのかわかりません」

そう言った瞬間、
私は思わず両手をぎゅっと握り締めた。

「いいや、この人はナザレのイエスと一緒だった」

別の人が、
私を指差して言う。

「そんな人は…。知りません」

握り締めた手に、ますます力が入る。

「あなたは彼の弟子だろ?言葉使いですぐわかるぞ」

周りにいた人達が集まって、口々にそんな事を言う。
私は顔をあげ、周りを睨みながら言った。

「…その人の事は、何も知りません!」

握り締めた手のひらに、爪が食い込んで血がにじむ。
目には涙が溜まる。
イエス様、どうして、私にこんな事…

私のそんな様子を見て、
周りの人達は気迫に押されたように言った。

「わ、わかったよ。もういいよ…」
「ナザレのイエスの弟子も、そんなに命が惜しいのかね」

私の周りの人々が、去っていく。
その時、遠くから鶏の鳴く声が聞こえた。
その瞬間、私は理解した。

「…こういう、事だったんですね。イエス様」

「イエス様は…。私に、生きろと…」

私は思わずその場から駆け出し、
屋敷の外に出て地面にうずくまった。

「イエス…様…」

「イエス様あああーーーーっ…」
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